しばしばニュースサイトなどで取り上げられる、”ベビーカー問題”。 記事が投下されるや否や多くのコメントがつき、 「迷惑だから電車内ではベビーカーを畳むべき」「そもそも赤ちゃんが危険だから満員電車には乗せるべきではない」「世知辛い世の中になった」「こんな論争があるから少子化が止まらない」 など様々な意見が沸き上がります。さらには、 「ベビーカーの持ち込みは仕方ないが、泣いてもあやさない母親はダメ」 など、子育て論にまで発展することも。しかし、この問題を考える前にひとつの疑問を投げかけたいです。 そもそもベビーカー問題は本当に存在したのか? もちろん個人間で、ベビーカーによって乗り降りがしにくいと感じた体験や、「危ないな」と感じた出来事、お母さん自身が公共機関内で困った経験などはあるでしょう。 しかし、ベビーカー問題として取り上げられるまで、それは社会的に大きな問題だったのでしょうか?メディアが”ベビーカー問題”を大きく取り扱う前は、互いの配慮や許容などによっておさまっていたのではないでしょうか? メディアが煽り、あたかも問題かのように提示することで、これまで感じたことのあった小さな感覚が刺激され、共感者を呼び、議論に発展してしまったのではないでしょうか。 もちろん、よりよい社会を作っていくためには意識していなかった問題を表面化させることは大切です。しかしそれは誰もが暮らしやすい社会にしていくための一歩であるはずです。ベビーカー問題について論争が起こることで、暮らしやすくなった人は果たしているのでしょうか? このベビーカー論争については、メディアによって事を大きくさせられている感が否めません。そしてニュースに反応する私たちもまた、たとえその感情が事実であったとしても、書き込む必要があるのかどうか・問題をさらに大きくすることに意味があるのかどうかをよく考えなくてはいけないと思います。 議論に発展することで、これまで特に気に迷惑だと感じたことのなかった人にも、電車内でのベビーカーを見かけるたびに「問題になっているベビーカーだ」と意識させてしまうことにつながる可能性もあるからです。 さて、その疑問を投じた上で、一つの提案があります。 駅前にベビーカーを預けられる場所を作ってはどうか? 自分の子育ての経験から言えば、ベビーカーを使って公共交通機関を利用することは非常に多かったです。自宅から駅までの道のりが3…