親へのカミングアウトについて、賛成派もいれば反対派もいることだろう。カミングアウトをし、受け入れてもらえた時はいいが、失敗して、ボロクソ言われた時はもう最悪だ。 親にカミングアウトをせずにこの世を去ったLGBTは一体どれだけいるのだろうか。 実際、正解はない。カミングアウトをしたからといって幸せになれるわけでもないし、関係性が良くなるとも限らない。イチかバチかみたいなところがあり、何とも言えないのである。 でもそうなら、親にカミングアウトする意味は?思うに、誰しも存在を受け入れて欲しいのだと思う。ありのままの姿を、せめて自分を産んでくれた親にはさらけ出し、「あなたはあなたのままでいいんだよ」と言って欲しいのだと思う。 私もその一人で、事実、1年ほど前に母親だけにカミングアウトをした。特に問題なく受け入れてもらえたかと思ったが、意外とそうでもないかもしれない。 ①バイセクシャルであって欲しいと願う 自分が同性愛者だとカミングアウトした後、親は当然驚いていた。でも、時間の経過とともに受け入れてくれたみたい。しかし、やはり心のどこかで『バイセクシャルであって欲しい』と願っているようだ。 会話のはしはしに、「女性との出会いはないの?」「きっと素敵な女性に出会ったことがないだけで、そのうち出会えたら価値観が変わるはず」「やっぱり結婚した方がいいんじゃない?」という言葉を挟んでくる。 頭では理解しているのものの、やはり全面的に受け入れることはできない様子だ。 ②自分のせいで同性愛者になったのだと思い込んでいる 以前、「私の育て方のせいでゲイになってしまったのかな」と言われたことがある。 そんなことは断じてないのだが、やはり、責任を感じているようだった。 そもそも、"ゲイになってしまった"と言っている時点でやはり後ろめたさを感じているのだと思う。 ③性的嗜好だと思っている 男性・女性を好きになるかは性的指向である。しかし、「性的嗜好」だと思っているようで、女性との恋愛を経験してみれば異性愛者に変われるのだと本気で信じている模様。 中学生の時に女性との恋愛経験はあるのだが・・・ ④まだどこかで信じれない部分があるらしい やはり、子供には"普通"の人生を歩んで欲しいらしい。私がゲイとして生きていることに対し、まだどこかで信じられないみたい。 いつか、「全部ドッキリでした~」って言ってくれるんでしょ?と言われたことがある…
遺すもの、与えるもの ツイッターに流れてきた、新聞に投稿されたあるコラムが目に止まった。 その方は、20代に相次いで両親を亡くし、二人の苦労を重ねた短い人生はなんだったのかと考えたそうだ。しかし、30代後半になり、手元に『集めた』ものは自らの死とともに消えてなくなるが、『与えた』ものはそうではないと考えるようになった。いまは物心ともに両親が与えてくれたものをたどっているそうだ。若い頃に読んだ三浦綾子の小説「続氷点」に起因するとも書かれていた。 今年1月に父が亡くなり、私もそのことについて考えている。 しかし、考えるようになったきっかけは、情けない理由だ。父が生命保険に加入しておらず、周りの同年代からよく聞く「おりた保険金で○○した」ということがないからだ。お金は遺してくれなかった。では、なにを遺してくれたのか。我ながらひどい子どもだと思うが。 ラジオでは、よく亡くなった親の思い出話がメッセージとして読まれている。特に先週は日曜日が父の日ということもあり、父に関するメッセージが多かったように思う。 「父がジャズが好きでよく聴いていた曲です。私も今は大好きです」「おしゃれな父は、ブルーのお気に入りのシャツを大切にしていました」など。 しかし私は父に関して、他人に「こんな父だ」と伝えるようなかっこいいエピソードを思いつかない。 別に絶縁していたわけではないのだが。 そうだ、車が大好きだった。しかも熱烈なトヨタファンで、トヨタの車を4年に一度のくらいのペースで乗り換えていた。休みの日にはいつも車内を清掃し、車体を磨いていたから、社内外ともにいつもきれいだった。 運転もうまかった。 どんなカーブもなめらかにハンドルを切り、「乗せてもらていて心地いい」と母がいつも言っていた。しかし、通勤や所用以外に“ドライブ”と称して一人で出かけるようなことはなかった。足として使う以外に車には乗らなかった。 そして、70代前半に免許を返納してもらった。家族にしかわからない程度だったが、若干の認知症の症状が見られるようになったからだ。その頃は、運転といってもせいぜい週末に母を助手席に乗せてスーパーに買い物に行く程度だったが、人の少ない田舎道ではない。 「自分で電柱にぶつかるだけならいいよ。でも、人を巻き込んだら大変なことになるんよ」 実家に帰るたびに、結構きつい調子で父や母を追い込んでいたと思う。やがて、車庫から車が消え、…