そういえば私は46歳の誕生日に初めて社会貢献への第一歩を踏み出しました。こちらに寄付を始めたのです。 プラン・インターナショナル・ジャパン 「13歳で結婚。14歳で出産。恋は、まだ知らない。」そんな言葉がここにあります。 恋を知らないのに、何故子供を産まされているのでしょう。 それは男性優位社会で、女性が利用されている事を表しています。 学齢期の6歳から~11歳 男の子が遊び、学んでいる間に家事労働に明け暮れなければならない。 速すぎる結婚・妊娠で命を落とすこともあります。 (→「主張」のカテゴリーから「女性が自分の身体を守らなければならない本当の理由」の方も合わせてご覧下さい) 青年期、母親期の18歳~24歳では「収入がないから発言権もない」とありますが、私のような先進国に生きる女性ですら、この危険性を感じる時があります。 女性は子供を産む時は、肉体的に絶対に働けません。 出産から何日かは歩くことも難しい。痛すぎて、座る事もままならないのです。 赤ん坊は、母親が2~3時間おきに起きて母乳を与えなければ、寝る事すらしてくれません。 母乳を飲めば排泄もします。夜中の2時でも3時でも、泣けば母乳を与え、その間ずっと同じ姿勢で密着していなければならないのでいつも汗だくであちこちにあせもが出来たりします。暗い中では赤ちゃんの排泄時の汚れが見えないので、どんな夜中でも一度起きなければなりません。誰かの手伝いが無ければ、ほぼお風呂に入る時間すらないです。その間に大汗をかいて赤ちゃんが泣いています。 そんな中で働く事は不可能どころか、出産後の何か月かは安静にしていないと、元に戻ろうとする身体に多大な負担がかかり、ひいては自分の命やその後の生活が無事に出来るかにすら、関わって来るのです。 金銭的に恵まれた出産をした母親だけが、自分の身体を労わる事が許されて、金銭的に恵まれていない場合は、母親が早死にしても仕方ないーそんな世の中で、教育を受けていない女性は自分を守る術も知らず、家庭という狭い世界で、自分が恋をした訳でもない男性から大切にされる筈もなく、暴力や心ない男性のストレス解消の道具となっていくケースすらあります。 そしてエチオピアでは、幼児期から15歳ころまでの女の子の性器の一部または全部を切除する慣習、女性性器切除が存在します。多くの場合、麻酔や消毒もない環境で、かみそりの刃などで切除するそうです。 同じか…
今回は少し重たいかもしれないお話。シングルマザーになれなかった母親の、リアルな現実を綴ってみたい。 私には子どもが三人いる。現在、上から中2、小2、小1の三人の男の子。彼らが生まれてきた日のことは、一生忘れられない。母親にとって妊娠期間と出産とは非常に大きな、人生を変える出来事である。長男が生まれてきたとき私は 「本当に、人間が生まれてきた…」 と不思議に思ったのを覚えている。私が産んだのは、一人の人間で。当たり前のことなのだが、それはとてつもなく神秘的で、言葉に言い表せない感動の出来事であった。そうして、私のおなかの中でぐるりんと動いていた小さな人間はこの世界に生まれてきて、目まぐるしい勢いで成長していった。 すべての瞬間が愛おしくて、あなたのためなら何でもできると、誓った存在。 色々な理由があって、昨今の離婚率は上昇の一途をたどっている。身の回りを見ても、離婚している夫婦は決して少なくない。もちろん、子どもがいたとしても、だ。 そしてこれも様々な理由で、どちらが子どもを引き取るかということで身を引いた母親も、数えるほどには知っている。私もその一人だ。母親が子どもを引き取れないという多くの場合、経済的な理由が挙げられるが、その他さまざまな各家庭の事情から、母親が子どもを手放すという出来事は現実に起きている。 母親が子どもを手放すという現実に、あなたはどう感じるだろうか。 「あんなに可愛いわが子を手放すなんて考えられない」「自分で産んだのによくそんなことができる」「子どもを捨てるなんて信じられない母親だ」 …厳しい意見だが、とても否定はできない言葉の数々。わからなくもないのだ、私自身も同じような感覚をもっていたから。自分がこの立場になるまでは。 世の中にはどうしようもないことがある。言い訳をするつもりはないし、批判も厳粛に受け止める。子どもたちのために最良の決断を下せたかどうか、今も自信はない。しかしこれが、現状だ。 私には三人の子どもがいると述べたが、実は彼らには1年以上会えていない。 長男の成長とともに、会いたくないと言われるようになってしまったことが一番の要因だ。皮肉にも、離婚協議書には「子どもたちが望めばいつでも会うことができる」と記載した。こんな日が来ることを想像できていなかったのだろう。月に一回とかにしたほうがいいよ、なんて当時の私に教えてあげたい気持ちでいっぱいだ。 会わない間…