「どうして、誰も何も言ってくれないんだろう?」 職場で、ほかの場所で、そう思ったことはありませんか? あなたが行ったことに対して、「よかった」も「悪かった」も言ってもらえない。特にアドバイスもなく、何も言ってもらえない。本当にこれでいいんだろうか? 自分が良かれと思って行っていることは、本当に正しいんだろうか? それとも…… この無言は、とても微妙な問題だと思います。というのは、人によって大きく分けて、2つの理由が考えられるからです。 1つは、あなたの行いに対して「それでいい」と思うからこその無言。 そしてもう1つは、あなたに「何を言っても仕方ない」と思うからこその無言。 あなたの行いを「それでいい」と思うから、何も言わない場合。 正しい行いだったからこそ、特に何も言わない。そのまま、次の作業へ促す。その行い次第によっては、ひとこと「いいね!」くらいは言ってくれてもよさそうな気もしますが、確かに、逐一、「それでいいんだよ」「よくやったね」などと反応していたら、いくら時間があっても足りませんし、仕事が進みません。 ですので、大抵の現場では、「OK」な行為に対しては大概、無言で進んで行きます。あなたの上司…
現代社会は、たくさんの便利なものが溢れています。 日常生活の”いいね”を共有できます。 民泊を手軽に利用することもできます。 家で一言、「アレクサ、音楽かけて」と言えば、好きな音楽をかけてくれるようにもなっています。 でも、それだけ便利で人と簡単に繋がれる社会になっているのに、なぜか”生きづらさ”を感じてしまいます。 便利になり過ぎたからでしょうか。 既読無視を恐れないといけなくなったからでしょうか。 もちろんそうした、テクノロジーの発展によって生じた弊害で、”生きづらさ”を感じていることもあると思います。 でも、”生きづらさ”は、そうしたモノやテクノロジー以外のところに根本の原因があると思っています。 それは、”弱さを受け入れられない弱さ”にあるのではないでしょうか。 *** そもそも弱さとは何か。少しだけ考えてみましょう。 goo辞書にはこのように記述されていました。 ”力や技が劣っていること” この捉え方であれば、弱さを生み出しているのは、その人自身であると解釈できます。 でも、弱さはその人自身が生み出したものではなく、社会が生み出したものだと思っています。 例えば、引きこもり。 学校では、強制…
いまの世の中、いろんな生き方ができます。 ブロガー、ユーチューバー、旅人、フリーランス、経営者・・・などなど。 もちろん、カンタンになれるわけではありませんが、それでも生き方の選択肢は人類史上、もっとも多いでしょう。 いろんな生き方ができるようになったのに、ほかの人と同じように生きることがもとめられます。 強制的にクラス分けされた小学校、中学校、高等学校と通い続けることが求められ、 大学に進学して、4年生になったら喪服のような、まっくろのスーツを身にまといながら、 何度もなんども「いらない」と言われて続けて、就職活動をして、 就職したら1日の大半を労働に当てながら、45年間働き続けることがもとめられます。 ほかのひとと同じような進み方をすれば生きていくことはできます。 これだけ手厚いレールを用意されているのは、めぐまれている言えるかもしれません。 それでも、それだけ手厚いレールを敷かれているのに、ほかの人と同じようにすすみ続けれない人もいます。 学校に行くことがいやだったり、会社に入って働き続けることが嫌だったり。 理由は様々ですが、進み続けることに疲れてしまう人がいるのは事実です。 そうして社会全体が生きづら…
「手紙」と「英語の筆記体」の衰退 英語の筆記体が衰退して当たり前だと考える人達がいます。筆記体は日本における漢文の漢字のようなもので、既に衰退して久しいし、若い世代で使う人なんてもういないし、当たり前の現象だとー。 本当に「英語の筆記体」は、衰退してもいいのでしょうか? それと「手紙」の関係性について今日は考えてみたいと思います。 突然ですが、私は「手紙」が好きです。 「手紙は証拠になるから怖いし、賢い方法ではない」だの、「貰っても仕方ない」だの、なんと言われてもへっちゃらです。 好きな物は好き。だから、仕方がない。手紙には、紙の温もりがあるんです。今日の感情を表すのに適した紙は、明日の感情を表すのに適した紙とは言えない。そんなところからも分かる通り、手紙には個性がある。紙の持つ独特の風合いやそれぞれの温もりを手にした時、いつも心が癒されるからです。 手紙を書くのが好きな人は、大抵は受け取るのも好きな人であり、反対に手紙を書くのが好きでない人は、多分受け取るのも面倒なのかもしれませんー。 手紙というのは、その人を如実に表します。私は昔、物凄い本気のラブレターを何回か貰ったことがありますが、その形式が自…
このホテルの便せんに、この蒼いインクで書いた手紙はどんなにシックな仕上がりになるかしら。それに深紅のシーリングワックスを垂らして、自分のイニシャルのスタンプを押して出したら、美しい物が好きな彼女がどんなに喜んでくれるだろう、、。そう思うと、私はワクワクしながらそれらの道具を使って、見た事も無いような美しい手紙を作ってみるのでした。 旅先では必ず彼女達の胸を打つような便せんや絵葉書を買いました。彼女達は私からの「心のこもった手紙」が支えになったと後で言ってくれました。そしていつも感動と未知の物への文化的かつ芸術的な憧れを求めていたー。それは、彼女達に共通していた特徴でした。 メールもSNSもすっかり定着した現代人の生活。書籍は電子化し、本は所有しない、ミニマムなライフスタイル。年賀状を辞めて、SNSにしてみたり。そうやって捻出した貴重な時間と労力で、自分の生活を潤わせる。それが本当の「ゆとり」というものだから。無駄を省いて、心のゆとりを自ら選択する時代。情報を共有し、さっさと情報をインターネットの検索エンジンを利用して取り出し、「分かった気」になったら、すぐに終わらせて次の事へ。必要な情報を…
戦争が本格化し、美男もシラノも戦場に行きました。その間、美男には内緒でシラノは美男の名前で戦場から1日2回もロクサーヌに情熱的な手紙を書き続けていました。長年の想いを綴るのに、戦争中でも何の困難もありませんでした。溢れる想いを鳥の羽のペンにインクをつけてしたため、美しい筆記体で記していく手紙には、時々涙の跡やインクの滲み、興奮して急いで書くのであちこちにインクが垂れた跡があったり、指紋がついてしまったり、拳を握ってクシャッと折れてしまったり。それはそれは個性的で情熱的な手紙でした。それに気付いた美男は、彼女に想いを打ち明けるべきだとシラノに言いましたが、戦争で美男は帰らぬ人となってしまいます。ロクサーヌは、自分への情熱的な愛の手紙は全部、美男の夫からだったと信じたままー。シラノの彼女への想いは、永久に封印されてしまったのです。 喪に服するロクサーヌでしたが、歳をとってシラノと最後のささやかな昔話をしている最中に、手紙の主がなんとシラノだった事に今更気が付いたのでした。それが分かったロクサーヌは、鼻の事など気にもせず、ただシラノを愛しているから生きてくれと伝えましたが、そのささやかな最後の…
幕開けは感動的に 昨年末、平成の特集番組で何度も見た「平成」の文字を掲げる小渕官房長官。後に首相になる人だったとは、誰が予想していただろうか。 新年早々、仕事で前日から地方の旅館に宿泊していた私は、ロビーのテレビでお客さんと一緒にこの映像を見ていた。こんな記念すべき映像をこのシチュエーションで見るのは、いかがなものかと思いながらも、「平成」という元号に新しい時代の平和と希望が詰まっているように感じ、心が満たされていくようだった。きっとこれからも、いやこれからはもっと平和で豊かな素晴らしい時代がやってくるに違いない。今、この時この日本に、生まれ、生きていることの幸せを全身に感じていた。 平成になって5年、阪神淡路大震災に遭遇。 まだ大阪の友人宅に身を寄せていたある日、今度は取引先の企業のロビーで地下鉄サリン事件の映像を、その場にいた多くの人たちと見た。 「なんていう年なんだ」。心の中がざわついた。わくわくして平成の時代を迎えたはずなのに、わずか5年でこんなことが目の前で、そして自身にも起こっている。これから日本はどうなるんだ。暗鬱な気持ちになった。 消費税が始まった 平成と同時に消費税が始…
皆さんは太宰治と聞くと何を思い浮かべますか?「難しそう・・」「暗そう」などのイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。実際、確かに彼の作品にはそういった暗く重たいテーマが扱われていることも多いです。しかし、太宰治の作品の多くは、人生の悩みに真摯に向き合い、それを隠さず描写してきたからこそ、何十年後の現代に生きる私たちにも不思議と共感できる作品が多いのです。 太宰作品がスマホで読める? 太宰治の作品は青空文庫になっています。 この青空文庫とは、著作権が消滅した作品などをインターネット上に公開する電子図書館のことです。タイトルをネットで検索すれば、簡単に作品の前文にアクセスすることができます。そのほかには青空文庫を読むためのスマホアプリもあり、スキマ時間に気軽に読書したい人におすすめです。 また、難しいと思われがちな太宰治の作品ですが、短編小説も多く残されており、意外と簡単に読み切れる作品が多いのも特徴です。そんな作品の中から、「私のお気に入りの一文」「あらすじ」「おすすめの理由」の三つの観点でおすすめ5選をご紹介していきます。 太宰治おすすめ作品①: ヴィヨンの妻 作品の短さ:★★★★☆…
プレバト!!で俳句にはまる 「プレバト!!」という番組の俳句コーナーにはまっている。 タレントや政治家、舞踏家などの著名人がテーマとなる写真に合わせた俳句を提出し、毒舌先生と呼ばれる俳人・夏井いつき氏の添削を受けるというものだ。 評価の結果によっては昇格や降格などもあり、一喜一憂する著名人らの様子からは俳句に対して真剣に向き合っている姿がうかがえる。 プレバト!!で俳句をおもしろいと感じるようになってから、 夏井先生のラジオ『一句一遊』を聴いたり、夏井先生のドキュメンタリーを観たり、夏井先生のブログを読んだり、夏井先生の著書を購入したり。 …ん? もはや俳句よりも夏井先生にはまっているのかもしれない。 夏井先生との出会い 俳都・松山のある愛媛県に生まれた私は、夏井先生のことは学生のころから存じ上げていた。 愛媛の学生ならもちろん皆そうだろう。 松山には至る所に俳句ポストが設けられ、いつでもどこでも俳句を投函できるようになっている。路面電車などにも俳句がプリントされているなど、町中にひっそりと、でもたしかに俳句の存在がある。 プレバト!!でも時々取り上げられている”俳句甲子園”は松山のメインストリートで行われ…
日本で評価されることは、もちろんのこと日本の文化伝統風俗価値観に照らしてのことだ。 もらってきた外からの価値観を表面的に取り入れる同調圧力によって押しやられてしまった人達の非日常な戦いを描き、そこに起こっている価値観の戦いの本質を理解しないまま、自分がもともと持っていた価値観を押しつぶして日常送っている人に対して、元々あった価値観に希望を見出しているかに見せかけて、実際にはその葬式を助けているのが日本の現在の文化・文学ではないだろうか。 これは非常に破壊的な言葉だ。でも日本に住む信仰を持つ人にとって、漠然と感じている矛盾に対する答えとなるだろう。 勿論日本に希望はある。殉教者達の信仰が確固とした礎だ。 溝は、イエス様の愛についての理解の深さによる。