マレーシア航空の運賃は曲者 最近の東南アジア旅行ではとりわけベトナム、タイとフィリピンの存在感が異次元なコスパの良さ故なのか大変大きいです。 確かに安ければ往復2万円未満ですからね、その点東南アジアでそれ以外の国に行こうとすると実は以外に安くないことに気が付かされることが多いのではないでしょうか?例えばマレーシアのクアラルンプールはエアアジアというLCCが直行便を飛ばしていますが往復4万円程度で抑えることができれば万々歳なくらいです。 そのさらに他の国ときたらもうはじめから期待できません。 ただ、そんな状況で何故かマレーシア航空が威力を発揮することが多く、今回筆者が成田・ジャカルタの往復で利用する際にかかった運賃は45000円でした。 忘れてはいけないのはマレーシア航空は日本航空のようにフルコストキャリアであることなのですが、そのときのLCCの運賃となんと5万を優に超えていました。マレーシア航空、東南アジア旅行の際には侮れない存在ですがマレーシア止まりにしたとたんに一気に高くなるという曲者でもあります。 乗る前の小話乗る前に知るといいことがあるかもしれない小話から入りましょう。小話は2部あります。 エコノミークラスだけどビジネスクラスレーンで? これができると空港で過ごす時間のみならず搭乗の時など、幅広い場面でゆとりをもって快適に過ごせますし、別の小話にもつながってきますが空港に早くからいようという気にもなれます。 実際、筆者は諸事情で日本航空のグローバルクラブ会員になって優先ステータス?ももらったのでこれがものの見事に実現し、空港での過ごし方がだいぶ変わりました。滑り込みセーフは以来やったことがありません(笑)。 それにしてもマレーシア航空なので航空会社が違うのに何故できるのかということですが、それは両者ともにワンワールドアライアンスという航空連合に入っているためです。 よく同じアライアンスだからマイルも貯まるという話を耳にしますがそれだけにはとどまらず、ステータスを持っていればビジネスクラスレーンでチェックインをし、搭乗の際には優先搭乗も適用されるのでエコノミークラスでは事実上一番乗り、ゆっくり荷物整理をする余裕もあります。 旅前のJALカレー JALカレーは大好きです! これをずっと楽しみにしていた筆者ですがこれはラウンジを使うことがないとなかなかお目にかかれないものです。それにしてもエ…
マレーシア旅行でまず頭に思い浮かぶのはクアラルンプールではないでしょうか?強いてクアラルンプール以外で言うとマラッカ、ペナン、ランカウイ島、コタキナバルあたりだと思いますが(地名が既に渋滞してますね)それでも最初は多くの場合クアラルンプールから始められる方が多いのではないでしょうか? こんなことを言ってしまってはあれなのですがクアラルンプール観光は1~2日もあれば殆ど終わってしまいます。 筆者は諸事情あって4日滞在していたので内2日は隣接するスランゴール州を訪ねていたわけなのですが今回は王都(マレーシアでは州ごとに王都があるため)のクラン(Klang)を訪ねました。予習0だったので着いたときのインパクトが絶妙でしたね(笑)。 なお、アクセスについてはKLセントラル駅からKTM Komuter(通勤列車)を使って約1時間と言った具合なので検討してみてくださいね。 こんなところにブルーモスクなんて聞いてない(笑) ブルーモスクというとトルコのイスタンブールのものが有名ですが実際にはいろいろなところにブルーモスクと形されるモスクが存在します。イランのイスファハーンと言い、ウズベキスタンのサマルカンドと言い、世界中?にあります。 マレーシアにも実はシャーアラムという町に知名度の高いブルーモスク(マスジドスルタンアブドルアゼィーズアラムシャー)があり、こちらは地球の歩き方などのガイドブックでもよく紹介されている場所です。 そして写真を見ればガイドブックには恐らく紹介されていないであろう青いドームやミナレットの美しいモスクのお出ましです。実はこのモスク、インド系で正しい名前はマスジドインディアとそのままです。インドというとヒンドゥー教のイメージが高いですが北部のベンガル地域などを中心に多くのムスリムがいます。 ちなみにこのインド式のブルーモスク、今でこそ写真のように立派な大きなモスクになりましたが設立当初は街角にひっそりと構えている程度のこじんまりとしたモスクだったそうです。 そのこじんまりとした元祖マスジドインディアは一度壊れてしまい、再建されたときにはインド系(厳密には後に独立するバングラデシュも含む)人口が増えていたこともあってか一回り大きく造られました。その後さらなる拡張を経て現在の姿になり、クラン(Klang)のインド人街(Little India)の象徴となっています。 それにしてもイ…
※重要※2020年3月21日現在マレーシアは外国人の入国禁止措置をとっています。 新型コロナウィルスのせいでまともに外に出ることすらかなわないという人が急増中です。 外出自粛など、こうなると確かにどうしようもないですからね。そうであっても世界には興味を引くものが数えきれないほどあるのもまた事実です。沈静化したらそんな場所を早速訪れたいものです。 それはそうと、先月マレーシアを訪れた際に大変興味深いモスクが南部ジョホール州都のジョホールバルにあったのでさらに少々調べてみました。そのモスクの名はアブバカールモスクです。 外見はモスクというよりヨーロッパ式の宮殿? 何も言われないでこの写真を見せたらむしろヨーロッパ式の宮殿と答えたくなるところですが、これぞ今回紹介するアブバカールモスク(正式名称はMasjid Negeri Sultan Abu Bakar)です。このような外観がヨーロッパ式のモスクは世界的に極めて希少な存在で、このような外観からマレーシアで最も美しいモスクのひとつとして賞賛されています。 それにしてもモスクというと大きなドーム状の屋根があるアラブもしくはオスマン、ペルシャ様式の建築のイメージが先行しますがどうしてここだけ異端児と言っても過言ではないモスクができたのでしょう?そこにはマレーシアの歴史が深くかかわっています。 1892年のマレーシアと英国ビクトリア様式 さて、1892年という数字ですがこれは建設されたときの年になります。1892年というとそこから18年遡ると1874年に英領マラヤが成立しています。つまり、マレーシアはこの時すでに英国統治下にあったことを示しています。 英国統治は第2次世界大戦時の1942年に一時旧日本軍により放逐されますが(その後さらにジョホールバルからゴムボートでさらにシンガポールから英軍を放逐したのも有名です)戦後返還されると1957年まで統治が続きました。 この英国統治こそ重要なキーワードのひとつになります。 冒頭部でヨーロッパ式の宮殿のように見えると述べましたが実はこの建築様式そのものが宗主国だった英国からもたらされたものです。 敢えて専門用語を用いるとビクトリア様式を採用しており、これは1837年から1901年にかけて在位したビクトリア女王の時代に確立されたものです。厳密には中世のゴシック様式に当時画期的だった近代素材をブレンドさせてできた…
悪名高いコロナが収束した暁にまた訪れたいと考えている国のひとつに中央アジアのカザフスタンがあります。 昨年早春に訪れた際、文化的にはウズベキスタンと言っても過言ではない南カザフスタンのとある世界遺産の廟建築を見学したのですが一部修復中だったのでまだ見れてない箇所が残ってるからです。特に見ておきたいのが美しい巨大な青いドームなのですがそれもまた当時は修復中でした....。 今回取り扱う世界遺産というのは中央アジアのメッカとは言われるものの未完のまま終わったホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟という廟建築で、南カザフスタン州都シムケントから鉄道で3時間ほど西へ進んだテュルキスタンにあります。 ホージャ・アフマド・ヤサヴィとは何者? ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟を知る上でまずは知っておきたい人物が廟の名前の由来となっているホージャ・アフマド・ヤサヴィー(Khoja Ahmad Yasawi)という人物です。 平たく言えば「イスラム学者」の一言でまとめられそうなのですが実際のキャリアは詩人でした。そうとは言ってもヤサヴィーは現在のウズベキスタンを拠点に中央アジアで広く宣教活動をし、カザフ人などの中央アジアにおけるテュルク系遊牧民のイスラム化に大きな影響力を持った人物でもありました。 廟のあるテュルキスタン(当時の名称はヤシ)もヤサヴィーが移住してから本格的に都市開発が始まった場所で、ヤサヴィーが没した場所でもありました。同様にここに葬られたことから「テュルクの聖なる土地」(ヤサヴィー本人もテュルク系であるため)という意味を込めたテュルキスタンという都市名になりました。 ティムール朝が本格的な廟を建立しようとするものの... ヤサヴィーの死後約200年が経過してティムール朝が勃興すると、初代君主であるティムールが当時あったヤサヴィーの廟の増築を命令します。ヤサヴィーの生前のキャリアとヤサヴィー自身が遊牧民から広く支持を集めている人物であったことも要因にあり、加えて当時敵対勢力圏に組み込まれていた地域の遊牧民からも支持を集めるという狙いもあったと考えられています。 こうして小さな廟からモスクや図書館も備えた機能的な大きな廟へと生まれ変わるものの、ティムールが死亡するや否や建設事業は結局打ち切りになりました。 写真は廟の南門を映したものですが、最初の写真のような青いタイルはなく、基礎部分がむき出しの…