「どうして、誰も何も言ってくれないんだろう?」 職場で、ほかの場所で、そう思ったことはありませんか? あなたが行ったことに対して、「よかった」も「悪かった」も言ってもらえない。特にアドバイスもなく、何も言ってもらえない。本当にこれでいいんだろうか? 自分が良かれと思って行っていることは、本当に正しいんだろうか? それとも…… この無言は、とても微妙な問題だと思います。というのは、人によって大きく分けて、2つの理由が考えられるからです。 1つは、あなたの行いに対して「それでいい」と思うからこその無言。 そしてもう1つは、あなたに「何を言っても仕方ない」と思うからこその無言。 あなたの行いを「それでいい」と思うから、何も言わない場合。 正しい行いだったからこそ、特に何も言わない。そのまま、次の作業へ促す。その行い次第によっては、ひとこと「いいね!」くらいは言ってくれてもよさそうな気もしますが、確かに、逐一、「それでいいんだよ」「よくやったね」などと反応していたら、いくら時間があっても足りませんし、仕事が進みません。 ですので、大抵の現場では、「OK」な行為に対しては大概、無言で進んで行きます。あなたの上司や同僚が何も言ってくれなかったとしても、それは大抵の場合、気にする必要もないでしょう。 でも、問題は後者の場合。 「この人に言っても仕方ないや」と思われてしまっている場合は、どうでしょうか。 きっと、あなたにも逆の経験があるのではないでしょうか。仕事をしていて、いくらアドバイスをしても聞き入れてくれない、あるいは理解してくれない人に出会ったことが。 そんな時、あなたならどうしますか? いくら言っても聞かないのなら、それ以上何か言っても時間の無駄。「もういいや」──そう思って諦めて、無反応でその人の行いを見過ごすのではないでしょうか。 ところが、これがもし、自分に対する無反応だとしたらどうでしょう。 自分が知らないうちに、周囲の人は冷静にあなたの行動を見て、分析して、「この人には何を言っても仕方ない、放っておこう」と諦めている。そして、いつの日かその諦めが、「もう、この人とは仕事をしたくない」という思いに変貌してしまったら。 無言は、とても怖いものだと、筆者は思います。 これまで、様々な現場で、仕事で、そう言った「無言」を見てきました。決して、その人に直接は言わない。なぜなら、直接言っても時間の無駄だと…
おっせかいが防いだある事件 何をヘラヘラ笑っているんだ。何が楽しいんだ。生きるってなんなんだ。もう、こんな世界は終わりにしたい。でも、自分一人が消えるのはなんか違う。誰でもいいから一緒に。 青年は、その定食屋に初めて入った。 誰かいるか、自分より弱いヤツ。食べ始めてしばらくすると、突然、前の席で一人で食べていたちょっと派手なオバサンが、青年に勢いよく話しかけてきた。 「若いんだから、もっとちゃんと食べなきゃだめよぉ。」 なんだ、このオバハン。 「あれ。やっぱり若い人はこんな油モンばっかり食べるんだよね。野菜もちゃんと食べなきゃ。これ、この煮物おいしいからあげる。ちゃんと食べなさいよ。若者!」 若い女性が店を出ていった。青年も後を追うように店を出た。外は雨が降っていた。少し空を見上げていると、あのオバハンも店の外に出てきた。 「あら、雨。あなた傘持ってないのね。じゃ、これあげるから。はい。あ、いいのいいの。うち近いからぱーっと走ればすぐだから。ビニール傘だから気にしなくていいのよ。じゃね。野菜もちゃんと食べるのよ」 気がつけば、手の中に傘があった。若い女性もオバハンも、もうどこにも見えなかった。 「なんだ、あのオバハン。」傘を見つめた青年は少し笑った。 これは、20年程前に観た名取裕子主役の人気ドラマシリーズのワンシーンです(脚色していますが)。 市井の人たちの日常を切り取った脚本がなんとなく好きだったシリーズですが、特にこの回は今も事あるごとに思い出されます。 青年はこの後、犯罪を犯すことなく去っていきます。何でもないおばさんのおせっかいが、一つの犯罪を防いだというお話です。しかも、功労者たる本人(名取裕子)は、そんな役目を果たしたとは思っていません。これが、日常のコミュニケーションの意義ではないかと今でも思います。 相手を知ろうとする気持ちと手間哲学者内田樹氏が、自身の著書「街場の共同体論」(潮出版社)の中で、コミュニケーションとは何かを問いかけています。 フランスで暮らしていた内田氏が、ある日スーパーでレジの女性に話しかけられます。しかし、フランス語に慣れていなかったせいか上手く聞き取れず、何度か聞き返します。そのうち女性は、もういいと手を振り拒絶しますが、諦めたくない内田氏はカウンター越しに身を乗り出して、もう一度ゆっくり話してほしいとお願いします。すると今度はちゃんと話の内容が…
2020年2月27日、日本中にこのようなニュースが報じられました。 「トイレットペーパー、なくなる」 このニュース、1973年に起きたオイルショックの時と同じ出来事なんです。今回は、日本人が失敗を繰り返す理由を3つ挙げてみました。私の意見ではありますが、最後まで見てくださいね。 目次 【1】説明が不十分 【2】過去の教訓が生かされにくい 【3】コミュニケーション不足 【4】終わりに 【1】説明が不十分 1973年に起きたオイルショックですが、学校の教科書にも載ってるので多くの人が知ってるのは事実です。この時に起きたトイレットペーパー騒動の模様も教科書に載ってますが、ツイッターなどを見てますと「説明が不十分」だと思いました。 1973年に起きたトイレットペーパー騒動の模様が写ってる写真の下を見ますと「石油やそれを原料とする製品が値上がりし、それを見こした買いだめも行われました」と書いてあるんです。 ところが、1973年に起きたトイレットペーパー騒動は2つの理由から起きてしまいました。 1つ目は当時の産業大臣である中曽根康弘さんの発言です。この時、原油価格が70パーセント引き上げを決めたため紙の節約を呼びかけたことが、騒動が始まるきっかけの1つになりました。 もう1つは、10月下旬に載ったスーパーのチラシです。それを見ると「紙がなくなる」と書いてありました。 実際はトイレットペーパーのセールを行ったことによりなくなっただけなんです。説明が不十分だったことを知らずに来たお客様がトイレットペーパーを大量に買っただけでなく、新聞に載ったため全国でトイレットペーパーがなくなるという騒動が起きてしまいました。 2020年に起きたトイレットペーパー騒動も「製造元が中国です」と書いてあるだけで根拠は薄いです。冷静になって考えると「中国で何パーセント製造してるのだろう?」などと疑問に思うところがいくつもありました。 それだけでなく、私はこのツイッターを見た瞬間笑いそうになったんです。「トイレットべーバーとティッシュベーバー」と書いてあるからです。現在は削除されてますが、よく読んだらおかしいところがいくつもありました。このような時には深呼吸を1回してから読みましょうね。 それと私から注意が1つあります。デマを流したことによって逮捕される時があるんです。2016年に起きた熊本地震の時「ライオンが逃げた」とツ…
画像:pixabay 僕は10年以上何かしらのコミュニティを運営し続けてきています。 現在は、”広島県福山市周辺最新情報”というFacebookグループをメインで運営しています。 メンバー数は8000人を超えましたが、管理人は僕一人です。 実際に体験した事を踏まえてコミュニティを運営のコツをお伝えします。 広島県福山市周辺最新情報Facebookグループはどんなグループ? まず、簡単に広島県福山市周辺最新情報Facebookグループについてご紹介します。 広島県福山市のローカルな情報を共有するFacebookグループで、宣伝・告知を禁止して主にイベントやお店の感想を投稿してもらっています。細かいルールはここに記載しています。 コミュニティを運営に関する4つの重要な質問 よく聞かれる質問を4つご紹介します。これらは基本的な事ではありますが重要な事です。この答えがそのまま、コミュニティ運営をする際に重要な要素となっています。 どうやって人を集めるのですか? 人の集め方ですが、人を集めるという事を意識するよりも、初期の段階では自分で良いコンテンツを投稿し続けるのがいいです。メリットが有る投稿を見たいと思ってもらえればメンバーになってくれる人は必ず出てきます。 人が集まり始めたら、メンバーが投稿しやすい空気感を作りましょう。管理に力を入れて”投稿してよかった”と思ってもらえるようにします。コメントで投稿の感想を書いたり、批判コメントが入ったら変わりに対応する等、投稿者と信頼関係を構築します。 自然にメンバーが投稿してくれるようになれば、コンテンツが増えていきグループに入るメリットも積み上がります。 ルール違反をしている人に注意すると嫌われませんか? 嫌われる事もありますが問題ありません。管理人がグループを守る為に注意するのは正当な事です。それで嫌われるのであれば、そのメンバーと無理に関わる必要はないと思っています。メンバーが入るグループを選べるように、管理人も共に活動するメンバーを選べます。 管理人として一番大切にしている事はなんですか? 嫌われる事を恐れず、理解されない事を恐れないという事です。コミュニティは価値観で集まるものです。管理人の考え方や方針に賛同してくれるメンバーが残っていけばいいです。考えが合わないメンバーを否定するのはなんだか悪い事のように感じてしまいがちですが、同じようなコンセプトのグル…
こんにちは。 今回は最近日本でも周知になってきたアスペルガー症候群(ASD、自閉スペクトラム症候群)について詳しくまとめていこうと思います。 近年、アスペルガー症候群の書籍やウェブサイトや専門家によるブログなどが多く出回っていますが、そこで問題とされているのがアスペルガー当事者、本人による著書やまとめが特に基本多いという点。 何故それが問題なのかというと、アスペルガー症候群とはまず他者とのコミュニケーションに想像力が無いというのが障害。 そういう目線で自己の障害を説明したものを書いても実際ほとんど当事者目線でしか説明ができていなく、障害自体に対する事実、他者との繋がりについてどう解決していくかなどの具体的な説明についてはどうしても偏りがあり、また他者との混乱を招いてしまっているのが現状です。 私は身内にアスペルガー系の問題のある人が多く、カサンドラ症候群で餌食になり死にかけた身として両者の目線からこちらで事実だけを説明していこうと思います。 ①アスペルガー症候群(ASD)は言語障害の無い自閉症 こちらも随分勘違いしている人が多いのですが、アスペルガー症候群(ASD, 自閉スペクトラム症候群)は言葉の喋れる自閉症と言われています。 ADHDや学習障害など、他の発達障害とここがかなり異なる点です。 つまりコミュニケーションに問題があるのは殆ど知能的に自閉症に近ければ不思議でないという事。しかし”自閉スペクトラム”なので、一概にどこからが障害、と断言しづらいのも難しいところです。 本人達は言葉を発しているし他人と関わっているのでみんなと同じ、と思っているかもしれませんが、そこに他人を不快にさせる言動(最近太ったね、あの人何で髪の毛が無いの?など)があればそれは他人と上手く関係が築けているわけでは無いですよね。 しかしそれが障害のため、他者と関係を上手く築くとはどういう事かがまず理解出来ていません。 ②暴力性を自認、コントロール出来ない 私は基本的に、自己認知が出来ないのがこの障害の最大の難しさかなと思っています。 一般に、自分勝手さとは暴力性と一致するのではと言われていますよね。 他者との自分というのを認知しているからとんでもないわがままや他者が傷つくような衝動は避けよう、という計算が出来ます。そしてそれは自分が生きているコミュニティに直接影響する事なので、自分が生きづらくなる=生きていけなくなるとい…
こんにちは! 「手書きPOPライター」として4年半ほど働いていた経験がある、ぴおっぷと申します。現在は、フリーランスの主婦です。 「手書きPOPライター」の具体的な仕事内容については【文字で接客!手書きPOPライターの仕事内容とは?】をご覧ください。 今回は、手書きPOPライターが抱える問題の一つ、「コミュニケーション問題」とその対処法を紹介していきます。 POPライターが抱えるコミュニケーション問題photoAC POPライターの仕事の流れとして、まず食品、生活用品などの、各売り場の担当者と相談しながら 「どのような売り場にするか」「どのようなイメージの手書きPOPを作成するか」 などを話し合います。 (※どのような売り場にするかや、キャッチコピーなどは自分で考えて書くPOPライターさんもいます。) 商品のことを全く知らない私たちよりも、毎日商品を見て商品のことをよく知っている売り場の各担当者がキャッチコピーなどを考えていました。 そして、新人の頃の私は担当者とのコミュニケーションで苦労しました。 その例をいくつか挙げましょう。 早番の私は遅番の担当者と勤務時間が合わず、話す機会がなかったのでどのようなPOPにするか困った経験がある。 手書きPOPのことをあまり重要視していない担当者がいて、「全部適当にしといて」などと言う人がいる。 POPを作り、売り場に「飾ってください」と言っても、全く使ってくれない人がいる。 これらの問題は、同じ職場で働いていたベテランさんも経験がありました。手書きPOPライターによくある問題だと思います。 コミュニケーション問題の解決photoAC 【よくある問題1】早番の私は遅番の担当者と勤務時間が合わず、話す機会がなかったのでどのようなPOPにするか困った経験がある。 【解決策】手紙、メモでやり取りをし、どのような売り場の展開にするかのイメージを教えてもらう。 手紙やメモは文章だけだと堅苦しくなるので、少しイラストを添えるなどをして印象を良くすることが大事です。人づてに聞くことも考えましたが、本人との齟齬が生まれる可能性があったので、本人と直接やり取りをしました。 【よくある問題2】手書きPOPのことをあまり重要視していない担当者がいて、「全部適当にしといて」などと言う人がいる。 【解決策】全て一人でPOPを作ってしまうのではなく、担当者に自分が作成したい…
「重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子」シリーズ、約2年ぶりの投稿となりました。現在、「難しいな」と感じていることがあるので、それについて記してみようと思います。 重度の口唇口蓋裂で生まれたユウ(仮名)は、約1年ほど前から、言語訓練のための通院に「行きたくない」と言うようになり、自宅での言語の練習も嫌がるようになりました。 (写真はイメージです) 考えられる理由はいくつかあります。 思春期・反抗期と呼ばれる時期に突入した 訓練内容にやりがいがなくなった 発音が不明瞭でも本人が困らない きれいに発音できたときの成功体験が少ない 思春期・反抗期と呼ばれる時期に突入した ユウは自己主張はする子でしたが、どちらかといえば従順で、基本的に「やりなさいと言われたことはやる」子でした。小学校中学年くらいから、面倒なことを後回しにすることは出てきましたが、結果的にはやる。ユウ本人は時間の見通しがつきづらいため、親がタイムリミットを決めて必ずやらせていたというのもあります。 しかし、親の言うことがウザイと感じる年齢になり、怒っても反抗や無視をするという手段を知りました。「最終的にやらないでもなんとかなる」というのを徐々に覚え、「サボる」ことを知ったんですね。 同時に、それまでは遊びといっても何時間も熱中するようなものはなかったのですが、漫画やゲームなど没頭できるツールができ、生活の中に「ラクで楽しいこと」が占める割合が増えてきました。 そうなると、自宅での言語練習なんて面倒になるのは当然です。 訓練内容にやりがいがなくなった 訓練の内容が変わり映えせず、成果が目に見えてわからないのもやる気を削いでいる要因かもしれません。 これまでの記事でもお話したように、ユウは現在、気をつけて喋ると正常な発音ができます。ですが、「気をつけて喋る」ということが日常生活ではできないという状態です。この状態がこの3年間ほど続いています。 正常な発音を習得するまでは、訓練を通して「言えたことのない音が言えるようになった」というやりがいを得られていました。ユウ自身が「よっしゃ!」と手ごたえを感じている場面も多々ありましたし、親の私にも常に驚きと感動がありました。 訓練時にすべての音が発音できるようになったことで、訓練での成長がなくなり、親子ともにマンネリを感じてきていました。訓練内容も新しいことを試すというよりは、正しい発音ができる機能…