今回は少し重たいかもしれないお話。
シングルマザーになれなかった母親の、リアルな現実を綴ってみたい。
私には子どもが三人いる。現在、上から中2、小2、小1の三人の男の子。彼らが生まれてきた日のことは、一生忘れられない。
母親にとって妊娠期間と出産とは非常に大きな、人生を変える出来事である。長男が生まれてきたとき私は
「本当に、人間が生まれてきた…」
と不思議に思ったのを覚えている。
私が産んだのは、一人の人間で。当たり前のことなのだが、それはとてつもなく神秘的で、言葉に言い表せない感動の出来事であった。
そうして、私のおなかの中でぐるりんと動いていた小さな人間はこの世界に生まれてきて、目まぐるしい勢いで成長していった。
すべての瞬間が愛おしくて、あなたのためなら何でもできると、誓った存在。
色々な理由があって、昨今の離婚率は上昇の一途をたどっている。身の回りを見ても、離婚している夫婦は決して少なくない。もちろん、子どもがいたとしても、だ。
そしてこれも様々な理由で、どちらが子どもを引き取るかということで身を引いた母親も、数えるほどには知っている。私もその一人だ。
母親が子どもを引き取れないという多くの場合、経済的な理由が挙げられるが、その他さまざまな各家庭の事情から、母親が子どもを手放すという出来事は現実に起きている。
母親が子どもを手放すという現実に、あなたはどう感じるだろうか。
「あんなに可愛いわが子を手放すなんて考えられない」
「自分で産んだのによくそんなことができる」
「子どもを捨てるなんて信じられない母親だ」
…厳しい意見だが、とても否定はできない言葉の数々。わからなくもないのだ、私自身も同じような感覚をもっていたから。自分がこの立場になるまでは。
世の中にはどうしようもないことがある。言い訳をするつもりはないし、批判も厳粛に受け止める。子どもたちのために最良の決断を下せたかどうか、今も自信はない。しかしこれが、現状だ。
私には三人の子どもがいると述べたが、実は彼らには1年以上会えていない。
長男の成長とともに、会いたくないと言われるようになってしまったことが一番の要因だ。皮肉にも、離婚協議書には「子どもたちが望めばいつでも会うことができる」と記載した。こんな日が来ることを想像できていなかったのだろう。月に一回とかにしたほうがいいよ、なんて当時の私に教えてあげたい気持ちでいっぱいだ。
会わない間に子どもたちはどれほど成長しているのだろうか。三男は私のことを忘れていくだろうか。日々を過ごしながら、子どもたちのことを考えない日など一日たりとも無い。日常の隅々まで彼らは深く深く浸透していて、ふっと寂しさを連れてくる。
彼らの日常の中に、私がいないこと。今も彼らは、私がいない当たり前の日常を生きていること。一生この気持ちを抱えて生きていかなければいけないのだな、としんどくなるときもある。
「子どもを捨てたんだから、それくらいの罰を受けて当然」
と思う人もいるだろう。しかし、これが父親だったら?
「俺、子どもいるんだけど、元嫁のところにいてさ、すごく寂しいよ」
だとしたら、どう感じるだろうか。なんてひどい父親だ、と思う人もいるのかもしれない、が、少数だろう。
母親の場合に比べたら、父親が子どもを手放すことへの批判は驚くほど少ない。むしろ同情されるくらいだ。会いたいだろうに、とか優しい言葉が待っている。
また、シングルマザーとシングルファーザーを比べてみても同じことが言える。
社会の構造上、女性の方がまだまだ稼ぎは少ないのが現状だ。シングルマザーの方が経済的に困窮しているのは間違いない中、世の中の目はたいして優しくない。
シングルマザー=離婚したなら当たり前、シングルファーザー=頑張っている、素晴らしい。これが今のところ社会に浸透している考え方だと言える。本当は、どちらも同じくらい頑張っているのだ。一人で子どもを育てるのは容易ではない。
なぜ、男性が子育てをすると褒められるのか。なぜ、女性が子どもと暮らせないだけで責められるのか。なぜ、そうなってしまった理由に目を向けないのか。なぜ、そうなってしまっている当人の心の痛みを、想像してもらえないのか。
世の中に対する何とも言えない気持ちは、尽きることがない。
ただ一つ、確実なのは、父親でも母親でも、子どもと離れて暮らすのはつらい、ということだ。中には平気でその後の人生を謳歌する人もいる。しかし、少なくとも私の周りの同じ境遇の親たちは皆、4月にはセンチメンタルになっている。(入学、卒業、進級、もろもろ成長を感じるイベントが多いのが堪える)
生きていく意味を見失いそうになったこともある。子どもたちの存在は非常に大きい。想像はしていた、しかし、想像を超えていた。離れて初めて分かる部分もある。
離れていても、親子は親子だ。血のつながりは思っているより強いものなのだと信じたい。今は会うことのできない子どもたちも、成人していつか、会いに来てくれたら、とかすかな希望を抱いて日々を乗り越えるのみだ。
世の中の、子どもを手放した親たちは誰よりも自分自身で自分を責めている。
自分を擁護するわけではないが、どうか、彼女たちの心の傷をあまりえぐらないであげていただきたい。
今回はそんな、シングルマザーになれなかったマザーもいるということを、知っておいていただけたら嬉しいと思い、記事を書かせていただいた。