世界中の専門能力と救いたいという心が結集2018年6月、タイ北部のチェンライ県の国立公園内の洞窟に、少年12名とコーチ1名の計13名が、大雨のため閉じ込められ、救出までの3週間、世界中の人たちが見守る事態となりました。幸いなことに閉じ込められた13名は無事救出されましたが、救出作業にあたったダイバー1名が亡くなってしまいました。タイ北部の観光都市として有名なチェンマイから車で西へ約1時間。豊かな自然をたたえるチェンライは、昔から芸術家が集まる町で、ぶらぶら歩いていると、オープンなしつらえの工房をよく見かけました。タイが好きで何度も旅行し、今も親しみと関心を持つ私にとって、今回の事故は単なる海外のアクシデントではありませんでした。さらに「タイでどこが好き?」と聞かれれば、「チェンライ」と答えるくらい好きな町。何もないけど(特別に有名な名所旧跡がない)、少なくとも私は何かを感じとれる町です。話がそれましたが、そんなタイの田舎町に、世界中から13名を助けようと多くの人々が集まりました。まず、これはタイ政府の柔軟な姿勢にあると思われます。自分たちの能力では解決は難しいと考えた場合、外からの援助要請を素直に受け入れるという人間的素直さです。今や東アジアで発展目覚ましいタイでは、以前の発展途上国の頃のようにすべてにおいて援助を乞う必要はありません。でも、今回は差し出された手を素直に受け入れました。そこには、純粋に子ども達を救いたいという気持ちが、タイ人の誰の心にもあったからだと思います。すべては子どもたちのために以前、タイ旅行中に、私と同じ往復の航空チケットだけを手にした、2,3歳の子ども連れの日本人の親子に出会いました。「どこに行ってもタイの人が子どもを可愛がってくれるので、旅行が楽しい」と話していました。この若い親子との会話は、この国の新たな一面を知った、私にとっても楽しい旅の思い出でした。旅の思い出をもう一つ。バンコク銀行の本店に両替に行ったことがありました。昔から海外の観光客が多いタイでは、怪しい所も含め両替ができるところはたくさんありますが、暇な自由な旅行でしたので、タイの大手国立?銀行であるバンコク銀行の中に入ってみたいという好奇心からわざわざ出かけました。そこで見たのは、カウンター内のたくさんの行員が仕事をいている机の間を、4,5歳くらいの子どもが走り回っている姿でした。後に、企業からの出向で来日していた大手企業に勤めるタイ人の女性に、このことを話すと「それは行員の誰かの子どもよ。その日はきっと誰も見てくれる人がいなかったから、連れてきていたのよ。うちの会社でもよくあるわ」と説明してくれました。「会社はいいの? 誰も何も言わないの?」驚いた私は立て続けに質問をあびせました。「仕方ないよね」彼女は苦笑いしていましたが、仕方ないで済ませるタイ人のおおらかさに、さらに驚かずにはいられませんでした。洞窟からの救出後初めての13名の会見では、子ども達の精神的な負担に考慮し、事前に受けつけた質問のみに答えるように設定されました。さらに退院後、子ども達の自宅に直接取材に行った海外メディアをタイ政府は厳しく避難しました。暑い国の住人ならではなのか、タイの人はのんびりして先のことを考えすぎず、「マイペンライ(どうにかなるさ)」と言っていつも笑っているようなイメージがあります。ですから、この子ども達への厳格な対応には、正直驚きました。日本には「子は宝」という言葉がありますが、タイ人の場合は、国のためとか未来のためとかというよりも、もっとナチュラルに、本能的に大切にしているように思えます。もしも、この事故が日本で起こっていたならもしも、この事故が日本で発生していたら、まずコーチの責任を問いただしていたでしょう。実際に事故が発覚した直後には、「コーチの責任を問う声を聞かれます」という報道もありましたが、現地ではそのような発言があまり聞こえてこないことからか、いつの間にか日本のメディアからその主旨の発言はなくなりました。次に、国立公園ということもあり、洞窟の管理の責任を国の関係機関に問うていたでしょう。そして、同じく責任論からリスクを恐れるあまり、あのギリギリの救出作戦を指示できなかったのではないでしょうか。誰が悪いか、誰の責任か。はたまた自己責任か。最近の日本の悪しき慣習を恨めしく思わずにはいられません。さらに、ただ子ども達を守ることということに思いの至らない、日本の責任ある関係機関は、タイのように会見の方針やその後のメディアへの指示などを科学的かつ厳格に指示することはできなかったでしょう。今回のことで、あらためて「私が惚れた国だけのことはある」と自画自賛。もちろん、日本が好きです。ただ正直に言えば、羨ましくはありました。