根性で乗り切るマラソン大会はちょっと自慢
腰痛は高校1年から始まった。
子どもの頃から体の弱かった私がはじめて運動部であるハンドボール部に入部して間もなく発症。
なぜか当初「神経痛」と診断され、間もなく「椎甲板ヘルニア」と診断された。理学療法のため週一整形外科に通うが改善されず、ハンドボール部を退部。
「それまでろくに運動していなかったので、急激な運動量の増加にカラダが悲鳴をあげたのだろう」。
それくらいのラフな結論で、体育の授業も内容を選んで出席した。
そのような状況ながら、校内のマラソン大会に出場。
体育の成績はいつも5段階の3。バレーやバスケットなどの球技はまあまあだが、マット・器械運動系、水泳はまったくできない、かなりの運動オンチである。
だから、なんの技も力もない“ただただ我慢の走り”だったが、
それでも自分なりに満足のいくそこそこの成績を残すことができた。
社会人となり、再び走り始めたものの、“ただただ我慢の走り”は続く。
マラソン仲間ができ、走ることが楽しくなっていくが、仲間との体力差、特に筋力差は歴然だった。
社会人になってから、「走ろう」と思うような人は、おおよそ中学・高校の運動部出身者だ。
運動オンチに加え、虚弱体質で小学校の3年間は体育の授業を休み、中学・高校は文化部の出身者との差は大きかった。
それでも少しずつ、筋トレというものを知り、実践し、走り込んでいくことで、“ただただ我慢の走り”から、走ることは気持ちいいと思えるようになっていった。
結論:
運動オンチはつまり、体力・筋力不足であることを認識すべし。
マラソンに運動オンチは関係ないようだが、まずは根性から始まると知る。
憧れの“青春ドラマロケーション”で走ってみたい
一度は、「椎甲板ヘルニア」と診断された腰痛だが、正確な診断を求め、多数の大手病院や開業医の有名な整形外科医に診てもらった。
そのうち、腰痛だけでなく首の痛みや手足のしびれも発症。
とりあえず、痛みへの対処療法として、麻酔を使ったペインクリニックへ。
その後、街の一般的な接骨院をはじめ、器具で振動を与えるバイタルリアクト法やリンパマッサージのようなものなどを試し、目についた書物も読みまくった結果、病名や原因は不明。
つまりは先天的に「腰が弱い」。それが自分なりの結論だった。
腰痛の慢性的な痛みを知ると、恐怖にもなってくる。
以前読んだ『腰痛は怒りである』(長谷川淳史著・春秋社)という本。タイトルは少し過激だが、要は腰痛の主な原因をメンタル面として解説、その治癒法も解説していた。
科学的ではない内容ながら、長年腰痛と対峙してきた私には腑に落ちる部分もあった。
そして現在ではメンタル面からの治療法としてマインドフルネスも積極的に取り入れられている。
腰痛の原因が巷でよくいわれる、必ずしも背骨が湾曲や仙腸骨などのズレとは限らないということだ。
大きな川のある街に引越した。河川敷の土手からの見晴らしは、かつての青春ドラマそのものである。
腰痛は治っていなかったが、このロケーションで走らない手はないと思った。
痛くても走った。
走ると痛みがひどくなることもあり、時にはうまく動けなくなるが、痛みを理由にやめる気にはならなかった。
リレーマラソンに出ると仲間が増え、さらに楽しさが増していく。
どうせしびれや腰痛とは一生付き合っていかなければならないのならば、
こんな付き合い方でもいいのではないか。
そう考えるようになっていった。
結論:
腰痛は現代医学でも未だ完全に解明できない症状である。
恐れることなく向き合い、自分の限界を知り、完治することばかりを求めてもがくよりも、
付き合っていくと決意することも一つの選択肢である。
10キロ走からの脱却、そしてカラダへの愛しさを知る
調子にのって走り始めたものの、腰痛との付き合いはより濃厚な関係になっていった。
しびれも各所に、しかもいつ出てくるかは分からないが、そのうちおさまる。
整骨院探しは続き、メディアや友人からの情報収集はライフワークとなり、さまざまなストレッチや筋トレを学ぶうちに、何らかの共通点を見いだし、基礎や応用をつかんでいくようになった。
そんな“なんちゃって市民ランナー”になって数年後、ついにハーフマラソン(約21キロ)を走ることになった。
実際に走ってみると、どちらかというと瞬発力的な10キロ走とは大きく異なり、ハーフは長い旅の感があった。
「永遠に走れるのではないか」というランニングハイ状態と
「しんどい」「痛い」の時間が交互に訪れる。
「痛い」も腰ではなく、脇腹であったり、太ももであったりと場所を変える。
それらの生々しい痛みは、やがて生きている実感となり、自身のカラダへの愛しさに変わっていった。
「長距離の方が面白い!」
正直しんどいし、大会前にはそれなりの走り込みも必要だ。
それでも、ひとは面白い方に動く。
そしてついに、人気の高い那覇マラソンで初フルマラソンに出場。
タイムは5時間30分。
制限時間は確か6時間30分くらいだったので、わりとギリギリ。
それでも完走率は60%台(当時)の難関の大会での初マラソン完走は勲章ものだと思った。
実際友人と3人での参加だったが、全員が完走したことは、他の参加者やホテルの従業員にも賞賛された。
今も休息期間を挟みながら、走り続けている。
大会は10キロ、ハーフ、フルとさまざまな種目の中から、仕事とカラダの調子をみながらチョイスする。
腰痛との付き合いも続いているが、走り始めた頃に比べれば、私の方が有利な付き合いにはなり始めている。
つまり、以前よりも痛みを意識することは少なくなっている。
腰痛やその他の痛みに関する情報収集は続けている。
また、治療に関する見解や治療そのものの進歩も大いにある。
昔のように理学療法と称して、腰を引っ張る、温めるだけの治療は今は皆無だろう。
驚いたことに、最近検査した股関節や骨密度に関する結果は、同年齢の平均値を上回り、珍しく医者に褒められた。
結論:
走ることは楽しく、それ以上の何かを得る。
また痛みと付き合うことは、あきらめないことではあるが、ここは根性論ではない。
冷静に客観的に情報収集せよ。さらに友人の存在が大きな意味を持つ。
最後に。
ここにあげた腰痛やしびれに関する見解は、私個人のもので他の誰にも当てはまるものではありません。
ただ、痛みに関してもあきらめたらそこまで。医学的に明確な疾病でない限り、常にアンテナをはっておくことをお勧めします。