このホテルの便せんに、この蒼いインクで書いた手紙はどんなにシックな仕上がりになるかしら。それに深紅のシーリングワックスを垂らして、自分のイニシャルのスタンプを押して出したら、美しい物が好きな彼女がどんなに喜んでくれるだろう、、。そう思うと、私はワクワクしながらそれらの道具を使って、見た事も無いような美しい手紙を作ってみるのでした。
旅先では必ず彼女達の胸を打つような便せんや絵葉書を買いました。彼女達は私からの「心のこもった手紙」が支えになったと後で言ってくれました。そしていつも感動と未知の物への文化的かつ芸術的な憧れを求めていたー。それは、彼女達に共通していた特徴でした。
メールもSNSもすっかり定着した現代人の生活。書籍は電子化し、本は所有しない、ミニマムなライフスタイル。年賀状を辞めて、SNSにしてみたり。そうやって捻出した貴重な時間と労力で、自分の生活を潤わせる。それが本当の「ゆとり」というものだから。無駄を省いて、心のゆとりを自ら選択する時代。情報を共有し、さっさと情報をインターネットの検索エンジンを利用して取り出し、「分かった気」になったら、すぐに終わらせて次の事へ。必要な情報を取り出し、最速で回り続ける私達の日常。
とても便利です。
そして、そこに何のドラマも産まれ無くなりましたー。
人生に求めているものは、人それぞれ違うと思います。自分らしい生き方、仕事の達成、金銭的な目標、幸せな家庭生活ー？
そして死ぬ時に、何を思うのでしょうか？自分の人生は、他人と比べて少しお金があったとか、足りなかったとか、あいつに負けたとか負けなかったとかー？？？
私は多分違います。私の幸せは、私自身の心の中にしかありません。
自分の仕事と信じる事に、全力を尽くせたのかーという問い。
この小さな自分の手で、誰かを幸せに出来たのかーという事が、もう一つ。
そして最後に、私の人生の大半を一緒に悩みながら、苦しみながら、助け合いながらいい時も悪い時も共に過ごしてくれた彼女達や、もう会う事もなかなか無いけれど、ちっぽけな私に影響を与えてくれた沢山の地球上の素敵な仲間達への感謝でしょうかー。
そうです。私の人生には沢山のドラマがあり、それらは、沢山の人々によって偶然にも創造されました。私のちっぽけな人生劇場に、こんなにも沢山の人々が偶然にも出演してくれた事は、最大の感謝に値する事です。
私の人生は、苦しみと葛藤により深くなりました。苦しみがあったからこそ、乗り越えた時の世界の美しさは何物にも代え難い輝きでした。それは、ちっぽけな世界に生きていた中学生の自分には、とても想像出来なかったであろう事です。
誰の人生にもある苦しみや葛藤ー。それらを懐に抱いて温め、一緒に乗り越えるのかー。
はたまた、懐から落として蹴って、更に恨むのかーー。その答えはあなた自身の中にしかありません。
私の人生が苦しみにより深くなった事を思うと、苦しみや葛藤は人生の宝石なのかもしれません。影があるから、光がより一層美しく輝くようにー。苦しみがあってこそ、人生が輝くのかもしれません。
私の人生のドラマに出て来た苦しくも美しい思い出は、数々の不便さの中で培われました。昔、恋人と電話するのに家族の家の電話にかけなければいけなかった、そんなところに実は沢山のドラマがあった筈なのです。
自分の前に居ない時の恋人が何をしているのかを想像する事は、長らく人間にとって苦しみでもあり、恋と呼ばれるものに相応しい渇きであり、葛藤だったのではないでしょうか？
私の好きなフランス映画で、ジェラール・ドパルデュー主演の「シラノ・ド・ベルジュラック」があります。
ベルジュラック地方に住むシラノという、鼻が不格好な男の話です。彼は剣の名手でした。生涯を通してずっと美しい従妹のロクサーヌを愛してきましたが、自分の不格好な鼻では、とても告白など出来ないのでした。その不格好な鼻をもってしても、ロクサーヌへの愛は打ち消すことが出来ませんでした。鼻へのコンプレックスから生涯彼女に打ち明ける事は出来ませんでした。
ロクサーヌはその間に比類なき美男に恋い焦がれ、ロクサーヌに頼まれてシラノはその橋渡し役をするのでした。でもその美男は、本当は無粋で恋はからっきし駄目なのです。ロクサーヌは彼に、情熱的な手紙を書いてと言うのでした。美男は困り果て、シラノに自分の代わりに手紙を書いてくれるよう頼みます。シラノは彼の美貌が羨ましい。美男はシラノの文才が羨ましい。そんな彼らは悩みを分かち合い、シラノは美男の代わりに、ロクサーヌに宛てて知的で情熱的な大人の恋文を書いてやるのでした。シラノのお陰で美男は見事ロクサーヌを手に入れました。シラノは彼女を妻にしようとしていた権力者から彼女を守るため、美男との結婚へのお膳立てをし、とうとう自分の力で彼女を結婚させてやったのです。全ては彼女の幸せの為にー。(「手紙」と「英語の筆記体」の衰退～3.へ続く)
