プレバト!!で俳句にはまる 「プレバト!!」という番組の俳句コーナーにはまっている。 タレントや政治家、舞踏家などの著名人がテーマとなる写真に合わせた俳句を提出し、毒舌先生と呼ばれる俳人・夏井いつき氏の添削を受けるというものだ。 評価の結果によっては昇格や降格などもあり、一喜一憂する著名人らの様子からは俳句に対して真剣に向き合っている姿がうかがえる。 プレバト!!で俳句をおもしろいと感じるようになってから、 夏井先生のラジオ『一句一遊』を聴いたり、夏井先生のドキュメンタリーを観たり、夏井先生のブログを読んだり、夏井先生の著書を購入したり。 …ん? もはや俳句よりも夏井先生にはまっているのかもしれない。 夏井先生との出会い 俳都・松山のある愛媛県に生まれた私は、夏井先生のことは学生のころから存じ上げていた。 愛媛の学生ならもちろん皆そうだろう。 松山には至る所に俳句ポストが設けられ、いつでもどこでも俳句を投函できるようになっている。路面電車などにも俳句がプリントされているなど、町中にひっそりと、でもたしかに俳句の存在がある。 プレバト!!でも時々取り上げられている”俳句甲子園”は松山のメインストリートで行われる夏の風物詩であるし、俳句を詠んだことのない者でも地元に俳句が根付いている感覚はなんとなくあるものだろう。 そしてローカルTVをはじめ、よく俳句関係の番組などに出演されているのが夏井先生だった。 しかし地元にいたときに感じていた夏井先生のイメージは”優しそうな先生”。はっきり言葉を喋られる印象はあったものの、あたたかく優しいイメージが先行していた。そのためプレバト!で数年ぶりにそのお姿を拝見したとき、毒舌先生と呼ばれていることには驚いた。 俳句初心者が感じたクラシックバレエとの共通点 俳都に慣れ親しんでいたといっても、俳句に関してはまったくの素人である。 ”俳句=5・7・5、季語を入れる” という学校で習ったままのイメージしかなかった俳句初心者。そんな私がプレバト!!を通じて俳句のことを少しずつ知っていくにつれて浮かび上がってきたのは、 ”俳句ってなんかクラシックバレエに似ている気がする…” という感覚だった。 定石がある。 崩してはいけないことはないが、崩し方によっては失敗する。 意識すべき基礎がいくつもあり、うまい人はそれらが身体にしみこんでいる。 伝統的である。 心情や映像を描く。…
皆さんは太宰治と聞くと何を思い浮かべますか?「難しそう・・」「暗そう」などのイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。実際、確かに彼の作品にはそういった暗く重たいテーマが扱われていることも多いです。しかし、太宰治の作品の多くは、人生の悩みに真摯に向き合い、それを隠さず描写してきたからこそ、何十年後の現代に生きる私たちにも不思議と共感できる作品が多いのです。 太宰作品がスマホで読める? 太宰治の作品は青空文庫になっています。 この青空文庫とは、著作権が消滅した作品などをインターネット上に公開する電子図書館のことです。タイトルをネットで検索すれば、簡単に作品の前文にアクセスすることができます。そのほかには青空文庫を読むためのスマホアプリもあり、スキマ時間に気軽に読書したい人におすすめです。 また、難しいと思われがちな太宰治の作品ですが、短編小説も多く残されており、意外と簡単に読み切れる作品が多いのも特徴です。そんな作品の中から、「私のお気に入りの一文」「あらすじ」「おすすめの理由」の三つの観点でおすすめ5選をご紹介していきます。 太宰治おすすめ作品①: ヴィヨンの妻 作品の短さ:★★★★☆読みやすさ:★★★★★知名度:★★★★★ 「けれども、こうして手短かに語ると、さして大きな難儀も無く、割に運がよく暮して来た人間のようにお思いになるかも知れませんが、人間の一生は地獄でございまして、寸善尺魔、とは、まったく本当の事でございますね。一寸の仕合せには一尺の魔物が必ずくっついてまいります。人間三百六十五日、何の心配も無い日が、一日、いや半日あったら、それは仕合せな人間です。」 【あらすじ】「天才」でありながら飲んだくれの生活を送る旦那の帰りを待っていた奥さんが、旦那の借金が原因で彼の行きつけの飲み屋で働き始めるお話です。 太宰治作品を読んでみたいけど、長い作品は自信がない…という人におすすめなのが『ヴィヨンの妻』です。作品自体が比較的短く短い時間で読めることや、物語の展開がシンプルなので読書に慣れていない人でも読みやすい作品です。幼子がありながらお酒を飲んだくれて家に帰らない夫が常に苦しみ、もがいているのに対して、妻は深刻なはずの悩み事を軽快にかわしていく描写が印象的です。どうしようもない人間なはずなのに、なぜか魅力的に見える、太宰の描くダメンズの典型例です。 ヴィヨンの妻 青空文…
日本で評価されることは、もちろんのこと日本の文化伝統風俗価値観に照らしてのことだ。 もらってきた外からの価値観を表面的に取り入れる同調圧力によって押しやられてしまった人達の非日常な戦いを描き、そこに起こっている価値観の戦いの本質を理解しないまま、自分がもともと持っていた価値観を押しつぶして日常送っている人に対して、元々あった価値観に希望を見出しているかに見せかけて、実際にはその葬式を助けているのが日本の現在の文化・文学ではないだろうか。 これは非常に破壊的な言葉だ。でも日本に住む信仰を持つ人にとって、漠然と感じている矛盾に対する答えとなるだろう。 勿論日本に希望はある。殉教者達の信仰が確固とした礎だ。 溝は、イエス様の愛についての理解の深さによる。