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ブライアン

映画「ボヘミアン・ラプソディー」を通じてフレディー・マーキュリーの生涯を讃えたいⅤ

 
   映画「ボヘミアン・ラプソディー」事実と違うところ!?   映画自体は、「フレディーの人間性」に焦点が当たっています。事実と異なる箇所も実際かなりありました。  例えばソロデビューしたのは、ドラムのロジャーテイラーの方が先だとか、フレディーのHIV(AIDS)感染が分かったのはライブエイドの前(1985年)ではなく、二年後の1987年だったとか。   限られた時間内で映画化するには、どこかに焦点を当ててまとめあげる必要があったのだという事が分かります。  実際はフレディーのゲイ・カルチャーでの派手な奇行ぶりや、ドラッグ、酒、セックス、パーティーといった乱れた私生活、音楽性の方向などでライブ・エイド前は解散危機だったのです。        しかしそもそもクイーンの四人はそれぞれがソロ活動が出来る程の、異なる音楽性を持つ個性の集まりでした。ギターのブライアン・メイが父親と作ったところから始まるこだわりのギターが奏でる奇跡的な音色は独自の音が出せるようになっていたから、シンセサイザーに頼る事はしませんでした。  解散危機にもあったクイーンですから、ドラムのロジャー・テイラーはフレディーよりも先にソロ活動を始めていたし、ブライアン・メイとロジャー・テイラーとの音楽の方向性へのケンカの際はいつもフレディーが仲裁していたとか。  勿論フレディーの個性も含め、いつもみんなでケンカをしながら製作を続けていたそうです。それは各々の個性とプロ根性から来るもので、実際それで良い物が産まれていったようです。仕事への情熱が強いメンバーの集まりだったんでしょうね。      ロジャーの声はドラマーとはいえ、少年時代に聖歌隊で鍛えた美しいソプラノ・ボイス。本当に素晴らしい歌唱力で、それにも驚きます。「I'm in love with my car」を歌うロジャーの若いソプラノ・ボイスと激しいドラムは感動もので、1人でも充分にやっていけていたのです。     最後の恋人、ジム・ハットンを探すために電話帳で片っ端からあたるというのも事実とは異なりますが、フレディーの執拗なこだわりと執念と熱意なら、出来ない事でもやって可能にしてしまうという点で、筋としてはおかしくないと考えられます。  実際はゲイ・クラブで何回か会って、フレディーからのおごりのお酒を断っていたジムが、最後はお酒をごちそうになる事になるそんなやりとりなのですが、この映画に色濃くゲイ・カルチャーに耽溺…
スコア: 1.47
2019/02/17

映画「ボヘミアン・ラプソディー」を通じてフレディー・マーキュリーの生涯を讃えたいⅥ

 
フレディーが残した「日本語」の歌   本国イギリスでまだ認められていない時に日本で大ブレイクを果たし、勢いづいたクイーン。フレディーは日本の為にも、日本語で作ってくれた歌、「手をとりあって(Teo torriatte)<Let us cling together>」を作ってくれていました。      日本らしい慈愛に満ちた静かな歌で、東日本大震災の時にはチャリティーソングとしてCDに収録されています。ブライアンとロジャーがメッセージもくれました。    <手を取り合って このまま行こう 愛する人よ>  <静かな宵に 光を灯し 愛しき教えを抱き>           歌詞の原案は、1976年のクイーン再来日公演時に通訳を務めた鯨岡さんという女性がフレディーに頼まれて、彼の書いた歌詞をもとに日本語に訳したようです。ホテルやコンサート会場の片隅で、フレディーの注文に必死で応えて出来上がった歌詞なのだそうです。1977年に発表された5枚目のアルバム「華麗なるレース」に収録されていて、ファンの間では根強い人気があります。    フレディーがスペインに捧げた歌「バルセロナ」が出来るまで   どの国に行っても、大切な歌を残してきたフレディー。  チャレンジャーでもあり移り気でもあった彼は、ミュンヘンとN.Y.でクラブ三昧の日々を送り、それらからヒントを得たクラブのダンス・ミュージックを1985年にソロ・アルバム<Mr. BAD GUY>で発表していますが、これらは余りヒットしなかったようです。ブライアン・メイはこの頃の事を「フレディーは自身の独自のものを追求したいと言っていたが、出来上がったものの殆どはどこかのクラブ・シーンでよく聞く類のもので、僕はそれらを余り受け入れられなかった」と。   そんな事もあり、その後のフレディーはクラブ・ミュージックを捨て、ありとあらゆる仕事をコツコツとこなしていきました。ステージ・ミュージカル『タイム』の為のスケールの大きな主題歌、1955年のプラターズのヒット<グレート・プリテンダー>のカヴァーをシングル・リリースなど、今までにも増して精力的に仕事をしました。  彼はある日、友人とオペラを観ていて、スペインの伝説的なソプラノ女性歌手「モンセラ-ト・カバリエ」の驚異的な天使のような歌声をとても気に入ってしまいました。  どうにか彼女とお近づきになりたかった彼は、スペインにツアーで行った時に「カバリエに会えるかもしれないと…
スコア: 1.69
2019/02/15

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