~お金、そして人間の価値~ 年収に人間の価値は左右されるのか 「年収1000万円」以上!! これを聞いた時の、人々の顔に私は注目しています(゜-゜) 多くの人はそれを聞いた途端にキラキラし始め、その眼差しはいつの間にか「尊敬」に変わり、その人が途方もなく凄い人に見えていませんか?(゜o゜) 「年収一千万円以上」が、何かしらの判断材料である事は確かですが、本当に手放しで尊敬していいものなのでしょうか?? 今日は「お金と人間の価値」について、深く考察してみたいと思います。 時代の変遷と共に揺れる価値観 多くの人が個人でお金を叩き出せる時代となりました。ブログを書いてヒットするようになれば、家に居ても何もしないでお金が入ってくる。そのブログに、ヒットする広告を載せればどんどんアクセスが伸び、更にお金が入るかもしれません。 WEBマーケティング、WEBライターなどは、何となくではありますが、横文字でカッコ良い現代的な職業の代名詞です。 興味深い事は、日本の現50代以降にその話をすると、一律に皆さん、「そんな事で安定した収入は出せるの?家族を支えられる?」と懐疑的。そして実際、それで生活を支えられるレベルの収入を得ている現代の若者世代を見ると、段々心のどこかで諦めていくようです。「ああ、もう努力の時代は終わったんだ。センスと個性の時代なんだー」と。 主体性のない人ほど踊らされていく現実 確かにWEBマーケティングを勉強すればする程、世の中の人々がいかにスマートフォンに操られてしまうかに気付いてしまうようになります。自分で選んでいる筈の情報も、既に自分の心理は読まれていて、WEBを作り上げた人々に踊らされるように、次々と上がって来たサイトを立ち上げてしまうー。 「極上の癒し宿特集」 「今食べたい秋の味覚5選」 「今から行きたい!温泉宿」 「絶景!紅葉スポット」 「食リポ!秋のお勧めスイーツ」 「デートでお勧めの隠れ家レストラン」 「痩せない人は アレのせい?」 「ヤバイヤバイヤバイ!!その時あなたなら!?」 これらが横に上がって来ると、調べていた事もそっちのけで、ついこれらの情報に踊らされてしまい、次々サイトを立ち上げていませんか? 気付いた時には既に操られている そう、既にWEBマーケテターの思うツボ。「相当考えられた仕掛け記事」である事が分かります('Д') 多くの人間の心理の動向を研究している人々が居て、移動中の気分…
かつてのネット界の風雲児、堀江貴文さんが逮捕されてから書いた著書「ゼロ~何も無い自分に小さなイチを足していく」の中で、大成功する前の彼の気持ちが書いてあった箇所が、とても衝撃的でしたー。 「早く早く、みんなが気付く前にー」 これこそがまさに、お金儲けの真実です。 自分らしくお金を稼ぐための「正しい価値観」 人がやらない事に焦点をあてて自分なりに諦める事なく継続し、物理的困難に沢山直面しますが逐一前向きに解決していけたとしましょう。諦めずに何年か継続して下さい。その困難を乗り越え続けます。その先にようやく見えてくるのが、成功への第一ステージです。それを繰り返して10年もすれば、それなりの道が出来ているでしょう。 社長になり、企業買収をし、人気にあやかって国会議員候補にまで担ぎ上げられた堀江貴文さん。彼の事を「息子」と呼びながら一緒に街頭演説した国会議員達も、彼が逮捕された後は掌を返すように散っていきましたー。 あの時の熱狂は、一体なんだったのか!? 答えは簡単です。他人からのバッシングをものともせずにただ、「やりたい事をやって成功した人」が今まで居なかっただけ。だからあの時、時代の寵児として一時的にヒーローになれたのでしょう。 やりたいようにやる人は、嫌われると相場が決まっています。そりゃそうですよね、日本は上から命令される事にひたすら「みんなが我慢するのが良しとされる国」。親からも、先生からも、我慢してそこそこやっていけと、みんな教わって来ましたよね。 そして間違いだったー。と、今、思いませんか?? やりたい事を、とことん追求する。他人がやったことの無いレベルまでこだわって。 既にやっている人が、やっていない細部まで。今の世界基準を超える程ー。 似ている事が無ければ、自分が創る。自分にしか見えない道を、やってみる。それが、本当の成功の鍵。 日本は島国だから、いつの間にか「日本でしか通じない価値観」に縛られがちです。気を付けましょう。 お金儲けの「真実」 伊集院静さんの著書「無頼のススメ」の40、41ページにも、こんな一言がありました。 「世の中で金をたくさん儲けたやつの八割は悪党だと思っておけ。」 「金を儲けるやつは基本的に悪党で、金もうけは悪いこと。そう考えておいた方がいいのです。」 「聖書にだって、『金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい』と書いてあるくらいだから。」 本当にお金を儲…
その一生懸命な姿を見て、私も保護者として出来る事は何かを考えるようになり、地域懇談会の後に私は敢えてこのように声をかけました。「お疲れ様でした。一番大きな声で、立派でしたね」と。先生は、嬉しそうに「ありがとうございます。お疲れさまでした」と笑いました。母親のような気持ちで(^^; 今もずっと見守っています。 残るのは、本人の「心意気」だけだ それから5年、あっという間にその先生は、リーダーシップを発揮しなければならない大事な6年生の担任へと、スピード出世していきました。「すごいスピード出世ですね、流石ですね!うちの下の子(弟)もお願いします!」と行く度に褒めて声をかけています。 おべっかではありません。「自分を信じて子供を預けてくれている保護者がいるんだ」という事実は、いつか彼が困難を乗り越える時の助けになるだろうーと、私は経験上知っているからです。 私が会社で困難に直面した時、思いもよらない人が私を助けてくれました。普段は黙って見ているけれど、普段から文句も言わずに一生懸命やっている人が困った時、社会では誰かが助けてくれるものなんです。 だから、誰も見ていなくても、全力投球していきましょう。そのあなたを、きっと誰かがいつか認めてくれる筈ー。 日本の関東の公立の小学校は、体力的にもやる事の多さの面でも、相当過酷な現場です。 ハンディキャップのある子供も、授業以外は一緒にみんなでという場面もあり、勉強以外も相当の忍耐力が要求されます。 沢山の生徒を抱えて多忙な中、怒りの表情も無く、ゆっくり丁寧に気持ちを紐解こうとしている姿は、5年間その先生を見守って来た私からは、嬉しい瞬間でした。 着任して早々、嘘をついた生徒を、廊下で怒鳴りつけてしまった事もあった新任の若い先生ー。生徒達から物凄く怖い先生だと、早々にレッテルを貼られてしまった事もありました。 でも失敗を繰り返しながらも着実に、「丁寧な先生になろう」と努力している。それが分かる現場でした。 経験値は確かにものを言います。ただ、同じ経験をしても飛躍的に成長する人と、そんなに変わらない人がいます。 それは、本人の「心意気」以外の何物でもないのです。 お金を稼ぐ人が一番偉い??私は長らく中~大企業の商社勤務をしていました。男性社会である事もあり、大企業に属する事で、仕事で使えるお金の大きさや、貰えるお給料の上であぐらをかいて、社内では上司のご機嫌取…
QUEEN フレディーマーキュリーが全身で表現していたのは、多様性への寛容では無かったか 彼らはもともと完璧だったのでしょうか? そもそも完璧って何? 人種?血筋? 代々続く名家? お金持ちである事? いいえ、違います。彼らはむしろ、対局の場所に居た、「はぐれ者」とも言えるほど普通の人々だった筈です。 フレディーも勿論、厳格な父親から認めて貰えないような、愛を求める孤独な青年でした。だからこそ、人の心の痛みが分かるのでしょう。人々の心を動かすような、彼の内面の葛藤や苦しみを表す哀愁に満ちた歌を創れたのです。 フレディー・マーキュリー、彼こそが、世界の偏見と非寛容の中で傷付いた1人の小さな少年だったのです。 そしてその『怒りや悲しみが爆発的なエネルギー』となって、音楽や芸術を伴って外に出て来た時、人はそれを「天才」と呼ぶのでしょう。 改めて芸術や音楽を考える 芸術とはそういうものではないでしょうか? ピカソがスペイン内戦中にドイツ空軍によって行われた都市ゲルニカの無差別爆撃にショックを受けて、怒りと共に製作した「ゲルニカ」然り。 異端審問所に呼ばれながらも、目を覆いたくなるような戦争の惨状からゴヤが描いた「我が子を喰らうサトゥルヌス」然りー。 ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクが描いた「叫び」然りです。 ムンクは幼少期に母親を亡くし、思春期に姉の死を迎えるなどして、病気や死について考えざるを得ない状況下にあったと言われています。 自分にしか出来ない事、それを追求した者達にしか見えない世界があります。本当の芸術は、時代へのアンチテーゼや自身の苦しみの体験から産まれる事が多いのです。 戦争や、正義を振りかざすエゴイズム、矛盾、人間同士の醜い覇権争い、それにより罪の無い者達が残虐に殺されたり、弱い物が犠牲を強いられる恐ろしい惨状ー。惨状の形は変わっても、人間社会の根本はこんなにも、まだ変わっていないのです。人間に産まれた業とも言えるものかもしれません。時代はこんなに変わっても、人間社会に生きる苦しみの根本は、何も変わっていないのです。 QUEENの音楽は、爆発的なパワーと圧倒的な芸術の共存 それは誰もが認めるところでしょう。フレディーの持つ圧倒的な美意識と、人間社会で苦しみ歪められた繊細な感情が歌になっているからこそ、彼そのものを表していたのです。 『自分の弱さを表現する』事を恐れず、世界に挑戦し続けた…
運動会での遊びといえば? 「パン食い競争」 障害物競争の「飴玉探し」 みんな大好き「パン食い競争」!!紐に平行につるされて並んでいるアンパンを、飛び上がって口にくわえてもぎ取り、ゴールする定番の競争です!手を後ろに縛り、大量の小麦粉の中でお父さんが顔を真っ白にしながら飴玉を探す「アメ食い競争」も、見ているだけで楽しかったものでした。でもいつの間にか『不衛生』という理由で、姿を消しました。 「人間ピラミッド」 運動会で名物だった子供達の組体操の「人間ピラミッド」は、何年か前に行き過ぎた5段以上のピラミッドがどこかの学校で崩れて以来、危険だと社会問題になり、とうとう何年か前に姿を消しました。そして組体操の「扇」なども含めて、なんと組体操自体が悪者扱いされてほぼ無くなっていきました。ここ3年(2015~2018年)くらいの間にです。 私の上の娘は5月の真夏日に近い熱い校庭で、体操服を着て裸足で人間ピラミッド(三段)や、扇、そのままバタンと土の上に胸から倒れるなど、一通りやりました。その後に社会問題となって組体操自体が無くなってしまったので、「私達が組体操をやった最後の世代ってこと!?」と娘自身が時代の変化にとても驚いていました。 「騎馬戦」 現在ではうちの小学校も騎馬戦だけは残っているのですが、全体の印象は随分と面白くない和やかな運動会になってきました。いわゆる「面白さにかける」感じです。平成は文明の変化により社会全体が「危ない事はやっちゃダメ!」という風潮になり、学校側も「波風を立てない方法」を選ぶ、クレームが来たら従って・・というような風潮が蔓延していきました。 ただし騎馬戦だけは唯一毎年物凄い見ものです。 戦国武将の闘いを見る様な本気の闘いで、小学校では大盛り上がりです。頭の上の紅白帽を取られたら負けなのですが、大抵最後まで残る騎馬隊は、学年でももともと有名な気の強い女子や荒っぽい男子だったりする訳です。その頂上決戦たるや、罵詈雑言を吐きながら子供が相手の帽子を奪う為に必死に上半身だけ組み合い、爪を立てたり引っかいたりしながら、ズルも込みで、手を組み合って押したり引いたり叩いたり、泣きながら帽子を奪い合う、小学校六年生の赤組対白組の負けられない戦いは、毎年、親も生徒もみんな立ち上がって声援を送っています。 2019年 我が家のお正月 将棋 中学生の娘が、小学校高学年からおじいちゃんと将棋を…