体験者自身が描いた「原爆の絵」をご存知ですか。
中学2、3年の頃、別のクラスの友人と一緒に帰るために、校門のすぐ近くにあるプレハブ小屋の市民図書館でよく待ち合わせをしていました。校舎内にある学校の図書館とは別に、近所の人たちも自由に出入りできる図書館でした。
ある日、一番目につく本棚に立てかけてあった広島の被曝体験者が描いた絵本を何気なく手に取りました。普通の人が描いた、というような副題があったように思います。
次々と目に飛び込んできたのは、衝撃的な絵でした。プロではない、絵が特別上手いわけではない人が描いているので、正直、一見しただけでは、それがどのような状況を描いているのかは分かりません。でも、どの絵からも聞こえるはずのない、また聞いたこともないはずの、阿鼻叫喚が発せられ、恐怖と苦しみが伝わってくるのです。少し冷静になり、絵の説明を読み、再び絵に目を戻すと、さらに深く突き刺さりました。
終戦から何年も経ってから記憶をたどって描かれたものばかりですが、全てが忘れられない記憶で、カラフルで鮮明で残酷なもの。いや、あまりにもこの世のものとは思えない残酷さから、どれだけ時間が経過しても鮮明でカラフルなのでしょう。
8月6日を知らないわけではありませんでしたが、でも何も知らなかったのだと、この絵本を見て思わずにはいられませんでした。
皮膚が焼けただれて垂れ下がり、あてもなく歩いている人。
飛び出した自分の目玉を手に持つ人。
動けず、ただ「水、水をください」という人。
真っ黒で男女の区別もない遺体。
子供をかばい、覆いかぶさってそのままの形で亡くなっている親子。
川を流れていく遺体。
火が迫る倒壊した家屋の中から手を振って「助けて」と叫ぶ人。
そして、その人たちに何もしてあげることができず、ただ手をあわせてその場を離れた作者たち。
どんなドキュメンタリー映像よりも、言葉巧みなナレーションよりも、その時の苦しみや悲しみ、辛さ、むごたらしさ、悲惨さが伝わってきます。
*図録「原爆の絵」 ヒロシマを伝える
https://www.iwanami.co.jp/book/b262811.html
知ろうとする努力
たった1発で起こるこの悲惨さを知れば、全世界の核保有国のトップは、すぐに廃棄しようと決断するはずと思うのは、子どものような発想なのでしょう。
でも、ほんとうに彼らは知っているのでしょうか。
彼らは、これらの絵を絶対に見たことはないはずです。
2016年には、米国の現職大統領として初めてオバマ大統領が広島を訪れましたが、感動の17分のスピーチを含めても滞在時間は1時間余り。平和記念資料館は約10分の“視察”でした。
2018年の平和記念式典には、米国の駐日大使をはじめ、核保有国を含む85カ国とEU代表が出席しました。平和記念資料館の本館の改修後(2019年春オープン予定)、皮膚が垂れ下がるなど原爆投下直後の人たちを表現した被曝再現人形は撤去されます。彼らは過去に資料館を訪れて、これらの展示を見学したのでしょうか。
それでも、現地を訪れることの意義はあると信じます。
真っ青な空が広く澄みわたり、緑の木々が美しく映え、ゆったりと流れる元安川のほとりを人々が戸惑うことなく歩いていく今の平和記念公園に立つと、73年前の悲劇を想像することしかできません。でも、今立っているこの場所にも焼けただれた人が倒れ、目の前の川には火傷をおった人たちがあふれていたはずです。胸に手をあて、目を閉じて、原爆投下前には今のような日常があったこと、8月6日午前8時15分に何が起こったのか、昼の12時ごろはどのような様子だったのか、夕方4時は、夜の10時は、翌日の7日の夜明けには、と時間が経過しても刻々と変化していくだけの惨状に思いを馳せることはできます。
そこには、知ろうとする努力が必要です。
伝える方法を模索して
広島県尾道市生まれの映画監督大林宣彦氏は、現在(2018年8月時点)肺がんと闘いながら創作活動を行っています。多くのメディアなどでの発言から、2016年の余命宣告を受けて以降、監督は戦争と原爆をテーマに撮ることを使命としているように思います。さらに、2011年3月11日の東日本大震災のあと、原発の終焉と、拝金主義に突き進んでいたそれまでの世の中の空気が変わると私自身が感じていたように監督も思っていたと知り、感慨深いものがありました。しかし、そうはなりませんでした。
被爆地のすぐ近くで生まれ育ち、終戦時7歳だった少年が見てきた戦中戦後。大人達の言動の変化に違和感を持った体験も含めて、監督は今を戦前だと断言し、これからの映画を“今の戦前”に生きる若者に伝えることを、また使命と感じているようです。
米国の核の傘の下にある日本は、安易に非核化を宣言するわけにはいきません。もとより、宣言したことで、大きく何かが動くとも思えません。
ただ、唯一の被曝国として、まだまだできることはあるのではないか。伝える方法はあるのではないかと思えるのです。