ヨーロッパ旅行の観光スポットといえば教会! ヨーロッパ旅行の計画を立てる際に、おそらく多くの人が旅程に組み込む教会。日本にもキリスト教の教会はありますが、まだまだ少ないので、私たちにとってはダイレクトに異国を感じさせてくれる存在ですよね。大学で西洋美術史を専攻し、趣味で100以上の教会を巡ってきた筆者が、教会見学を楽しむ方法をまとめました! (ポルトガル・リスボン大聖堂) 教会見学の注意点 まず初めに忘れてはいけないのは、教会は観光スポットである以前に、「宗教的建造物」であるということです。多くの宗教的建造物は他の人にとっては「おしゃれな建物」にしか見えていなくても、信徒にとっては重要な意味をもっています。 例えば、自分の親族の七回忌をお寺で行っているところに外国人観光客がやってきてパシャパシャ写真を撮ったり大声で話していたりしたら、不快な気持ちになりますよね。特別な儀式がなくとも、中にはお祈りを日課としている人もいます。見学をする際は、地元の人が最優先、リスペクトを持って訪れましょう。 注意点 ① 教会内では防止やサングラスは外す② 撮影可能か入り口扉の注意書きを確認する③ 教会内部の足元にある台はお祈りで膝をつくためのものなので足を載せない。④ ミサ中(日曜日は注意)は見学を控える 「大聖堂」とは? 教会に関する基礎知識でぜひ知っておいてほしいのが、”cathedral(カテドラル)”という言葉です。”cathedral”は日本語では「大聖堂」と訳され、〇〇聖堂や△△教会と訳される教会はChurchと呼ばれます。「大聖堂」と聞くと多くの日本人は「大きい聖堂」をイメージしてしまいますが、”cathedral”の本来の意味は「司教座聖堂」です。司教座聖堂とは、司教(教区を監督する聖職務)の法座を備えている聖堂のことです。一般的に「大聖堂」はサイズも大きいので大きい聖堂であることに間違いはないのですが、豆知識として書いてみました。 (ポルトガル・ポルト大聖堂) 教会建築様式 ロマネスク様式:全体が丸みを帯びていて壁が分厚い ゴシック様式:尖った形状、壁が薄くステンドグラスが大きい ルネサンス様式:整然、水平指向、バランスが良い バロック様式:うねり、ねじりを多用し、ダイナミック ロココ様式:優しい色彩、華やかながら繊細な装飾 新古典主義:古代ギリシア様式を模範としたシンプルな構造 教会…
みなさんはポルトガルというと何を思い浮かべますか?日本ではまだまだ認知度の低い国なので、ポルトガルってどこにある国?何があるの?疑問に聞かれてしまうことも多いのではないでしょうか。しかし実はポルトガルは、日本ととっても所縁の深いヨーロッパの国の一つなのです!今回の記事では、そんな日本とポルトガルの歴史的な関係についてご紹介していきたいと思います。 日本とポルトガルの歴史①:始まりは16世紀 16世紀、ヨーロッパは大航海時代と呼ばれる時代でした。それ以前のヨーロッパは、周辺地域への地理認識はあったものの、中国や日本などの東アジア地域は、過去に旅をした人々の記録に基づきイメージを膨らませることしかできませんでした。そのため、中世では多くの人々が、アジア地域には不思議な身体的特徴を持つ「人間」や動物が住んでいると考えているほどでした。また、この時代にはまだアメリカ大陸の存在はヨーロッパ諸国には認識されていませんでした。 それらの、ヨーロッパ人にとって「未開」の地を「発見」しようという試みが興隆したのが、この大航海時代です。とくにポルトガルとスペインは当時、航海技術に長け、積極的にアジアやアメリカへ舩を出しました。アジア・アメリカに到着した後、征服活動を開始し、キリスト教化・植民地化などを行いました。 日本とポルトガルの歴史②:日本との出会い このように海の向こう側に向けて出発したポルトガル船の一隻が、記録上によると1541年に豊後国神宮寺浦(現在の大分県)に漂着しました。これが、ヨーロッパ諸国から日本への初めての直接的な上陸であったと言われています。 その後、再びポルトガル船が1543年の種子島を訪れ、その際に鉄砲を日本に伝えました。さらに、1549年にはキリスト教宣教師フランシスコ・ザビエルが日本を訪れ、布教活動に従事したという記録が残っています。 日本とポルトガルの歴史③:鎖国とその後 その後、日本は鎖国時代(1639-1854年)に突入します。この時代、日本をオランダや中国などの一部の国を除き、外交を経つ政策をとっていました。200年以上にわたって続いたこの体制を経て、ペリー率いるアメリカ船が下田に来航し、国交を開始するように持ち掛け、それを皮切りに、日本は他の国々とも国交を回復するようになりました。 それに伴い、ポルトガルとも1860年に日葡和親条約及び日葡修好通商条約が結ばれ…