1.の続きです。しかも、その問題の解決に尽力したのが、日本人だというのです。それは、「すしざんまい」の名物社長だとーーー。彼は、私がただ心を時折痛めるだけで実際には何の行動にも移さず何十年も無かった事にしていた間に、同じ問題を目にして何かしらの行動を起こし、結果的に海賊の撲滅に多大な影響を与え、ソマリアに隣接するジブチ共和国から勲章を与えられた事は、23年間何もしないで傍観してきた私に衝撃を与えました。そもそも何故ソマリア沖に海賊が横行していたのかー。ソマリアは昔、イタリアの植民地でした。1990年に内戦が始まり、無政府状態となって平和な生活が保てなくなっている状況下で、今度は2004年にスマトラ島沖地震による津波で壊滅的な被害を受けてしまったそうです。飢餓に苦しむ同国の海賊問題は2005年にはこの海域を通過する世界各国の船舶にも拡大し、ソマリア周辺海域は航行にも危険な地域となっていったのです。私は1996年くらいに貨物への海上保険の講座を受けてソマリア沖の海賊の話を聞きましたから、よくよく考えると、ソマリアで内戦が始まって以来、海賊が徐々に増えていき、天災も加わって2005年まで増加の一途を辿っていたという事が分かります。そこで日本、アメリカ、フランス、ドイツ、スペインなど各国の軍隊が懸命に警備にあたり、これには賛否両論ありましたが2011年には日本の自衛隊がソマリアに隣接するジブチ共和国に活動拠点を作ったそうです。その前後にジブチ共和国からの要請もあり、自衛隊の先輩でもあったという事ですしざんまいの名物社長がソマリアの現状の情報収集を行いつつ、漁業への協力体制を整え、実際にソマリア沖でマグロ漁行を行う為に動き始めたようです。ソマリア沖で実際にマグロが取れないか自ら検証しに行き、ソマリアに隣接する「ジブチ共和国」と漁業に関する合意書を取り付け、技術提供をし、同時に各国の自衛隊が海の安全を守る努力もする。民間で生活の方法を模索して仕事として提供してあげ、利益を出させ、生活の糧にさせていけば、わざわざ危険を冒して海賊なんてやらなくて済む訳です。自衛隊が安全を守り、民間が技術提供をするー両方からの支えで、なんと海賊がいなくなるまでにこぎつけていたのです。このニュースは私に力をくれました。長年の懸案事項が私の頭から払拭される日が来るなんて!「結果的にソマリア沖がマグロ漁業において有益な場所だったから、そこに目を付けて自分の利益にしただけだ」そういう解釈もあると思います。ただ、私はそれでもいいと思っています。仕事で生産力と物流ルートを整えれば、自ずと利益が付いて来ます。それをみんなで享受する。そこに一番尽力した代表が社長であり、それを利用して多額の利益を上げたとしても。私には普通の経済活動に見えます。そのやり方が行き過ぎていたら、勿論後でNOを突き付けましょう。でも、成果は成果として認められていいと思いませんか?実際、ジブチ共和国から勲章を貰っている事は事実であり、ただの自己都合だという批判を跳ね返す功績と言えるのではないでしょうか。物事には色々な角度と見方があります。私には事実の判断は出来ません。すしざんまいの木村清社長の海賊撲滅の逸話が拡散されている事を受けて、ノンフィクション作家の高野秀行氏が「事実と異なる」と反論していますので、念の為こちらに載せておきます。http://netgeek.biz/archives/65078これがどういった結末を迎えるにしろ、何十年もこの問題を気にしていた私にとって、何も無いより全然良いのです。議論がこうして熟していく事を期待しているからです。ただ各国の自衛隊の警備活動が功を奏しているだけかもしれません。でも、何かしら本当に活動をしているとしたら、それはやらないよりはずっと効果の高い事。全ての相乗効果であるかもしれないので、何とも判断がつきかねますが、でもソマリア沖で海賊がほとんど居なくなっているという事実は、注目すべきことです。最初から全て正しく出来る子供なんていないように、人間は沢山の失敗をして、議論を重ねて、それでも失敗して、段階を経て少しずつ様々なルートや方法を整えてきたのです。歴史がひっくり返る事も珍しくありません。もしかしたらこの話も、まだまだ過程なのかもしれませんし。これからも問題の視察、問題の対象との対話を重ね、一つ一つアイディアを検証しながらより良い方法を模索してみましょう。この世で起こる絶望的な出来事は、私達が何もしなければおそらくもっと悪化します。自分の身近に感じられた何かに、まずは小さな一歩目を踏み入れてみる。その長期的繰り返しで何かが変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。でも、自分が亡くなった後にでも何かが変わる可能性が少しでもあるのなら、やってみる価値はありませんか。むしろ、無くても仕方ないです。何事も、全部叶うなんて事はないのが人生です。ならば、叶わなくてもいい、少しでも信じる事をやってみて、結果駄目だったらやっぱり叶わなかったと泣きながら笑いたい。何もしないよりも、頑張ったけどたいした事は出来なかったと泣いて死ぬ方が私にとっては楽しくて悔いの無い人生と思えるからです。例えそれが自己都合だったとしても、こんなに大きな問題の解決に何十年もかかって尽力して取り組んだ人が居て、世界が変わっていく様を一般人で何も出来なかった私が身近に感じる事が出来たー、その事実に私は感謝したいのです。世界の難問をきっと解決出来るんだと信じ、私達は残された時間で希望と共に、今更ながら小さな第一歩を踏み出してみようではありませんかー。