これまでの記事 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~妊娠から出産まで~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~手さぐりでの生活~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~生後4ヶ月での両側唇裂形成術~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~口蓋形成手術までの準備~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~2歳での口蓋形成手術~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~3歳・言語訓練スタート。8歳で正常構音ができるようになるまでの記録~ 重度の口唇口蓋裂で生まれたユウは、ほかにもいろいろな疾患がありました。そのためまずは療育園へ通っていましたが、4歳児から地元の保育園へ通うことになりました。 マイノリティが当たり前である療育園とは違う、保育園という場所でユウがどのようにして受け入れられていったのかを記したいと思います。 見学で子どもたちの雰囲気を見極める 3歳児の後半ごろから保育園の見学がスタートしました。子どもたちを通じて園のあり方が見て取れると思っていたので、私は子どもたちの雰囲気をよく見ることにしました。 ユウは口唇裂のオペを済ませたといっても、いびつな鼻の形をしています。日常生活を送っていても、すれ違う子どもにじっと見られたり、「へんな顔!」と言われたりしたこともありました。まずは視覚的に「人と違う」と感じられるであろうユウに対して、同年代の子どもたちがどんな反応をするのか。 保育園によって子どもたちの様子はさまざまです。なんとなく暗い雰囲気の園の子どもたちは、ユウを遠くから見つめてくるだけでした。 いっぽう、大勢の子どもたちがユウに駆け寄ってきて群がり、 「名前は?」「なんでこんな鼻なの?」「何さい?」 と親子でたじろぐほど質問攻めにしてくる園もありました。 私は迷わず後者の園を選びました。 人と違う面も含めてユウに興味を持ってくれ、積極的にかかわろうとしてくれる子どもたちの中にユウを置いてやりたいと思いました。 はじまった園生活 園生活は順調にスタートしました。明るく、興味津々な子どもたちです。最初の頃はお迎えに行くたびになぜちゃんと喋れないかをよく尋ねられたので、 「お口の中に穴が開いているからしゃべりにくいんだよ」 という話をしました。すると 「見せて」 と言い、ユウもアーンと大きな口を開けて見せます。 「すごい!」「本当や。穴開いてる」 などと子どもたちは反応。中には
人間は、結局のところ1人では生きていけません。何だかんだで、他人と関わらないといけなくなります。 中には、組織の中に身を置かざるを得ない人達もいるはず。(というか、結構な人数の人達が該当するかと思います。) 私も例に漏れず、学校や職場といった組織に属して生きています。 そうなると何かと悩まされるのが、人間関係。これが悪いと、割と簡単に心身不調に陥ってしまいます。 私も、割と簡単に心身がやられてしまうタイプの性格をしています。 ですが何とか大人になって生きていられるのは、学生時代に出会ったある言葉のおかげです。 考えてみればみれば当たり前のことを言われただけなのですが、当時の私には「目からウロコ」な言葉でした。また、その言葉のおかげで集団生活がかなり楽になりました。 今回はそれをご紹介しつつ、「少しでも集団生活を楽に過ごせる方法」について、お話したいと思います。 全員から好かれるなんて無理でしょ これが、私を救ってくれた言葉です。 高校時代、私は70名程が在籍する部活に入っていました。 実は中学までいじめられていたので、「こんな大人数の部活でやっていけるかな、またいじめられたりしないかな。」と心配ではあったのです。 実際のところ、いじめとまでは言えなかったものの、無視等の嫌がらせはありました。 なので、活動内容が魅力的だから入った部活なのに、「辞めようかな」などと考えるようになりました。 そんな風に悩みつつ、入部から半年がすぎました。 先輩とお話する機会があったので、「特定の子から無視されたりしている。辛い。」という話をしたところ、 「これだけ人数いるんだから、全員から好かれるなんて無理でしょ。」 と、言われました。 言われてみれば… 当たり前の事なんですよね。何なら、幼少期から中学までの、もっと規模の小さな集団においても、相性の合わない人が多かったんです。 70人規模の部活で、「相性の合わない人」が出てこないわけがない。 思えば、無視等の嫌がらせを受けたのは、人間関係がかなり悪かった中学校生活から抜け出して、「高校からはもっと楽しいんだ!」と思っていたタイミングでした。なのでその分、ショックが大きかったのかもしれません。 「相性の合わない子がいるのは仕方ない」と割り切った結果、その後の高校生活が格段に楽しくなりました。(相手の子は相変わらずでしたけどね。) そしてその考えや言葉は、大人になった今でもと…