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子育て

社会貢献と女性の生き方~2.

 
  二人の子育てをしながら自分が女性として社会で生きていく不自由さの中で、「時間勤務での仕事」への復帰の厳しさも感じました。    歳をとってからとても感謝するようになったのは、自分が恵まれた教育を受けさせて貰えた事です。    女性は、質の高い教育を受けられたか受けられなかったかで、自分で人生を選択できるか、それとも結婚というシステムに従属するしかないかの未来が決まってしまうような気がするのです。  子供を産む未来を考えた時に、選択肢が、二つしかない、、??      大事なのは、「選択肢があるべき」という事だと思っています。産まれて来て、自分の職業を自分で選択出来る自由、自分の人生を自分で決められる自由、、。自由を勝ち取る為には、女性には沢山の闘いが待っています。    まずは、親との闘い。親はいつまでも子供を自分の思い通りにコントロールしていきたいという気持ちを持っています。  私は一人っ子の女の子でしたので、結構な圧力がいつも存在していました。    両親にもどこかで、子供は自分ではないという事、自分の所有物ではないという事を理解して貰わなければならなかったので、何度も話し合いもして来ました。    子供を産むかもしれない人生だからこそ、子供を産んでから気付く事があります。     女性の人生は、本当に難問だらけ。若いうちはとりあえず従うしかありませんでした。    何故なら日本では、みんなが我慢しているからです。戦後の、敗戦にもどんな屈辱にも耐えに耐えて国を1から大きくしてきた先人達のように、文句を言うな、ただ黙って上に従って、耐えに耐えて我慢するんだー。そんな価値観で若い人達を一喝する日本の年配の方々の多さ。    そして、私は最初に社会に出た時にそのような人達と「闘うな」と教わりました。闘っても、あなたが大変になるだけ。  問題が根深過ぎるから、関わらないようにする、表面上従って心を逃がす、そんな方法を私は日本の社会で先輩方を見ながら学んで来ました。    これが、日本の社会の「建前」と「本音」の違いです。外国人からは全く理解されない価値観であり、私は海外に留学した事もあるので、この日本独自の価値観が、どんどん受け入れられなくなりました。    日本の社会では、我慢が全てらしい。ぶつかって勝ち取るアメリカとは大違い。むしろ真逆ー。      日本では、本音を言う事が、社会的に許されない。何故でしょう???    「困る人」が居るからです。それは、例えば、みんなに嫌な仕事を押し付…
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2018/08/11

親の介護へ向かう前段階に気付いて、正しく身を守ろう Ⅱ

 
  我慢に我慢を重ね、傷付き過ぎて来たから、すぐキレる親  自分のコミュニケーション能力が低いのは十二分に分かっているから、そこに家族がズカズカと本当の事を言って来たら、今まで長年会社で我慢して来た分、キレてしまうという事なのですー。    父親は、ご近所の変わっている方と深く関わってしまい、近所で怒鳴り合い合戦を繰り広げてしまったり、母親もその人に急にクラクションを大きく鳴らすなど、近所で目立つ行動を取ってしまっていました。それにより私が、両親が悪くならないための時系列での状況整理の書類を作成し、警察に提出したりなどして両親を守ってきました。    この状況を上手くまわすのには、コツが要るー。  それが分かってしまっている時点で、もう二人の介護を同時にこなしているのです。            毎日毎日、親の介護から逃げられないとどうなるか  でも、自分がそれに気付いていなかったので、自分の心に負担をかけ過ぎてしまいました。    「どうして、こんなに私ばかり、大変な役をやらなければならないのだろう?パートナーは、仕事だけで、いいな。  私は、仕事にすら行かせて貰える環境にないのにー。  私がやらなければならない事は全て、無償の役目ばかり。私はどんなに勉強して大学を出ても、求められるのは所詮、発展途上国の家事労働を全てやらされる女の子と同じだな。  どこに働きに出る時間が捻出出来るのだろう?結婚なんて、ただの愛情の搾取だな。体よく騙されたって訳か ー 私も若くて愛とか信じて、馬鹿だったな」    そんな事ばかり考えながら、日々台所に立っていたので、台所に立つとその考えが頭から離れなくなり、台所に立っただけで泣いてしまう現象が続きました。悔しくて、仕方がなかった。    それを同時にこなしていたら、人生で初めて鬱になってしまいました。          台所に立つと、結婚して18年間の、女性として生きる全ての悔しさを思い出して、泣いて過呼吸になったり、泣いて興奮してしまうので、近寄れなくなりました。    パートナーの事は「ジャックと豆の木」に出てくる、その家の鬼の主人のように見えていました。    台所に立つとパニックになるので、一時は離れた場所で過ごしました。  両親2人と、パートナーに二人の子供、全員が私にぶら下がっているから、家から一生出られないんだという妄想が自分に取り付いていました。私には妄想でも何でもなかった、ただ毎日続く辛い現実なだけ。    夜中に寝られなくて、裸足で外に駆け出したい衝…
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2018/11/19

【いじめられ経験をもとに語る】先生の対応で逆に苦しんだ経験をしたから分かる、先生からの有効な対応を引き出す方法

 
私は子育て経験がありません。 ですが、「子育て」というカテゴリで主張したいことがあります。    それは、「いじめ」についてです。    私は、小学校4年生~中学3年生まで、いじめられていました。 田舎の学校なので、保育園から中学までメンバーはほぼ一緒(1学年1桁人数レベル)という狭い世界でも、いじめは普通に起こります。    約6年間、色んな人にいじめられてきましたが、初めにいじめてきたのは「転校生」でした。 親や学校に相談もして、何とか我慢して過ごしていましたが、担任の先生の対応が何とも残念だったことは、20年近く経った今でも根に持っています。   しかし、それだけを根に持っていても仕方ありません。振り返ってみれば、「あの時私(もしくは親)がこんな行動に出たら、先生の対応も少しは変わっていたかも。」ということもあります。  そこで今回は、「いじめられた話」、「担任の先生に相談した時のこと」、「 私(もしくは親)がこんな行動に出ていたらよかったかも」ということをお話します。  いじめに悩む・悩んでいそうなお子様をお持ちの保護者の方には、おすすめしたい内容です。          いじめられた経験  小3の終わりごろに、同級生の転校生が来ました。  小3のうちはそこそこ良好な関係だったのですが、小4に上がったあたりから、「バカ」、「アホ」、「その服似合わん」、「こっち来んといて」といった暴言を受けるようになりました。(もっといろいろ言われましたが、文章にするのも嫌な気分なので割愛します。)  暴力こそなかったものの、上記のような暴言の他、授業中や行事での仲間外れも日常茶飯事でした。さらに厄介なのが、 1学年1桁人数レベルという狭い世界なので、「この子と仲良くできないから他の子と仲良くしに行こう」という選択肢が、皆無に近いこと。  話せる相手もだんだんいなくなり、誰かに相談する勇気も出ないまま、小4の1年間が終わろうとしていました。      先生に相談したが、対応の不適切さと限界を知ることに終わる  小5に上がる少し前、勇気を出して担任の先生に、  「あの子から、こういうこととかああいうこととか、嫌なことされて、辛いんやけど…。」  と、相談してみました。  すると、その日の放課後に、私と転校生の両方が、同じ部屋に呼び出されました。先生と、私と、転校生の3人です。   それで、先生は「お互い仲良くできる?」と、いきなり私たち2人に言ってきました。   …
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2021/05/11

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