遺すもの、与えるもの ツイッターに流れてきた、新聞に投稿されたあるコラムが目に止まった。 その方は、20代に相次いで両親を亡くし、二人の苦労を重ねた短い人生はなんだったのかと考えたそうだ。しかし、30代後半になり、手元に『集めた』ものは自らの死とともに消えてなくなるが、『与えた』ものはそうではないと考えるようになった。いまは物心ともに両親が与えてくれたものをたどっているそうだ。若い頃に読んだ三浦綾子の小説「続氷点」に起因するとも書かれていた。 今年1月に父が亡くなり、私もそのことについて考えている。 しかし、考えるようになったきっかけは、情けない理由だ。父が生命保険に加入しておらず、周りの同年代からよく聞く「おりた保険金で○○した」ということがないからだ。お金は遺してくれなかった。では、なにを遺してくれたのか。我ながらひどい子どもだと思うが。 ラジオでは、よく亡くなった親の思い出話がメッセージとして読まれている。特に先週は日曜日が父の日ということもあり、父に関するメッセージが多かったように思う。 「父がジャズが好きでよく聴いていた曲です。私も今は大好きです」「おしゃれな父は、ブルーのお気に入りのシャツを大切にしていました」など。 しかし私は父に関して、他人に「こんな父だ」と伝えるようなかっこいいエピソードを思いつかない。 別に絶縁していたわけではないのだが。 そうだ、車が大好きだった。しかも熱烈なトヨタファンで、トヨタの車を4年に一度のくらいのペースで乗り換えていた。休みの日にはいつも車内を清掃し、車体を磨いていたから、社内外ともにいつもきれいだった。 運転もうまかった。 どんなカーブもなめらかにハンドルを切り、「乗せてもらていて心地いい」と母がいつも言っていた。しかし、通勤や所用以外に“ドライブ”と称して一人で出かけるようなことはなかった。足として使う以外に車には乗らなかった。 そして、70代前半に免許を返納してもらった。家族にしかわからない程度だったが、若干の認知症の症状が見られるようになったからだ。その頃は、運転といってもせいぜい週末に母を助手席に乗せてスーパーに買い物に行く程度だったが、人の少ない田舎道ではない。 「自分で電柱にぶつかるだけならいいよ。でも、人を巻き込んだら大変なことになるんよ」 実家に帰るたびに、結構きつい調子で父や母を追い込んでいたと思う。やがて、車庫から車が消え、…