衝撃的な日本と韓国の歴史を知っていく過程で、のしかかってくる重苦しさにも段階があったと前編で書きましたが、それは韓国に行ってからの体験で増していく一方でした。 韓国という国に行く。それはそもそも“アウェーである”という事を意味していました。自分の身に置きかえて考えた場合、自分の国が他国に占領され、祖父母が拷問され苦しみながら亡くなり、遺言で決して卑劣な日本人を許すなー。そのような文言が家訓として伝えられていたらー。敵国の子供として産まれている私達を、韓国の人々が許せないのは高校生だった私にも容易に理解出来ました。しかも、私達が何もしていないとしても、韓国にいる集団の日本人というだけで相当恨まれている感じを色んな場面で感じました。 韓国に自ら乗り込むのだから、日本人として恥ずかしくない行動を取るー。それを、ヒシヒシと感じながら訪れる韓国は、ただの外国旅行ではない、特別な体験となったのは言うまでもありません。 韓国の修学旅行では、毎日様々な事が予期せずに起こりました。 まずお寺の参拝に行ったのですが、二列になって先生に引率されながら広い境内の砂利道を歩いていた時の事です。反対側から、韓国の男子高校生の団体が来て、私達はあっという間に「取り囲まれて」しまったのです('Д') 何故だと思いますか?目的は、「写真」でした。 「一緒に写真を撮ってくれ」という感じに、ちょっと始まった輪があっという間に広がり、そのうち拉致されるような感じで韓国人の男子に取り囲まれて次々写真を撮られ、みんなもみくちゃになってしまいました。列はバラバラになって、先生がどこに居るか分からず、ちょっとしたパニックになりました。先生方は勿論全力で旗などで囲んで私達を守ろうとしてくれましたが、本当に驚いた出来事でした。別にアイドルが居た訳でもない、一般の日本の女子高生が制服で参拝していただけで、取り囲まれるような事態になった事。 そしてそれだけでは終わりませんでした。 同日中に、同じ参拝での砂利道の場所で、今度は韓国人のご老人が、私達の集団めがけて突然石を投げて来た事でした。それもよく分からなかったのですが、その現象からは明らかな敵意を感じましたので、やっぱり予想が的中したというような気持ちでした。 しかし同じ一日内で起きた二つの出来事は、考えれば考えるほど韓国という国の現状を如実に表していたと思います。 若い世代の、日本人や日…
修学旅行で、クラスの代表として「韓国独立記念館」を訪れた彼女たちは、その展示物がいかにむごたらしいかの説明をしながら嗚咽してしまって、途中から言葉に出来ませんでした。でもそれは、今(2018年)から28年くらい前の話なのです。その後はどうなのか調べてみたのですが、何回かリニューアルされている事が分かりました。 「韓国独立記念館」の設立が1987年。日本の第一次歴史教科書問題が起きたのが1982年。同年に設立委員会が発足しているので、実に5年の歳月をかけて設立されたのです。朝鮮半島の独立の受難の歴史の中で亡くなった人々を弔う為という名目で、寄付を国民から募って建てられました。 そこまで考えて初めて気付いた事は、彼女たちが観た展示物は、「韓国独立記念館」の設立二年後のもの、、。それは何回かのリニューアル前であり、設立真新しい展示内容を観たわけです。 彼女達が観た物は、軍国主義による朝鮮半島支配の歴史の中で、日本兵に取り囲まれて拷問されている同胞(女性を含む)を蝋人形で生々しく現した、数々の拷問シーンの「具体的再現」だったと思われます。実際にそのように言っていました(;O;) それを観るにあたり、日本人の私達が耐える勇気があるでしょうか??ましてや、高校二年生の無垢で真面目な女子高生が。 観なければならない、そうかもしれません。でも、どこまで見るかは個人に任せられるべきでしょう。 心理的に耐えられる人と、耐えられない人がいるのは当然だからです。 韓国中の子供から大人まで訪れる韓国独立記念館内の拷問関係の展示物が、当初は普通に具体的に様々再現されていたというんですから、韓国人の子供が受けるショックもかなりなものなのではないかという心配すらしてしまうような内容だったようです。調べれば具体的に色々出てくるので、気になる方は調べて貰うといいと思いますが、この報告文ですら書くだけでどっと疲労しますし、ため息が出てしまいます(^^; 大人の世界で一番恐ろしいショッキングな内容を蝋人形で全員が見られる状態で展示してある、、というのは、いくら目的の為とは言え、子を持つ親の立場からしたら、疑問が残ります。やはり、連れて来られた小学生の子供が受ける恐怖は測りしれないからです。 何事にも、段階というものがある気がするのです。そしてその段階は、一人ひとりの個の成熟度によっても違うと思いませんか? 同じ年でも、これか…