豊かさとは、大きな家にエアコン完備、ふかふかのベッドに高価な調度品がある環境のことでもなく、欲しいものを持っていて何も困らない状態のことでもなく、この先何かしらの可能性や選択肢が無限にある状態のことだと解釈できるでしょう。 では、「豊かな旅」とは何でしょうか。きっちり計画がされている無駄のない旅行のことでしょうか。その土地のほとんどの観光地を制覇することができるツアーのことでしょうか。 人は生きる上で何かの選択をするたびに、"自分の選んだ道"と"選ばなかった道"に発生する「誤差」と向き合うことになります。 様々なシチュエーションに曖昧な定義で使われる「豊かさ」という言葉ですが、本当の豊かさを知ること、そして豊かさを手にいれるためのヒントは、この「誤差」という言葉にあると思います。 今回は、その「誤差」から切り口を開いていくためにも、その誤差が最も発生しやすい「旅」という行為を主体にして記事にしました。 「豊かな旅」と「そうでない旅」。 そこに存在する「誤差」が今回のテーマです。 〜旅と観光の誤差〜 普段行かない土地へ足を運ぶ時に使われる"旅"や"観光"という言葉ですが、それらを同じような意味あいで使われるということに、少し違和感を覚える方もいるかと思います。 実際にそれぞれの意味を調べてみると、 旅:住んでいる所を離れて、よその土地を訪ねること。 (参考元:https://dictionary.goo.ne.jp/jn/138208/meaning/m0u/) 観光:他の国や地方の風景・史跡・風物などを見物すること。 (参考元:https://dictionary.goo.ne.jp/jn/48016/meaning/m0u/) とあります。 ほとんど一緒な意味に思えますが、簡単に言えば、"旅"とは訪れるという行為自体が目的、"観光"とは風景や風物などを見物することが目的です。 つまり"旅"には具体的な目的がなく、偶然性に満ち溢れていてそこから何かを知ったり、突発的な体験を楽しむ行為です。 反対に"観光"とは、見るべきものが決まっていて、確実性が重視されます。そして事前に雑誌や噂話しなどで感じた魅力や素晴らしさを、実際に訪れて確認するという行為です。 そしてそれらの意味合いが微妙に異なるように、"旅"をするのか"観光"をするのかで、そこでできる体験の豊かさももちろん違ってきます。豊かな旅をするためには…
私立の女子高校生時代、私は韓国に修学旅行に行きました。キャッチフレーズはこうでした。 「近くて遠い国~韓国」 とても真面目な仏教主義の女子高でしたし、英語教育に定評のある学校でした。 私のクラスは特に英語が得意な人が集まって構成されている英語特進クラスでしたので、毎日三時間の英語の時間が確保されていました。 韓国には姉妹校があった為、そちらを訪問して異文化交流する目的もあり、韓国の歴史を勉強してから現地を訪れる事になっていました。修学旅行の一年くらい前から、姉妹校の韓国人女子高生と文通をするプロジェクトが行われ、クラス全員で韓国の姉妹校の生徒達宛てに、英語の手紙を授業内で書いたりしていました。 外国人に手紙を出したのは、高校一年生の時に友達とトム・クルーズにファンレターを書いた時以来で(^^; 女子校は当然男子が居ないので、夢見放題なところもあり、無邪気で楽しい女子校時代でした。 しかし、修学旅行一年前から徐々に韓国の歴史を学び知るにつれ、今まで感じたことの無い重圧を感じるようになっていました。 平たく言えば日本が過去に植民地化した国に行き、その国の人々と仲良くなろう!というものです。 教科書で知る「韓国併合」は、調べれば調べる程、その国にこれから行くという無邪気な女子高生に冷水をかける、とてもとても重い歴史的事実でした。その衝撃的な日本と韓国の歴史を知っていく過程で、のしかかってくる重苦しさにも段階がありました。 初めの段階は、忘れもしません。 私のペンフレンドだった韓国の姉妹校の女子生徒と文通をする中で、ある日こう書かれた手紙が私の元に届きました。 「あなたは、韓国と日本の歴史について、どう思うかー」 この難問に英語で答える、それが私の高校二年生の時の英語の課題でした。 無邪気過ぎた高校生の私には少し重すぎる内容だった為、友達同士で手紙を見せ合って、一緒に文面を考え合ったりもしました。 色々悩んだ末に、悩んでいても仕方がない、これは正直に誠実に答えるしかないという結論に達し、それに対する返事は正直に書きました。 「昔の日本が韓国に対してとても悪い行いをした事は本当に残念だし、とても申し訳ない気持ちでいっぱいだ」とー。 他に書く事が無いくらい、それが全てでした。たったこれだけの文章ですが、これを書く気持ちの深さと疲労感は、当時の私には相当なものだったんです。まさに最後の体力を絞り出すような気持ち…
衝撃的な日本と韓国の歴史を知っていく過程で、のしかかってくる重苦しさにも段階があったと前編で書きましたが、それは韓国に行ってからの体験で増していく一方でした。 韓国という国に行く。それはそもそも“アウェーである”という事を意味していました。自分の身に置きかえて考えた場合、自分の国が他国に占領され、祖父母が拷問され苦しみながら亡くなり、遺言で決して卑劣な日本人を許すなー。そのような文言が家訓として伝えられていたらー。敵国の子供として産まれている私達を、韓国の人々が許せないのは高校生だった私にも容易に理解出来ました。しかも、私達が何もしていないとしても、韓国にいる集団の日本人というだけで相当恨まれている感じを色んな場面で感じました。 韓国に自ら乗り込むのだから、日本人として恥ずかしくない行動を取るー。それを、ヒシヒシと感じながら訪れる韓国は、ただの外国旅行ではない、特別な体験となったのは言うまでもありません。 韓国の修学旅行では、毎日様々な事が予期せずに起こりました。 まずお寺の参拝に行ったのですが、二列になって先生に引率されながら広い境内の砂利道を歩いていた時の事です。反対側から、韓国の男子高校生の団体が来て、私達はあっという間に「取り囲まれて」しまったのです('Д') 何故だと思いますか?目的は、「写真」でした。 「一緒に写真を撮ってくれ」という感じに、ちょっと始まった輪があっという間に広がり、そのうち拉致されるような感じで韓国人の男子に取り囲まれて次々写真を撮られ、みんなもみくちゃになってしまいました。列はバラバラになって、先生がどこに居るか分からず、ちょっとしたパニックになりました。先生方は勿論全力で旗などで囲んで私達を守ろうとしてくれましたが、本当に驚いた出来事でした。別にアイドルが居た訳でもない、一般の日本の女子高生が制服で参拝していただけで、取り囲まれるような事態になった事。 そしてそれだけでは終わりませんでした。 同日中に、同じ参拝での砂利道の場所で、今度は韓国人のご老人が、私達の集団めがけて突然石を投げて来た事でした。それもよく分からなかったのですが、その現象からは明らかな敵意を感じましたので、やっぱり予想が的中したというような気持ちでした。 しかし同じ一日内で起きた二つの出来事は、考えれば考えるほど韓国という国の現状を如実に表していたと思います。 若い世代の、日本人や日…