これから九州地方のオススメ陶芸店について述べます。
日本は歴史は古く九州地方は非常に焼き物が有名です。
そんな皇族御用達のお店から、庶民のお店まで記載します。
1. 薩摩焼
苗代川焼、龍門司焼、長太郎焼など、長い歴史を誇る窯を中心に、鹿児島県内で産出されるのが薩摩焼であります。
薩摩焼の起源は、豊臣秀吉の朝鮮出兵として名高い慶長の役、やきもの戦争にあります。
多くの大名が朝鮮から優秀な陶工を連れ帰り、自分の領地で焼き物を焼かせました。
第17代薩摩藩主島津義弘も80名余りの陶工を連れ去り、窯を開かせたのが薩摩焼の始まりです。
苗代川、現在の日置郡東市来町美山で白陶土が、発見されたのは非常に重要な出来事でした。
文政10年には京都に職人を派遣し、白薩摩錦手は完成していきました。
オススメは、長太郎焼窯元です。ここは桜島が近く、素朴な黒を楽しめます。
私見としては、西郷隆盛や長州藩も昔から、この黒薩摩を楽しんでいたと思われます。
おはら祭では、これをあげ祭り、貴族、武士の時代からの朝廷に献上していたのがわかります。
一家に1つあれば、お酒はどんどん進んで、先人に気分、日本文化の礎を感じ得ざる得ません。
2 磁器のふるさと 有田焼
香蘭社の器といえば贈答品や引き出物によく使われ、馴染みの深いものです。
この香蘭社が有田磁器を代表し、有田窯のリーダー的存在になったのは、明治維新の激動期の時です。
有田が突然、支援者を失い、再興に力を尽くしたのが、深川左衛門で、彼は当時の選りすぐりの絵付け師、陶商たちを一つにまとめ、結社を作りました。
これが香蘭社で、製品の特徴は、白く、硬い透明な生地ん上に、染付、赤絵を配した模様、
18世紀フランス、セーブルを中心に多彩なデザインで彩られます。
有田焼の歴史も朝鮮出兵により連れてこられた陶工がいます。
磁器の王国であった中国に内乱が起こり、明から清への王朝交代に伴う鎖国政策によって、目をつけたのが日本でした。
色絵技術を完成させた日本に海外は目をつけました。
オススメは、香蘭社赤絵町工房です。
個人的に思うのは、東インド会社から命名されたものだと思ってます。
長崎のオランダ村が有名なのに、佐賀も西洋かよって思います。
しかし、伊万里焼同様、町民から愛されているので、取れ取れの新鮮野菜と、お米と、お魚を盛るためのこの上ない漆器だと思います。
なんか名も無い陶芸店なら、もっと日本的な漆器があるかもです。
3 伊万里焼
伊万里の中でも、柿右衛門や輸出商品であった影に隠れていた伊万里染付を取り上げたのは、民藝運動の提唱者、柳宗悦です。
北大路魯山人が開いた高級料亭星岡茶寮の支配人を一時務めた秦秀雄が所持していました。
その秦が日本一と惚れ込んで、金策に走りました。
この伊万里は、兎がシンボルで、仏教伝説では、中国の「月兎文」は、不老不死・再生の象徴とされています。
壺が大皿の中で踊っている画などは、他に類を見ない模様です。
私見ですが、この伊万里焼は、朝廷や貴族で愛さえて、民衆の中でも重用されましたが、料理を盛ってこそ生きてきます。趣味多彩な人なんかは、創作料理を作り、家族で笑いながら、「これうめーぞ」なんて言って、美に近い食卓に仕上げていると思われます。
動物の絵なんかと和食、色々な料理は非常にテイストとマッチすると思います。民衆の中には、自分で作った人なんかいたりして、クリエイターとして競ってそうですね。
オススメスポットは、伊万里総合資料館です。
300年の伝統が潜んでいます。
陶工の橋を象徴とします。
4 唐津焼
多くの陶芸家が作陶中ですが、古唐津は、およそ400年前の桃山時代に、30年間に焼かれたものを指します。
唐津から出荷したから唐津焼と呼ばれました。
初めに焼かれた岸岳周辺は、中世に水軍で名を馳せた松浦党の上松浦の首領として活躍した波多氏の本拠でありました。
本来職人は渡り歩くものであって、日本から大名の注文など受けて渡った窯ぐれ集団もあれば、逆に日本へ渡っている陶工もいます。
古唐津の最大の魅力は杯です。飲めば飲むほど酒が進むという飲んべぇに味方の淡い青色の顔を覗かせます。
また白洲正子が奪い取った絵唐津です。「売るのは嫌だが、飽きるまで何年でも貸してあげよう」と条件付きで奪ったそうです。
このように、白洲家にも重用された唐津焼ですが、飲み屋では最近ではお目にかかりません。
古美術商の老舗には愛されています。
骨董屋で買って、BARで唐津焼を置いて、焼酎でも飲めば、先人の骨の髄まで、心楽しむことができるでしょう。
ふと思ったのですが、貴族などの現代でも由緒ある家では、このような調度品的に、焼き物が保存されていそうです。
全長1メートルの花瓶などありそうな所です。
オススメは、叩きの経験させてくれる中里太郎右衛門陶房です。
御用窯を守る唯一の窯です。訪れて下さい。
5 小鹿田焼
筑紫哲也さんの故郷であり、このころ、小鹿田という名称はなく、皿山と村人たちは言っていました。
「皿山の茶碗でお茶を飲むと美味しくない」いわゆる瀬戸物を珍重し、陶器と磁器の間に価値の
上下感覚が一般的だった上に、小鹿田焼がすぐ手近に手に入ることからきた差別感情だったと思われると彼は語っています。
この焼き物は割安だと言われ、近代化から身を守っていると言われました。
打ち掛け、流し掛けを武器に作っていたようです。
個人的に思うのは、筑紫さんが言うように大分の片隅で、島津藩の伊万里などん負けじとせっせと綺麗な小川を利用して職人を褒めていたのだと感じます。
今でも体験できる所がある上に、地質学の勉強にもなるので、かなり楽しい里山体験ができるように思います。
故郷には神が眠る、そのように、先人の感情をなぞれる漆器だと思います。
オススメは、坂本一雄窯です。協同組合長で、窯元の紹介をしてくれます。
6 長崎県 三川内焼
古代には中国、江戸時代にはオランダ、そして幕末にはイギリスと、常に外国との交易があった長崎は、諸外国の影響を受けてきました。
異色の文化を受け入れ、外に開かれた稀有の文化を持っています。
萩焼や伊万里、有田焼と同じく、朝鮮半島からの陶工によって始められた焼き物で、最初は平豆島の中野に窯が築かれました。
しかし、陶石を求めて、佐世保に移りました。以後、藩の御用窯として充実が図られ、将軍家や朝廷へ納入されました。
天草の陶石を使い、見事な青磁の飾り皿や、透かし彫の香炉が代表的な作品です。
オススメは、佐世保市にある三川内焼伝統産業会館です。
見学や歴史を勉強できます。
個人的に思うのは、異常にオランダ文化が進んだ漆器ということです。
これを題材にしている作家もいる気がします。
非常に外国に理解のある港町ならではの気品溢れる、朝廷への献納品であることは間違いなしです。
あなたもこれを見て、貴族気分です。
7 熊本県 小代焼
阿蘇山の山並みと、島原海、八代海の大らかな自然に抱かれた風土は、郷土色豊かな多くの工芸品を生み出しています。
この小代焼は、江戸時代中期から藩用陶器を焼いていた小代窯では、藩用の茶器などの他に早くから日用食器も作られ、一般に売られました。
茶器、花器、酒器などありますが、焼酎用の壺が売りです。
現在では、熊本市内の三軒が伝統を受け継いでいます。
訪問できるのは、熊本県伝統工芸館です。
ここは、体験もできるので、ワクワクできます。
私見ですが、かなりマニアックな漆器になりますが、かなり自然派の作品になります。
自分でもこれでもかと競い合って、作り出されたのがわかります。
熊本県民はお酒に強いですが、これで、焼酎と馬刺しなど食べても美味しくいけます。
とにかくわかるようにこれらは、藩士にとって注文された品です。
現代にアレンジしたものもあり、何せ、九州の気候は暖かいので、かなり明るい漆器になるようです。
8 鍋島焼
江戸時代に肥前佐賀藩の御用窯で製造された高級磁器のことであります。
1610年代、日本の磁器は肥前有田地域で作られ始めました。
鍋島藩主、鍋島直茂が、李参平を始め朝鮮から陶工を連れ帰り、肥前磁器の生産が始まります。
李は有田の泉山で白磁鉱を発見し、その礎を築き、生産が盛んになりました。
千利休とも所縁があると言われています。
非売品の道を歩むことになりました。
将軍や他藩への進物品でありました。
全体に気品が漂い、赤、緑、黄色の三色で、色絵された手法でした。
中国磁器とは異なるものでした。最後の窯は大川内山でした。
オススメは、古民芸 珍竹林です。親しみやすいディスプレイで、結論は自分の感性で出す。飽きのないものを選ぶコツと、店主は話します。
個人的に、これはかなり階級社会の御用達で、庶民には販売されていないので、かなりレアです。
密教にも似たような要素がありますが、かなり藩主好みの、各藩に出されていたのでしょう。
レアケースの申し子で、かなり国策の品なのでしょう。
今や、少しの店舗で販売されてるぐらいです。
まとめ
長々と書きましたが、伊万里や、小鹿田などは、田舎的で、なんか野暮な感じがして、自然に合うお酒が合いそうです。
安い廉価なものを探して、一度訪ねて見てはどうでしょう。
ろくろも巻けますよ。