前回の記事重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子~顎裂の手術(顎裂形成・顎裂部骨移植手術)にむけて①~ 今回も顎裂の手術までの記録です。 前回は手術までの矯正治療について書きましたが、今回は心の準備について書きたいと思います。我が子・ユウ(仮名)がどのように手術にむかって気持ちを作っていったのかが参考になれば幸いです。 顎裂形成手術(1回目)を受けることになったとき、ユウは小学校3年生でした。その前に手術を受けたのは就学するよりも前で、もう何年間も手術のない日々を過ごしていました。 どんなに幼くても本人に手術の説明はしてきましたが、今回はとくにしっかりと話しておく必要がありました。 就学し見通しがつくようになってきた分、手術がこわいという気持ちが生まれるかもしれない。 けれども、成長したからこそ得られたものもあり、それに手助けしてもらいたいと考えました。 これまでとの違いは、自分のまわりにある環境を大切に思う社会性ができたこと。 その社会性ががんばろうとする心を後押ししてくれたらと願いました。 また、術後は胃管を入れてしばらく経鼻栄養になったり、腸骨を切るため少しの間歩けなくなったりするので、自分で知っておかないと混乱すると思いました。 顎裂の手術が入ると決まったのは約4か月前の夏。 まず考えたのは「本人にどう言おう!」でした。歯医者に行くにも「ウィーンって削る?」と確認してくるようになった今、術後の生活に耐えるには本人にもそれなりの覚悟が必要です。 どうやって心の準備をさせていくか···。 3ヶ月前になって、手術をすることを伝えました。 「手術ってなに?」 腰の骨をとり、歯茎のすきまに入れて埋めることを伝えました。 「チクってするの?」「痛い?」 眠ってる間に終わるから手術してるときは痛くないよ、終わったら痛みはあるよという。 「え、ボク手術やだー」 これでそのときは終わりました。 日を改めて、手術の説明を軽くもう一度。3年生といってもみんなより幼く、長い説明は入りにくいので簡潔に伝えます。手術をすることで食べやすくなったり喋りやすくなったりすることも。 「えっホント?」 という反応で、拒否反応はなくこのときは終わりました。 そのあとは、「冬休みに○○行きたーい」とユウが言うたびに、 冬休みは手術だから無理だよだからここは早めに行こうここは春休みに行こう ということを伝えていきました。 そうしていくうち、だんだんと普段の…
小学校3年生のユウが受けた1回目の顎裂の手術。 前回の 「重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子~顎裂の手術(顎裂形成・顎裂部骨移植手術)②入院期間前半」 の続きになります。 術後7日目 いよいよ胃管が外れる日!朝食は経鼻栄養、そのあとチューブを抜く。スムーズに抜ける。 昼食から久しぶりのご飯! おかゆ(330g)は多いようで残してしまったが、おかずは完食。おいしかったよう。 しかし、夕食のおかずに竜田揚げが出る。 術後の傷口に大丈夫なのか?とか、1週間の流動食で消化機能も弱まっていたからおかゆが出されているのに竜田揚げって回復食になっているのか?とモヤモヤ。とりあえずユウはおかゆは残すものの、夕食もおかずは完食! 口からのお水やごはんはやっぱりうれしいようで、「明日のごはん何かな~?」とウキウキ。 創部付近の歯にはまだ触ってはいけない(歯磨きできない)。ユウはとても虫歯になりやすいため、看護師さんに頼んでおやつ・ジュースの提供はやめてもらう。 学校のみんなからのお手紙に返事を書く。 術後8日目 朝行くと、自分で着替えてTVを見ながら朝食をとっていた。寂しくなかったとのこと。 トイレイヤ、お風呂イヤ、鼻をかむのイヤ、宿題イヤ、靴下はくのイヤ、手洗うのイヤ…etc.小さなことで反抗をする。 看護師さんを通して担当医に術後の食事について尋ねてみたところ、やはり少し負担が大きいメニューだとのことで、「全がゆ+学童食」から「術後食」に切り替えることに。 甘いものを止めてもらっていたはずだが、おやつの時間にビスコとジュースが提供される。「夜からは術後食なのでおやつは出ません」といわれるが、夕食後にクリスマスケーキが出る。 見てしまったものは食べたいだろうから、仕方ない。 クリスマスの時期なので、病棟内でイベントが開催される。 入院していても季節感を楽しめる行事を企画してくださっているのはありがたい。 術後9日目 わがままを言いたい気持ちは分かるが、今日はイヤイヤなし!とお約束する。が、まだ排尿が頻回で一日何度も粗相があり、着替えるのをイヤがるのでそのたびに手こずる。トイレは「イヤ」と言わずに行くこと、汚れたら「イヤ」だと言わずに脱ぐことをお約束する。傷口のカバーをしているシーネを自分で洗う練習をする。学年が近い子と仲良くなり、プレイルームで一緒に遊んでいる。 術後10日目 …
前回までの記事で、 顎裂の手術(顎裂形成・顎裂部骨移植手術) について書いてきました。ユウは左側にも右側にも顎裂があるので、2回に分けての手術が必要です。 1回目はこれまで書いてきた記録の通りですが、実際は2回目の手術も終えています。1回目は小学3年生。2回目は4年生でした。 手術そのものの流れはほぼ同じですが、たった1年とはいえ子どもが成長したことでいくつか変化がありました。 今回はそんな変化について記したいと思います。 (写真はイメージです) 変化その① クラスメイトからの応援が受け入れられなかった しばらく学校をお休みすること、復帰後も(体育NGなど)学校生活に影響があることから、手術を受けることは前もってクラスメイトに伝えておくのですが、そうすると先生が気を利かせて「がんばれメッセージ」みたいなのを子どもたちに書かせてくれたりなんかします。 3年生の時はそれがうれしかったようなのですが、4年生の時は返ってプレッシャーになってしまったようです。あるいは、軽い気持ちで「手術のことをみんなに話すんだ」と言っていたのに盛大に応援されて「そんなに大きなことなのか」と思ってしまったのかもしれません。メッセージカードを受け取って帰ってきた日、自分からは読みたがらず、「○○くんも、▲▲くんも、ガンバレって言うからイヤだ・・・」と大泣きしてしまいました。手術までに開くことはなく、1年前のように入院先の病院に持って行くこともありませんでした。 (※カードは、手術から半年くらい経ったあと、自分から見返すようになりました。「こんなこと書いてくれてる!」と喜んでいます。) 変化その② 手術前日に泣いていた 手術前日、なかなか寝付けず、ベッドの中でシクシク一人で泣いていました。顔を見ようとすると布団をかぶってしまい、泣いている姿は見せたくないようでした。 変化その③ 麻酔が効くのに時間がかかった 3年生のときはすぐに麻酔が効いてスッと眠ったのですが、4年生では倍ほどの時間がかかったうえ効いていく途中で暴れるような仕草がありビックリしました。体重が増えて麻酔薬がまわるのに時間がかかることが原因だそうで問題はないとのこと。 変化その④ 術後、拘束をすすめられた 手術室から出てきてすぐは急に自由が利かなくなりますし、毎回目が覚めたとたんに暴れます。経鼻栄養の管を抜こうとしたり、テープの貼り替えを拒否したり…。大変なのですがそれ…
重度の口唇口蓋裂で生まれたユウも小学校高学年になりました。 子どもの段階で済ます最低限の手術は終え、あとは将来を見据えて治療を選択していくことになります。これまでの治療を振り返りながら、現在の様子とこれからについてをまとめておきたいと思います。 <ユウのこれまで> 妊娠中に口唇裂が判明します。出生後、口唇口蓋裂のなかでも重度である「両側性完全唇顎口蓋裂」だと分かりました。生まれてすぐに型取りをし、穴をふさいでミルクを飲みやすくするための「ホッツ床」を口蓋に装着します。 口唇裂の手術までは、唇を寄せるようにテープ矯正をしていました。そして、生後4ヶ月で口唇裂の手術をします。 2歳で口蓋裂の手術をしましたが、口蓋ろう孔(手術で閉じきれずにできてしまう穴)が発生します。また、この頃から言語訓練をスタートします。小学校低学年で、正常構音(正しい発音)を習得しました。 小学3年生、4年生で左右それぞれに分けて顎裂形成手術を行いました。 <ユウの現在の様子> 口蓋ろう孔があるので、口蓋に「閉鎖床」(プレート)をはめて生活しています。 言語訓練は続けています。訓練時はよい発音ができるようになったものの、日常生活では声門破裂音が強く残っておりまだまだ不明瞭であることから、正常構音(正しい発音)を日常化していけるように試みています。訓練の内容は個人差が大きいものですが、ユウの場合は正常構音の日常化を目的としているため、訓練にも方言のイントネーションを用いる・日常生活でも使うフレーズを取り入れるなどをしています。また、日常での「伝わった!」という実感を増やせるよう、学校の先生にも協力を仰いで「正しい発音でクラスの中で短文を読む時間」を作っていただいています。 口腔内の筋肉をしっかり使うために学校用の水筒はストロー式のものを使っています。 閉鎖床をつけていることなどから上あごの発育が阻害され、口蓋裂児は受け口になる傾向があります。ユウも閉鎖床についている拡張装置で上あごを拡張していますが、小学5年生後半からは就寝時のみ「フェイスマスク療法」を行っています。下の写真のように、ゴムを使って上あごを前方に引き出しています。 <ユウのこれから> 今後、正常構音が日常化すれば言語訓練は必要なくなるといわれています。 次の手術は、通常であれば口蓋ろう孔を塞ぐための手術。口蓋の再手術です。これは上あごが大人同様に発育し切ってから…