もしこの世にダンスという存在が無かったら。 そんな事を考えた事はありますか? ダンスには様々な可能性があります。 例えば、ダンスを通して友人が出来たり、価値観が変わったり、世界が広がったり。 私個人の主観になってしまいますが踊る事で喜びや希望、幸福を実感する事があります。 そして、時として悲しみや痛み、怒りや叫び、自分の中にあるネガティブな部分も踊りを通して表現する事が出来ると思っています。 何故あのような質問から始まったのか、冒頭からなんだか謎めいた質問でしたよね? というのも今現在世界中が非常に大変な事と直面しています。 具体的に何かとは此処では書きません。 それは、文字で表現するにはこのくらいの情報が限界なのと、充分に皆さまに伝わっているだろうと信じているからです。 本当なら踊りを通して表現してしまうのが一番ストレートに伝わるのでは?と思わずにはいられません。 余計なセリフも要らない。ただガムシャラに身体全部を使って、表情筋が痛くなるほどフル稼働で踊れたら…それが出来たら幸せなのになぁ… そんな事を思いながら今この記事を書いています。 さて!気持ちを入れ直して。 いつも通りの楽しい話題に変えますね。 今回は、ダンスの持つ力をテーマに。いかにダンスがパワフルで万能かというのを書いていきたいと思います。小さい子どもからお年寄りまで、身体と音楽が有ればどこでも出来る、なんなら音楽じゃなくて音だけでも、踊れる。 究極、生きてれば出来るそれがダンス、踊る事なんです。 場所だってその場に応じて動けば… あら不思議、もしかしたらヨガマット分の広さでも踊れるんですよ? 本当に万能なダンス!! さて、今は外に出れない為、「スタジオで踊れない!」「踊りに行きたい!」と嘆いているダンサーさん達が沢山いると思います。 小さな生徒さんから大人の生徒さん。みんなそろそろ広いスタジオで踊りたいですよね? 鏡で自分の動きを確認したい! と思ってるダンスチームのあなたや、バーを使ってしっかりバーレッスンしたいと思っているバレリーナなあなた、そしてみんなと一緒に楽しく踊りたいと思っている可愛い小さなダンサー達も、騙されたと思って聞いて欲しい。 なんでも良いから音を流してください。 あなたが好きな曲でいいです。足音や風の音、自分の心臓の音でも良いです。 その音に合わせて自由に動いてみてください。あっ!その時大事な事が一つ!イメージする事です。 周…
最近では義務教育としてだいぶ身近な存在となりつつあるダンス。 皆様の住んでる近所にも個人経営でのダンススクールをちらほら目にするのでは? かくなる私も自分でダンス教室を開いてます^_^ 近所の子ども達がメインのアットホームなクラスで生徒たちも、毎週のびのびと楽しんで踊ってくれてます。 都内に足を伸ばさなくてもダンスが楽しめる環境になったなぁーと思います。 都内だと大手のダンススタジオが軒並みありますよね。レベルによってだったり、女性専用、初心者専用、セミプロ専用(プロを目指しているダンサー限定)、海外のダンサー講師が多数在籍しているスタジオ等、例を挙げたらキリがないくらい日本のダンススタジオはとても豊富になってます。 もちろん、キッズクラス専用のスタジオもあるくらい、ダンスが身近でありつつ、日常になじみつつあります。私の幼い頃から想像つかない程です苦笑 さて、そんな身近になりつつあるダンスですが、義務教育となった事で大変な思いをしている人達がいます。学校の先生(主に体育の先生)です。 教員免許を習得する上での勉強はもちろん、体育における表現運動等、大学の授業できちんと勉強し、国家試験を合格して晴れて教員免許を習得出来るのですが、、、 ヒップホップの授業はカリキュラムに入ってない!!💦 趣味でスクールに通ってたり、ダンスサークルで踊っていた等、経験が有ればまだしも、まっっっったく経験が無い、しかもどちらかというとリズム感に自信が無い方はさぞかしびっくりされたと思います。 同時に、いや〜な汗をかかれたのでは? ダンス導入にあたり、学校の先生方がこぞってダンススクールに通ってる姿をTVで目の当たりにした時、思わず同情せずにはいられなかったです苦笑。 インタビューで教員歴の長い先生が、正直戸惑っている旨を語っている姿を見た時の私の感想はこうです。 「そうですよね(泣)いきなり今からダンスを学ぶといっても、0からのスタートで授業に間に合わせなきゃいけないとか、、、未経験の人間が舞台の振り付けを全部やらなきゃいけないくらいのプレッシャーだよ😭」 そして、その特集を観ていて気付いたのが、日本人って以外としたたかという事です。 さりげなく学校の先生達向けのクラスが開設されてるんですもの!! 明らかに、ここぞとばかりに新しく作った特別クラス。しかも、都内で大手とまでいかない中堅クラスのダンススタジオ。 うん、わかるよ?…
国に文化や習慣があるように、ダンスにもその国ならではの魅力がある。 ざっくり分けるとしたら 欧米が発祥のジャズ、ヒップホップ、タップダンス。 欧州が発祥のバレエ。 アフリカ発祥のアフリカン ハワイ発祥のフラとタヒチアン。 日本発祥の日本舞踊、ポピュラーな線で行くと盆踊り。 また更に細かく分けていくと、バレエから生まれたコンテンポラリー、創作ダンス。ジャズにヒップホップをMIXさせたジャズヒップホップ。 民族から生まれた、タイのワイクルーダンス、バリ島の伝統舞踊ケチャ、アイリッシュ発祥のケルトダンス、リバーダンス。 最近ではラグビー最強チームによるパフォーマンスの影響もあって知られるようになったハカ。 きっと私が知らないだけで、魅力あるダンスがこの世には沢山存在していると思う。 生まれた場所が違うのなら、リズムの取り方、ビートの刻み方も異なってくる。 例えば1・2・3・4とカウントをとる表拍と1と2の間にある・の部分でカウントがある裏拍のように。 ワルツやバレエが三拍子でカウントをきちんと取るかと思えば、コンテンポラリーのように突然変調したり、太鼓の音に合わせて踊るアフリカンや掛け声とともに踊るケチャやハカはそれこそ音や振動によってリズムの取り方が変わってくる。 数を数える時普通に数えれば1からスタートだが、ダンスは時として5からスタートしたり7からスタートする時がある。もっというと・1からスタートする時がある。 メロディーやリズム、振り付けによってビートの刻み方が変わる。 そう考えると、ダンスはとても自由である。そして自分自身を解放するツールにもなる。 少し昔になるが、「RIZE」という映画がダンスに通ずる人間だけではなく、周りの人間にも衝撃を与えた。 RIZE ライズ (字幕版) アマゾンプライムからはこちら というのもその映画の出演者に俳優や女優は1人も居ない、アーティストのツアーに参加しているダンサーも勿論いない。 完全なるダンスドキュメンタリー映画でCMでのナレーションがこれまた強烈だった。 『踊っているのではない、闘っているんだ!!』 これはこの映画のキャッチコピーなのだが、まさにその通りだ。 DVDを購入して観た時はかなりの衝撃だった。 サウスセントラルという、アメリカ史上最悪と言われるスラム街に住む若者達がメインに映されていくのだが…その街に住む若者はギャングになるかダンスチ…
まだ私が独身だったころ、とあるオープンスペースで行われた講習会に参加した。 そのタイトルは、障害とアート研究会『<異なる身体>の交感可能性 -コンテンポラリー・ダンスを手がかりに』。 学生のころから障害というキーワードに関心があり、またコンテンポラリーダンスの作品を観る機会が増えその魅力を感じていたから、興味深い2つのテーマが含有されるこの講習会には迷わず参加した。 今、障害をもつ子どもの親となりおおよそ10年近くが経つが、この講習会で得られた感覚が自分の中でかなり大切なものとなっている。 障害者とアート、障害者とダンスといった考察・取り組みはこの10年間でも拡がりを見せているといっても、福祉のプロでもなく、またダンサーでもないただの障害児の親にまでその波が及んでいるとはいいがたい。親にとっても聞いてよかったと思えるであろうこの講習会の内容を改めて振り返ってみたい。 講習の内容は、ざっくばらんに結論から言うと”障害者にもっとコンテンポラリーダンスのワークショップの機会を与えたい”―といったものだった。講師は、大学で発達心理を勉強したのち障害者施設で指導者として7年間勤務し、大学院でまた勉強をしている(当時)という渡邉あい子氏。障害者施設で働いていたときに実感することがたくさんあったそうだ。 たとえば、机の角を持って4人で運ぼうとするが、運ぶことができない。自分以外の3人がどのくらいの力を込めて机を持ち上げるかという予測ができない。また喧嘩ができない。怒っているということは分かるが、何に対しての怒りなのかということが受け取りきれない。 喧嘩というのがある共通認識の上にたったバトルだと解釈するとき、他者の状態を想像することができず、共通認識をそもそも持つことができない、ということだった。また、障害のある人がよくぶつかって転ぶ・・などの場面を目にしたとき、「身体がコミュニケーションを補っていないのではないか?」という問いが渡邉氏の心に浮かんできたそうだ。そしてそれに対して、コンテンポラリーダンスのワークショップというものが自分や他者の身体を見つめることに通じるのではないかと。 印象的だったのは、ケアとしてのワークショップではないということだ。この点が非常に興味深かった。日本の暗黒舞踏の創設者である舞踏家、土方巽(1928-1986年)が語るには、「自分でないもののような他者に棲みこまれ…