同性愛者の人なら1度は自分の『子供』について考えたことがあると思う。 同性愛者として同性パートナーと付き合っていく中で、あえて子供のことは考えないようにして生きている人もいれば、どうにかして遺伝子を引き継いだ子供が欲しいと切望している人もいる。 実際、子供を持つことに対して全く興味がない人もいる一方で、同性間だと子供を残すことができないということに深く悩んでいる人も少なくないのだ。 同性婚が認められている国に移住し、そこで養子を貰うこともできるが…果たして"同性間生殖"は可能なのだろうか? 2014,2015年頃、iPS細胞が頻繁に取り上げられ、2.3年後にはゲイカップルが子供を作れるようになるのではないか、という話が度々浮上した。 あれから数年経ち現在2018年。色々な問題を抱えながらも研究は日々進んでいるみたいだが、まだiPS細胞で同性間の子供が作れるといった話は聞かない。 今回はiPS細胞について振り返るとともに、今後もし同性カップルが子供を作れるようになった場合(近い将来?)の倫理的な問題等に触れていきたい思う。 ■iPS細胞とは iPS細胞は、人工多能性幹細胞と言う。 『京都大学山中教授が作製に成功した、皮膚細胞に特定の4つの遺伝子を導入することで、さまざまな細胞への分化が可能になった万能細胞。再生医療への応用が期待されています。』【引用元:https://www.yokohama-cu.ac.jp/whistle/w19ips.html】 再生医療とは、病気や怪我などで損なわれた機能を回復させることを目的とした治療法のことだ。 iPS細の多分化機能を利用すれば様々な細胞を作り出すことができるので、例えば糖尿病であれば、血糖値をコントロールする能力を持つ細胞を作ることなど出来るようになるなど考えられる。 ■iPS細胞で卵子が作れる? 仮にゲイ男性Aとゲイ男性Bの同性カップル間で子供を作るとしよう。まず、ゲイ男性Aの髪の毛や皮膚などから万能細胞であるiPS細胞を作り出す。続いてそのiPS細胞から卵子を作り出す。そして、その卵子と男性Bの精子を受精させると、見事受精卵ができるという。この受精卵を代理出産可能な女性の子宮内に入れて着手させれば、2人の男性の遺伝子を持った子供が生まれる。 このように、"理論的"にはこの方法で男性同性間でも子供を作ることが可能なわけである。 ■動物での実験…
知らないということは、本当に怖いと思うわけであります。なぜなら、誰かの言葉を、そして何が本当に正しいのかを"信じる"ことしかできないのですから。そう考えると、何も知らない状態でこの世に生まれ僕たち人間は、どこまでいっても最初から信じ続けることしかできないのではないでしょうか。 そんな素朴な疑問から、この世にはほとんど"真実"などなく、"信じるという行為"がそこにあるだけなのでは、という仮説に至りました。 この仮説は、教育というカテゴリで視野を広げるのに、非常に役にたつのではないかと思い、今回「教育」カテゴリで記事にしてみました。 〜【思考実験】岩をよじ登る子供〜 子供を育てるにしろ新入社員を教育するにしろ、そこに「教える」という行為は欠かせません。 岩をよじ登る子供には、「それは危ない」と。 ミスに気付かない新人に、「これはダメだ」と。 「知らない」ということは、すなわちまだ過去にそれが起きていないということです。 例えば、岩をよじ登って、落ちて怪我をした瞬間から、それは「知る」ということだと思います。言ってしまえばこれが「真実」なわけです。これがまだ岩をよじ登っている最中に「それは危ない」と注意された時はどうでしょう。「これは危ないことだ」ということを、信じることしかできないのです。 では逆に、知った上で岩を登るのはどうでしょう。別の友達が岩から落ちた場面を目撃していて、岩を登ると怪我をするという「真実」を知っている状態です。それでも岩を登ろうとするのは、「今回は怪我をしない」「自分は怪我をしない」という「空想」を信じているパターンです。なぜならここで言う「怪我をする」という真実は、あくまで「"友達"が岩から落ちた」という真実でしかないからです。 これはいってしまえば、「真実」とは"歴史"の中の一点の出来事でしかないということです。そして未来では「真実」の力は極端に弱まります。真実はあたかも1つの指標でしかなく、人は思い描く「空想」の中でも理想のパターンを「信じる」ことができます。それに向かって汗をかき涙を流すのです。 教育とは、過去に起きた「真実」が、あなたの未来にも起こりますよと、空想のパターンを1つ増やしてあげる作業です。あくまで「真実」を教えるだけで、教育者側の知識や価値観を押し付けるものではありません。 〜教育とは、暴力的だ〜 生まれたばかりの赤ちゃんには、瞬時に、大量の…
お稽古や勉強、在宅ワーク。 自宅で一人、黙々と長時間行うことで、やっと成果が得られる行為はそう珍しくありません。 そういった行為に関わったことのある人の中には、こんなセリフに聞い覚えのある人もいるかもしれません。 「もっと集中してやらなきゃダメだよ」 「1日何時間も勉強しなきゃ、身にならないよ」 筆者も、幼少期からある楽器を習っていて、現在は一応、その楽器の技で仕事をもらうことがあります。そして、幼少期から今まで続けてきた間、時には「1日8時間、10時間さらいなさい」と先生に言われることもあり、実際、それくらい練習できるかどうか挑戦して見たことがあります。 それでは、「長時間の集中」は可能なのでしょうか? 「長時間の集中」ができない人は、大事なことが身に付かない・大成しないものなのでしょうか? 結論から書くと、筆者は、1日8~10時間練習し続けることができませんでした。 まず第一に、疲れます。当時の筆者は中学3年生。まだまだ若い学生の盛りですが、それでも、1、2時間も練習すれば集中力が落ちていきます。いくら子供で体力があるとはいえ、何時間もぶっ通しで楽器を弾き続けるということは簡単ではありませんでした。 第二に、練習すればするほど、思考の泥沼にはまっていきます。「私は今、なんのために練習しているんだろう?」「私がやっていることはこれで正しいんだろうか?」「こんなに下手なら、私は、音楽なんてやるべきじゃないんじゃないか?」というように、どんどん、自己否定に走っていきます。 そして、第三の理由は、外部からの刺激が、あまりにも少ないこと。 1日8時間も練習すれば、それは1日の3分の1に当たります。睡眠時間が8時間だとして、残りは8時間。三食食べれば3時間、お風呂に入って1時間、──そう考えると、せいぜい残るのは3~4時間程度の自由時間。 友達と遊びに出かけたり、家族と買い物に行ったり。そういう時間は、ほとんど残りません。子供として過ごせる短い期間なのに、ひたすら、自室にこもって毎日、勉強、勉強、練習、練習。 これがもし、大人が通う会社だとしたらどうでしょう。朝9時に出勤して18時に退勤だとして、それでも(いわゆるブラック企業でなければ)昼休憩や適宜一息入れるタイミングがあるはずですし、全く同じ作業を繰り返すわけではありません。ほかの人とのコミュニケーションも存在しています。 そうではない、勉強や練習の…
そういえば私は46歳の誕生日に初めて社会貢献への第一歩を踏み出しました。こちらに寄付を始めたのです。 プラン・インターナショナル・ジャパン 「13歳で結婚。14歳で出産。恋は、まだ知らない。」そんな言葉がここにあります。 恋を知らないのに、何故子供を産まされているのでしょう。 それは男性優位社会で、女性が利用されている事を表しています。 学齢期の6歳から~11歳 男の子が遊び、学んでいる間に家事労働に明け暮れなければならない。 速すぎる結婚・妊娠で命を落とすこともあります。 (→「主張」のカテゴリーから「女性が自分の身体を守らなければならない本当の理由」の方も合わせてご覧下さい) 青年期、母親期の18歳~24歳では「収入がないから発言権もない」とありますが、私のような先進国に生きる女性ですら、この危険性を感じる時があります。 女性は子供を産む時は、肉体的に絶対に働けません。 出産から何日かは歩くことも難しい。痛すぎて、座る事もままならないのです。 赤ん坊は、母親が2~3時間おきに起きて母乳を与えなければ、寝る事すらしてくれません。 母乳を飲めば排泄もします。夜中の2時でも3時でも、泣けば母乳を与え、その間ずっと同じ姿勢で密着していなければならないのでいつも汗だくであちこちにあせもが出来たりします。暗い中では赤ちゃんの排泄時の汚れが見えないので、どんな夜中でも一度起きなければなりません。誰かの手伝いが無ければ、ほぼお風呂に入る時間すらないです。その間に大汗をかいて赤ちゃんが泣いています。 そんな中で働く事は不可能どころか、出産後の何か月かは安静にしていないと、元に戻ろうとする身体に多大な負担がかかり、ひいては自分の命やその後の生活が無事に出来るかにすら、関わって来るのです。 金銭的に恵まれた出産をした母親だけが、自分の身体を労わる事が許されて、金銭的に恵まれていない場合は、母親が早死にしても仕方ないーそんな世の中で、教育を受けていない女性は自分を守る術も知らず、家庭という狭い世界で、自分が恋をした訳でもない男性から大切にされる筈もなく、暴力や心ない男性のストレス解消の道具となっていくケースすらあります。 そしてエチオピアでは、幼児期から15歳ころまでの女の子の性器の一部または全部を切除する慣習、女性性器切除が存在します。多くの場合、麻酔や消毒もない環境で、かみそりの刃などで切除するそうです。 同じか…
筆者はオンリー・チャイルド(一人っ子)です。 親との半同居 結婚後に共に生活していたパートナーが、暫く単身赴任をする時期がありました。 子供も二人いて、一番大変な時期に赤ちゃん連れで二回目の転勤についていくには勇気が要りました。 その前に、パートナーの転勤に付いて行って、1人の知人も居ない新しい土地で一から二年間働いて知人をつくり、出産時だけは里帰りをしましたが、自分で選んだ訳でもない土地で七年も不自由に子育てをしたからです。 パートナーが出張で一週間不在の時には子供が高熱を出し、ギャンギャン泣いて大暴れしている子供を抱えて薬局にいる間に、自分も熱を出している事に気付きました。急にめまいがして立てなくなり、薬局で座り込んでしまいました。薬局の人がタクシーを呼んでくれ、パートナー不在の中、子供と二人でダウンしてしまった事がありました。 今度の転勤は上の子が幼稚園、下が赤ちゃんの時でした。転勤に付いて行っても、また出張でパートナーは一週間家に居ない間に、誰も頼る人が居ないのはかなり不安です。子育ては想定外の事の連続で、泣きながら自分の心に蓋をしなければならない日が沢山あるからです。 そんな事情もあり、二回目の転勤の時にはパートナーが単身赴任をする事になり、今はパートナーも戻ってきたのですが、両親が弱って来たので、そのまま両親の隣の家に住んでいます。 フォト蔵より 救急車、呼ぶ 呼ばない 血圧220で運ばれた母は、一か月前に家で転んで膝を骨折しました。1か月は本当に何も出来ない生活で、料理や掃除や洗濯をみんなで分担して乗り越えました。 リハビリが始まる頃に、母は三半器官から来る不調で目まいや吐き気がし、それが原因で220の血圧になりました。 車の運転中だったにも関わらず、自力でコンビニの駐車場に安全に車を停車させ、父に電話をかけました。 帰宅した私はそれを聞き、救急車を呼ぼうと言いましたが、父はこう言いました。 「入院先の事を考えると、今お母さんは県境の埼玉県に居るから、埼玉県の病院に搬送されてしまう。それに、今どこに居るか分からないから、自分達でまず向かうしかない。」 と言われて、そんなもんかと急ぎ用意をしている間、父親は今日の夜の地元の飲み会のメンバーにキャンセルの電話をしていました。ちょっとした違和感がありましたが、その時の私には何がとは言えませんでした。 flickrより 母が倒れている…
「日本の子供達の遊びの変化」にほん 「凧揚げ」 「お正月には凧あげて コマを回して遊びましょ~♪♪」 とある通り、毎年子連れでお正月を迎えると、凧揚げをしなければ・・という強迫観念にかられる(笑)。正月に凧揚げしないと、日本人の親としては失格ではないのか!?とまで思ってしまいます。今年中学二年生になる娘が小さい頃は、パートナーが寝ていようがなんだろうが私はダウンコート×帽子×手袋で、寒風吹きすさぶ中、広い公園や川を凧を手に走り回ったものでした。 風が吹いている時は簡単に上がる凧ですが、風が無い時の凧揚げは地獄!ただ走るのみです(^O^)かと言って、凧あげを楽しみにしている子供を前に「寒いから帰ろう」なんてとても言えないし・・。 親が全力で遊ばなければ子供に「面白さ」は伝わらない。私は風もないのに全力で公園内を走り回って子供に凧揚げを教えたものです。 「コマ回し」 私が子供の頃(1970~80年代)は「ベーゴマ」が既に廃れていたのですが、近所のお姉ちゃんと「遊びの学校」とやらに入っていました。一月にはベーゴマ大会があったので、ベーゴマを練習していました。ベーゴマが衝突するたびに鳴る「カチッ!」という音と、何度も跳ね返っては戻って来て衝突を繰り返す様子には、いつやってもワクワクしたものでした。 一般的な木製の手のひらサイズのコマの遊び方は、編み込んである白い紐を引っ張りながらコマにグルグル回し掛け、紐を引いて飛ばします。その通常タイプのコマ遊びは、未だに日本の小学校の義務教育の中で昔遊びとして教えています。 「缶蹴り」 私が一番大好きだったのは缶蹴りでした!鬼の側に缶を置いて鬼が下を向いて10~20秒(みんなで決める)数えている間に、近くに逃げて隠れます。その後は鬼が探しに来るのですが、缶からあまり離れない場所から探して全員見つけ出さないといけません。何故なら、誰かを探し摑まえる方に鬼が熱中してしまうと、その間に誰かが缶を思いっきり蹴っ飛ばしに飛び出してくるからです。その間にみんなは再び新たな場所に隠れて、鬼はもう一度みんなを探さなければなりません。もし、缶を蹴られないで鬼が全員を探し当てる事ができたら、最初に見つかった人が鬼になります。 隠れながらも鬼にジリジリと近寄って、隙を見て飛び出し、思いきり缶を蹴る瞬間は快感でした! 「Sケン」 近所の子供たちが大人数になると必ずやりました…
ミュージカルや演劇など、舞台は大人が楽しむものという考えはありませんか? 舞台鑑賞は、じっとしていなければならない、チケットが高額だから子供には買えない、観ても意味が分からないだろう、そんな風に思いがちではないでしょうか。 ここでは、「子供も楽しめる 」 演劇を選ぶコツをご紹介いたします。 子供はじっとしているのが苦手 子供は、あるものに飽きてくると他に楽しめることを見つけようとソワソワし始めます。それは、どうしても避けられないことですね。 しかし、それは大人にもいえること。映画を見てもテレビを見ていても、つまらないと寝てしまったり席をはずしたりチャンネルを変えたりしてしまいますよね。 演目によって変わりますが、子供には〇歳以上という年齢制限があります。多くは、5、6歳からという未就学児不可であることから、子供でも周囲に迷惑をかけることも少ないといえるでしょう。 そして、もう少し小さなお子さんも観ることができる作品もあるのです。 子供が楽しめる演目を選ぼう お子さんは、いつもどのようなテレビや絵本などを見てどのような音楽を聴いているでしょうか。それを踏まえて、選ぶのが何よりのコツといえるでしょう。 教育番組の延長である舞台子供向け教育番組の舞台化、うたのおにいさんやうたのおねえさんが出演する作品。 テレビ番組や映画の舞台化アンパンマン、しまじろう、仮面ライダー、きかんしゃトーマス、ディズニーなど親しみのある人気作品。 童話や絵本の舞台化桃太郎などの昔ばなし、シンデレラ、白雪姫、アニーなど、あこがれのヒーローやヒロインがでる作品。 劇団四季アラジン、リトルマーメイドなどディズニー作品の他、カモメに飛ぶことを教えた猫、はだかの王様など全国ツアーで展開するファミリーミュージカルもある。 子供がなじみやすいもの 子供にも、いつも見なれたイメージというものがあるでしょう。その世界を大切にしたいので、マスクプレイミュージカルや人形劇など視覚的に興味をひかれる作品から観るのも大切なのです。 舞台には、カラフルな色彩や楽しいおはなしなど子供がドキドキしながらひきつけられるものがいっぱい。子供が話しかけてきたなら、笑顔で協調してあげることでより一層楽しむことができるでしょう。
令和の時代に入って、さまざまなアニメ映画が放映されていますが、やはり思い出されるのは昔のアニメです。 女の子から女性へと、成長する過程で思い浮かぶのはやはり『恋』ですね。今も昔も、変わらないのは恋愛や夢を楽しめるアニメがあるということです。しかも、映画ならたっぷり楽しめて最終回を待つ必要もないですね。 こちらでは、子供から大人まで楽しんでいただけるように、女性なら一度は憧れる昭和や平成に映画化されたアニメをご紹介いたします。 Amazon.com~くるみ割り人形 [DVD] より 映画『くるみ割り人形』(リメイク前) こちらでご紹介するのは、リメイク前の『くるみ割り人形』です。 『くるみ割り人形』は、1979年にファンシーなキャラクターで人気を集めたサンリオの創設者である辻信太郎(現社長)が企画、サンリオが製作したオリジナルストーリーの映画です。2014年に、増田セバスチャンがメガホンを取っておしゃれにリメイク、2D/3D映画として公開されたのが記憶に新しいところでしょう。 『くるみ割り人形』は、豪華なスタッフ陣で構成されています。 声優には、杉田かおるや志垣太郎、西村晃や森山周一郎などそうそうたる俳優陣が配役されました。それに加えて、劇中に登場する歌は作詞をあの寺山修司が手がけ、作曲(編曲)には羽田健太郎も加わり、バレエの場面には日本を代表する名プリマバレリーナ・森下洋子と清水哲太郎という豪華なメンバーが顔を揃えました。 《ストーリー》 クララは、親戚のドロッセルマイヤーおじさんからお世辞にもかわいいとは言えないくるみ割り人形をもらいます。明日は、いとこのフリッツが来る予定。楽しみにしながら眠りについたクララを二つ頭の白ネズミの女王が襲われて…。クララが人形の世界に迷い込み、不思議な出来事に巻き込まれて行きます。 批評家のコメント自体はあまりよくないようですが、温もりを感じる人形劇という手法に実写のバレエをおりまぜ、ファンタジーの世界を再現したこの作品は夢の世界とほのかな恋心を感じさせる素敵なアニメ映画。やっぱり、リメイク前のこの作品がおすすめです。ぜひ、お子さまと一緒に楽しんでいただけたらと思います。 映画『千年女優』 『千年女優』は、2002年に