日本で評価されることは、もちろんのこと日本の文化伝統風俗価値観に照らしてのことだ。
もらってきた外からの価値観を表面的に取り入れる同調圧力によって押しやられてしまった人達の非日常な戦いを描き、そこに起こっている価値観の戦いの本質を理解しないまま、自分がもともと持っていた価値観を押しつぶして日常送っている人に対して、元々あった価値観に希望を見出しているかに見せかけて、実際にはその葬式を助けているのが日本の現在の文化・文学ではないだろうか。
これは非常に破壊的な言葉だ。
でも日本に住む信仰を持つ人にとって、漠然と感じている矛盾に対する答えとなるだろう。
勿論日本に希望はある。殉教者達の信仰が確固とした礎だ。
溝は、イエス様の愛についての理解の深さによる。