まだ私が独身だったころ、とあるオープンスペースで行われた講習会に参加した。 そのタイトルは、障害とアート研究会『<異なる身体>の交感可能性 -コンテンポラリー・ダンスを手がかりに』。 学生のころから障害というキーワードに関心があり、またコンテンポラリーダンスの作品を観る機会が増えその魅力を感じていたから、興味深い2つのテーマが含有されるこの講習会には迷わず参加した。 今、障害をもつ子どもの親となりおおよそ10年近くが経つが、この講習会で得られた感覚が自分の中でかなり大切なものとなっている。 障害者とアート、障害者とダンスといった考察・取り組みはこの10年間でも拡がりを見せているといっても、福祉のプロでもなく、またダンサーでもないただの障害児の親にまでその波が及んでいるとはいいがたい。親にとっても聞いてよかったと思えるであろうこの講習会の内容を改めて振り返ってみたい。 講習の内容は、ざっくばらんに結論から言うと”障害者にもっとコンテンポラリーダンスのワークショップの機会を与えたい”―といったものだった。講師は、大学で発達心理を勉強したのち障害者施設で指導者として7年間勤務し、大学院でまた勉強をしている(当時)という渡邉あい子氏。障害者施設で働いていたときに実感することがたくさんあったそうだ。 たとえば、机の角を持って4人で運ぼうとするが、運ぶことができない。自分以外の3人がどのくらいの力を込めて机を持ち上げるかという予測ができない。また喧嘩ができない。怒っているということは分かるが、何に対しての怒りなのかということが受け取りきれない。 喧嘩というのがある共通認識の上にたったバトルだと解釈するとき、他者の状態を想像することができず、共通認識をそもそも持つことができない、ということだった。また、障害のある人がよくぶつかって転ぶ・・などの場面を目にしたとき、「身体がコミュニケーションを補っていないのではないか?」という問いが渡邉氏の心に浮かんできたそうだ。そしてそれに対して、コンテンポラリーダンスのワークショップというものが自分や他者の身体を見つめることに通じるのではないかと。 印象的だったのは、ケアとしてのワークショップではないということだ。この点が非常に興味深かった。日本の暗黒舞踏の創設者である舞踏家、土方巽(1928-1986年)が語るには、「自分でないもののような他者に棲みこまれ…