本記事は、古賀史健著「20歳の自分に受けさせたい文章講義」を拝読し、その論説を拾いながら解釈を加えて記者の言葉で再構成したものである。 本の詳細が気になる人は、こちらを参考にしてほしい。 20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書) 古賀史健著 文章を書くことにおける悩み 文章を書くことは、正解がない。 なぜならば、空白のページに自分の脳内を映し出していく作業だからだ。脳内は、人それぞれ異なる。脳内にある言葉や、経験や、感情は、そのタイミングで異なるのだ。きっと同じ経験をした人間が、同じストーリーを書き出すとしても全くその表現は異なるだろう。だからこそ人は書くし、書いた作品は評価されるのだと思う。 だが文章を書く作業とは、とてつもなく自分と向き合うのだ。苦しいし、辛いし、辞めたくなることが多い。時間があれば、その文章に向き合いたいと思うときもあれば、もう途中でもいいから諦めてしまいたいと思うこともある。提出したいが、提出が最終的な評価地点だと考えれば、その1点をできるだけ評価を高めたいと考えて、自分の今できる最大限をぶつけたいと考える。 例えば、あるイベントレポートの記事があったとする。提出がグーグルドキュメントであれば、そのURLを納期までに担当者に送信すれば良い。そしてそのURLをクリックすると、私の成果として評価されるのだ。そこまで考えて、眠たくなった目をこすり、近くのコンビニエンスストアに逃げるのを辞めて、また目の前の原稿に向き合うのである。 もし目の前に広がっているテーマに正解があるとするならば、それ以上に簡単なことはない。あらかめ引かれたレールがあり、そのレールをなにも考えずただ歩いていくだけの作業であればそんなに簡単なことはないし、そんなに素晴らしいことはない。だが、そうではないのが文章を書く世界である。 なぜなら、文章とはその人間にしかない主張を発信することだからである。なにを勧めるのか、なぜそれが素晴らしいのか、誰に届いてほしいのかは、人それぞれ異なる。だから書くことは、頭脳をもつヒトであればみんなが簡単に実現できることなのである。 したがって、文章に正解はないのだ。正解がない時間だからこそ、迷い、悩み、苦しいのは当然なのだと思う。 この本を読んでみようを思った動機 この本は、「宣伝会議 編集・ライター養成講座総合コースのオンライン体験会」で紹介されていた。 登壇者の…