前回までの記事で、 顎裂の手術(顎裂形成・顎裂部骨移植手術) について書いてきました。
ユウは左側にも右側にも顎裂があるので、2回に分けての手術が必要です。
1回目はこれまで書いてきた記録の通りですが、実際は2回目の手術も終えています。
1回目は小学3年生。2回目は4年生でした。
手術そのものの流れはほぼ同じですが、たった1年とはいえ子どもが成長したことでいくつか変化がありました。
今回はそんな変化について記したいと思います。
(写真はイメージです)
変化その①
クラスメイトからの応援が受け入れられなかった
しばらく学校をお休みすること、復帰後も(体育NGなど)学校生活に影響があることから、手術を受けることは前もってクラスメイトに伝えておくのですが、そうすると先生が気を利かせて「がんばれメッセージ」みたいなのを子どもたちに書かせてくれたりなんかします。
3年生の時はそれがうれしかったようなのですが、4年生の時は返ってプレッシャーになってしまったようです。
あるいは、軽い気持ちで「手術のことをみんなに話すんだ」と言っていたのに盛大に応援されて「そんなに大きなことなのか」と思ってしまったのかもしれません。
メッセージカードを受け取って帰ってきた日、自分からは読みたがらず、「○○くんも、▲▲くんも、ガンバレって言うからイヤだ・・・」と大泣きしてしまいました。手術までに開くことはなく、1年前のように入院先の病院に持って行くこともありませんでした。
(※カードは、手術から半年くらい経ったあと、自分から見返すようになりました。「こんなこと書いてくれてる!」と喜んでいます。)
変化その②
手術前日に泣いていた
手術前日、なかなか寝付けず、ベッドの中でシクシク一人で泣いていました。
顔を見ようとすると布団をかぶってしまい、泣いている姿は見せたくないようでした。
変化その③
麻酔が効くのに時間がかかった
3年生のときはすぐに麻酔が効いてスッと眠ったのですが、4年生では倍ほどの時間がかかったうえ効いていく途中で暴れるような仕草がありビックリしました。
体重が増えて麻酔薬がまわるのに時間がかかることが原因だそうで問題はないとのこと。
変化その④
術後、拘束をすすめられた
手術室から出てきてすぐは急に自由が利かなくなりますし、毎回目が覚めたとたんに暴れます。
経鼻栄養の管を抜こうとしたり、テープの貼り替えを拒否したり…。
大変なのですがそれを阻止しながらなんとかなだめていくということを毎回やってきました。
この反応は3年生でも4年生でも変わらなかったのですが、4年生では「拘束させてもらっていいですか」と看護師さんから言われてしまいました。「私もいつまでもここに居られないので」と。まだ20分も経っていなかったと思います。
もちろん多忙を極める看護師さんの20分は貴重なものだとわかっていますし、ほかの患者さんのところに行ってあげなくてはいけないのもわかります。
でも自由が奪われて怒って暴れているのに、拘束をしたらもっとつらいです。物理的に動けなくなるだけで、息子の心は傷つきます。手術をするだけで心が傷つくのを毎回感じています。その上、そんな対応をしたくなかったです。
「もうちょっと待ってください」と、看護師さんにはその場を離れてもらって、息子が落ち着くのを待ちました。
結局拘束具は使用せずに済みましたが、胸が痛んだ出来事でした。
(ちなみに有効だったのは「砂時計」でした。暴れながらも少し周りが見えてきた瞬間に手に握らせると落ち着きました)
変化その⑤
車椅子に喜ばなくなった
3年生では、車椅子に乗れるという楽しみで術後翌日のツライ時期を乗り越えた感じがありました。2回目オペまでの間も「また車椅子乗りたいな~」と楽しみにしていたユウですが、いざ乗ったもののまったくテンションが上がらず。
車椅子で移動することがモチベーションになることはなく、このオペ以降「車椅子に乗りたい」とは言わなくなりました。
そればかりか、うつろな目で「おうち帰りたい・・・」とつぶやき、涙をポロリ。
変化その⑥
腰部の傷の回復が早かった
3年生では腰部の傷がかなり痛んだようで座っておくのも難しかったり「痛い、痛い」となかなか歩き出せなかったりしたユウですが、4年生では術後2日目にはかなり長時間座っていたし、3日目にはスムーズに歩きはじめました。あまり傷をかばうヒョコヒョコ歩きもなく、5日目ごろには走り出すなど…(止めました)。その後の生活を見ていても、ずいぶん腰部の回復が早かったように思います。
変化その⑦
チューブ姿を写真に撮られたくないと主張
自由に歩けるようになったユウを写真におさめようとすると、「鼻のチューブが入ってるから撮らないで。これが抜けたら撮っていい」と言われました。
3年生では考えられなかった反応に、情緒面の成長を感じました。
変化その⑧
着替えのイヤイヤがなくなった
1回目の顎裂オペで母や看護師さんを大いに悩ませた「着替え拒否」が、4年生でのオペではほとんどありませんでした。
服が汚れることも少し減りましたし、汚れても着替えに応じてくれるのでそこまで手こずることはなく、楽でした。
変化その⑨
一人で泊まることを拒否した
「ひとりで泊まる」ができた前回のオペとは違い、「一緒に泊まって」と毎晩要望。
術後の様子も安定してきたので一晩だけ自宅に帰ったら、早朝に経鼻栄養用のチューブを抜いてしまいました(反抗?)。
結局、その一晩以外はずっと付き添うことになりました。
以上!
ほとんどが精神的な変化によるもので、たった1年ですがこんなにも違いがあるんだなあと思いました。
とくに手術に対する恐怖心やプレッシャーなどは大きくなっていたように感じます。
ただ、術後2日目くらいになると点滴が取れ、上半身が動かせるようになり、不機嫌さがなくなっていって…という流れは同じ。それが分かっていたから、私も「明日には絶対に今よりラクになるからね」と声をかけてやることができました。
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