ネットというものが現れてから、僕らは巨大なネット空間を冒険し、膨大な数の情報を評価したりして、プラットフォームに行動データを提供し続けています。今回はテクノロジーの発展で、広大だったネット世界は閉鎖的で村社会的になっているという考えについて書きます。〜実は閉鎖的なネットの世界〜ネットは今まで開放的で、自由で、冒険的で、グローバルで、巨大な空間だったわけです。しかし、その認識はAIが進化し続ける今、間違えなく変化してきていると思う場面が多く見られるようになってきました。GoogleやYoutubeでは検索履歴からその人の行動データを記録し、その蓄積されたデータから分析して、その人の趣味嗜好に合わせたコンテンツや広告をネットの方から配信するようになっています。検索バーで文字を打ち込んでネットを徘徊するのも一見すれば冒険的に見えますが、その検索結果に表示されるのは、結局はAIによって選別されたコンテンツ一覧で、とても冒険的とは言えません。ニュースキュレーションでは好きなジャンルのニュースだけを選べ、SNSでは、自分の友達や興味のある人だけをフォローする。 今やネット世界の情報はその人に合ったもの、欲しいものだけに選別され、自分から探さなくても向こうからそれらがやってくるのです。とても便利ですが、このネットの変化の仕方は明らかに今までの冒険的、開放的なネットとは真逆で、ムラ社会的な動きでもあります。好きなもだけを受け入れる(やってくる)ネット社会。それはこれからもどんどん加速すると思うし、さらに欲しい情報がピンポイントで、探さなくても(探しているつもりでも)やってくるでしょう。youtubeが、子供用の「youtube kids」を出しました。 なぜ大人と子供用のyoutubeに分けたのかというと、広告配信の効率化が主な目的です。子供が見るような動画に子供が興味のない広告を出しても意味がないし、大人が見るような動画に子供用の広告を出しても意味がない。 つまりそれぞれのユーザーにあった広告を分けることで効率よく情報を与えることができ、企業にもユーザーにもメリットが生まれる。つまるところ、その人に合った広告や情報”だけ”を配信しています。このyoutubeでの例は、「大人」と「子供」でカテゴライズしたのです。〜これからはより閉鎖的に!?〜今後はさらに広告を無駄なく配信するために、性能を高め、検索履歴、購買履歴、行動履歴など、蓄積されていくデータを元にさらに細かいカテゴリでユーザーが分別されるようになり、それぞれに合った情報だけをピンポイントでネットの方が一方的に配信していきます。もちろん、これは広告主やユーザーにとっては良いことであります。しかし、コンテンツを書いたり、届けたりする”情報を配信する側”の人たちは考える余地があるでしょう。自分の書いたコンテンツがAIに選別されて、それを求めている人に届けられるという面では良いと思うし”情報配信”としては究極の姿だと思います。でも、別の言い方をすれば自分の記事が除外されやすくなるかもしれないということです。AIの選別性能が恐ろしいほど発達すると、コンテンツの需要が”完璧”に丸裸されるということ。競争が今より激しくなるかもしれません。ユーザーがとても細かいカテゴリで分別され、ネットの方から完璧にユーザーに合ったコンテンツを投げかけるようになり、今よりさらにメディアのクオリティ、コンテンツ力は求められるかもしれません。反対に、もしかすると競争が穏やかになるかもしれません。マイナーなコンテンツや、誰も持ってない情報を添えれば、大量のユーザーを取りこぼしてしまっても、それを必要としている一部の”マイナーなユーザー”にAIが届けてくれて、完全にスベるということは無くなるかもしれないです。さらに言えば根強いファンが付くということもあり得ます。今後は情報配信者にとって、どういうネット世界が待っているのかは、今の所解釈の余地が広すぎるので明確な予想はできません。ただ、今この段階で言えることは、ネットはAIの進化で今よりもどんどん閉鎖的、ムラ社会的、非冒険的になって、ネットが一方的に情報を選別して配信していくということ。 それはこれからもどんどん明確になっていくことでしょう。