こんにちは。コロナ渦も少し落ち着きを見せた矢先 Black Lives Matter のプロテストによるデモで、第二波が早まるかも、もしくはもう始まっていると言われるこの頃、如何お過ごしでしょうか。 ニューヨークも今週からやっとフェーズ2(飲食店、美容院、オフィスワークなど)の営業再開が許可されましたが、市民はこのプロテストでの治安の不安定さもあり、あまり本格的には外に出たがらない様子。 今回はこのプロテストで見えるアメリカ、ニューヨークの根強い差別問題と、日本で感じていた差別意識の違和感、違いをセクシャルマイノリティの視点から考えてみようと思います。 ①差別教育、人権教育の不十分な日本、たまにセンシティブ過ぎるアメリカ 日本の方とたまに話していて本当に驚くんですが、人権教育とマイノリティという物に対しての認識が本当にまだ薄いな、と思ってしまいます・・・。私の友達にレズビアンの方がいるのですが、よく今まで勝手なアウティングをされてきて、本人に問いただすと何が悪いのか分かっていない人が圧倒的に日本に多いと話していました。 アメリカも地区によっては酷いですが、この根強い黒人差別がずっと歴史にあるため、差別に対しての認識やきちんと自分の意思を表明する必要性をもう少しきちんと教わっている気がします。 日本の場合、そもそも個人の意見を人前で強く言ってはいけない、和を乱してはいけない、言い合い、公で喧嘩をするなどもってのほかという空気があるので、そもそもマイノリティについて話し合うという事が少しタブーから抜け出せない事項になっているのかな、と思います。。。そして意見を強く求められる機会がそもそも無いので、自分の意見もよく分からないという人が多く、自分がマイノリティ、マジョリティなのかすらそこまで話さないかもしれません。 アメリカの場合、黒人差別に対してもそうですが差別という事にセンシティブに触れている機会が多いので、返ってそれを利用する問題 "Race Card"を使った(自分のマイノリティの立場を利用すること)利権問題などもよく話題に上がります。 ②個人主義であるがため自分でいかに主張できるかが問題のアメリカ、日本では個人の自己主張自体が “自分勝手”。 人種的な差別問題もそうですが、基本的に自分の主張は自分で、というのがアメリカ。基本的に、訴えは自分の口で言えないといけませんし、自分の意見は…