私立の女子高校生時代、私は韓国に修学旅行に行きました。キャッチフレーズはこうでした。 「近くて遠い国~韓国」 とても真面目な仏教主義の女子高でしたし、英語教育に定評のある学校でした。 私のクラスは特に英語が得意な人が集まって構成されている英語特進クラスでしたので、毎日三時間の英語の時間が確保されていました。 韓国には姉妹校があった為、そちらを訪問して異文化交流する目的もあり、韓国の歴史を勉強してから現地を訪れる事になっていました。修学旅行の一年くらい前から、姉妹校の韓国人女子高生と文通をするプロジェクトが行われ、クラス全員で韓国の姉妹校の生徒達宛てに、英語の手紙を授業内で書いたりしていました。 外国人に手紙を出したのは、高校一年生の時に友達とトム・クルーズにファンレターを書いた時以来で(^^; 女子校は当然男子が居ないので、夢見放題なところもあり、無邪気で楽しい女子校時代でした。 しかし、修学旅行一年前から徐々に韓国の歴史を学び知るにつれ、今まで感じたことの無い重圧を感じるようになっていました。 平たく言えば日本が過去に植民地化した国に行き、その国の人々と仲良くなろう!というものです。 教科書で知る「韓国併合」は、調べれば調べる程、その国にこれから行くという無邪気な女子高生に冷水をかける、とてもとても重い歴史的事実でした。その衝撃的な日本と韓国の歴史を知っていく過程で、のしかかってくる重苦しさにも段階がありました。 初めの段階は、忘れもしません。 私のペンフレンドだった韓国の姉妹校の女子生徒と文通をする中で、ある日こう書かれた手紙が私の元に届きました。 「あなたは、韓国と日本の歴史について、どう思うかー」 この難問に英語で答える、それが私の高校二年生の時の英語の課題でした。 無邪気過ぎた高校生の私には少し重すぎる内容だった為、友達同士で手紙を見せ合って、一緒に文面を考え合ったりもしました。 色々悩んだ末に、悩んでいても仕方がない、これは正直に誠実に答えるしかないという結論に達し、それに対する返事は正直に書きました。 「昔の日本が韓国に対してとても悪い行いをした事は本当に残念だし、とても申し訳ない気持ちでいっぱいだ」とー。 他に書く事が無いくらい、それが全てでした。たったこれだけの文章ですが、これを書く気持ちの深さと疲労感は、当時の私には相当なものだったんです。まさに最後の体力を絞り出すような気持ち…
衝撃的な日本と韓国の歴史を知っていく過程で、のしかかってくる重苦しさにも段階があったと前編で書きましたが、それは韓国に行ってからの体験で増していく一方でした。 韓国という国に行く。それはそもそも“アウェーである”という事を意味していました。自分の身に置きかえて考えた場合、自分の国が他国に占領され、祖父母が拷問され苦しみながら亡くなり、遺言で決して卑劣な日本人を許すなー。そのような文言が家訓として伝えられていたらー。敵国の子供として産まれている私達を、韓国の人々が許せないのは高校生だった私にも容易に理解出来ました。しかも、私達が何もしていないとしても、韓国にいる集団の日本人というだけで相当恨まれている感じを色んな場面で感じました。 韓国に自ら乗り込むのだから、日本人として恥ずかしくない行動を取るー。それを、ヒシヒシと感じながら訪れる韓国は、ただの外国旅行ではない、特別な体験となったのは言うまでもありません。 韓国の修学旅行では、毎日様々な事が予期せずに起こりました。 まずお寺の参拝に行ったのですが、二列になって先生に引率されながら広い境内の砂利道を歩いていた時の事です。反対側から、韓国の男子高校生の団体が来て、私達はあっという間に「取り囲まれて」しまったのです('Д') 何故だと思いますか?目的は、「写真」でした。 「一緒に写真を撮ってくれ」という感じに、ちょっと始まった輪があっという間に広がり、そのうち拉致されるような感じで韓国人の男子に取り囲まれて次々写真を撮られ、みんなもみくちゃになってしまいました。列はバラバラになって、先生がどこに居るか分からず、ちょっとしたパニックになりました。先生方は勿論全力で旗などで囲んで私達を守ろうとしてくれましたが、本当に驚いた出来事でした。別にアイドルが居た訳でもない、一般の日本の女子高生が制服で参拝していただけで、取り囲まれるような事態になった事。 そしてそれだけでは終わりませんでした。 同日中に、同じ参拝での砂利道の場所で、今度は韓国人のご老人が、私達の集団めがけて突然石を投げて来た事でした。それもよく分からなかったのですが、その現象からは明らかな敵意を感じましたので、やっぱり予想が的中したというような気持ちでした。 しかし同じ一日内で起きた二つの出来事は、考えれば考えるほど韓国という国の現状を如実に表していたと思います。 若い世代の、日本人や日…
前回の続きになります(^^ゞ 韓国の「独立記念館」建設の経緯でした。 日本の政治家の余りに誠意のない返答に怒った韓国の全斗煥大統領が、日本政府に反省させる意図を持ってあくまで個人として関わって建設させたのが、「独立記念館」という事になります。建設には、「意図」があったんですよね。日本政府によるごまかしが行われて風化する前に、忘れさせない場所を作る、それが意図なんです。ブレ易い日本人に、決して忘れさせない事。 その意図を持って作られた「独立記念館」には、今なお韓国全土の子供達がやってきて、全斗煥大統領の意志を引き継ぎ、韓国人としての誇りを取り戻す場となっているような気がします。日本が少しでもブレた場合、それを許すなという教育を脈々と受け続けている韓国人。 でも、そこにはまた更に別の意図も見え隠れしないかと思う事があります。それは、スケープゴートを用意する事で、韓国人の一致団結を図っている という事です。愛国心に訴えかけて、いつも悪いのは全部日本だとする事で、韓国人はいつも誇り高く正しい、そしてまとまりのある民族だという教育にすり替わっている懸念があるという事。しかしそのきっかけを作ってしまったのは、韓国Ⅱで述べた日本の政治家達だったんですね。 どんな現象にも意図があり、それを紐解くと別の現象と意図が見え隠れする。 世の中、物事、人々、全てが物凄く複雑に絡み合って、別の現象を産み出す。だからこそ、現象を見て、観察して、紐解いて、調べて・・結局、自分で考えるしかないのですね。信じられるのは、結局自分だけ。他人に聞いても、そのアドバイスの裏にどんな目的があるか分からないから、大人になると段々頼れるのは自分だけになっていきます。 全ての会話には目的がある、と以前どこかで読んだ覚えがありますが、全ての物事にも、残念ながら裏があります。読み解き、立ち止まる時間はとても大切です。他の人達が物凄い勢いで素通りする中、自分だけ立ち止まって人より時間を多くかけないと気付けない大切な事があります。 現に私もこうして「書く」という機会を与えて頂いて初めて、深く掘り下げる事が出来ました。そうでなかったら、ただ「韓国、疲れたよね~」で終わっていたのかもしれません。何であの時あんな現象が起きたのだろう??と、立ち止まり、解析し、調べてまた考える・・その時間が誰にでも必要です。それがなくては、真実が掴めないからで…
修学旅行で、クラスの代表として「韓国独立記念館」を訪れた彼女たちは、その展示物がいかにむごたらしいかの説明をしながら嗚咽してしまって、途中から言葉に出来ませんでした。でもそれは、今(2018年)から28年くらい前の話なのです。その後はどうなのか調べてみたのですが、何回かリニューアルされている事が分かりました。 「韓国独立記念館」の設立が1987年。日本の第一次歴史教科書問題が起きたのが1982年。同年に設立委員会が発足しているので、実に5年の歳月をかけて設立されたのです。朝鮮半島の独立の受難の歴史の中で亡くなった人々を弔う為という名目で、寄付を国民から募って建てられました。 そこまで考えて初めて気付いた事は、彼女たちが観た展示物は、「韓国独立記念館」の設立二年後のもの、、。それは何回かのリニューアル前であり、設立真新しい展示内容を観たわけです。 彼女達が観た物は、軍国主義による朝鮮半島支配の歴史の中で、日本兵に取り囲まれて拷問されている同胞(女性を含む)を蝋人形で生々しく現した、数々の拷問シーンの「具体的再現」だったと思われます。実際にそのように言っていました(;O;) それを観るにあたり、日本人の私達が耐える勇気があるでしょうか??ましてや、高校二年生の無垢で真面目な女子高生が。 観なければならない、そうかもしれません。でも、どこまで見るかは個人に任せられるべきでしょう。 心理的に耐えられる人と、耐えられない人がいるのは当然だからです。 韓国中の子供から大人まで訪れる韓国独立記念館内の拷問関係の展示物が、当初は普通に具体的に様々再現されていたというんですから、韓国人の子供が受けるショックもかなりなものなのではないかという心配すらしてしまうような内容だったようです。調べれば具体的に色々出てくるので、気になる方は調べて貰うといいと思いますが、この報告文ですら書くだけでどっと疲労しますし、ため息が出てしまいます(^^; 大人の世界で一番恐ろしいショッキングな内容を蝋人形で全員が見られる状態で展示してある、、というのは、いくら目的の為とは言え、子を持つ親の立場からしたら、疑問が残ります。やはり、連れて来られた小学生の子供が受ける恐怖は測りしれないからです。 何事にも、段階というものがある気がするのです。そしてその段階は、一人ひとりの個の成熟度によっても違うと思いませんか? 同じ年でも、これか…
(写真ACより) 2018年末、日本海の日本側EEZ上で、韓国海軍の駆逐艦クァンゲト・デワン(広開土大王)が日本の海上自衛隊の哨戒機P-1に火器管制レーダーを照射するという事件が発生しました。 ですがその後の経過で、韓国側はレーダー照射を認められない事態に陥っていることが明らかになり、日本側が最初に求めた再発防止への対策は一向に進んでいません。 一体、日韓秘密軍事情報保護協定は機能していると言えるのでしょうか? 正にこの事件は、今後の極東アジア情勢の変化を象徴する重要な出来事の一つとなるでしょう。 というのは、今回の事件の本質は、韓国が同盟の軸足を米国から中国に移したことの現れだからです。 ほとんどの韓国人、そして在日米軍のトップを含むアメリカ人も、この事件を「日韓の問題」としか捉えていないようです。 韓国が日本への反発をテコに、アメリカを中心とした自由主義陣営から、中華覇権に軸足を移動させてしまったと言うと驚かれる人もいます。 しかし、今回の事件での韓国側の言い分を読み解いていくと、反日感情を共有する中国の経済と軍事的な覇権体制の下に自らの未来を位置づけしていく韓国の姿勢が見えてきます。 韓国海軍による自衛隊哨戒機P-1へのレーダー照射は、2013年1月30日の中国海軍レーダー照射事件(人民解放軍所属のフリゲート艦「連雲港」が、海上自衛隊の「ゆうだち」に向けて火器管制レーダーを照射した事件)の模倣であり、日米と海洋上で対決姿勢を強める中国への韓国からのエールとも言えるものです。 もともと韓国と中国は、過去を持ちだして現在の自分たちの不正を正当化するという、日本に対する負のロジックと恨みの感情を共有しています。恨みの感情は中国も韓国も自らが克服しなければいけないものなのにもかかわらず、それを増幅するような負のロジックを自国の教育にまで浸透させているのには不幸を感じます。 日本はこのような不幸に妥協する必要はありません。むしろ彼らの不正に対して対峙していくのが正しい姿です。 この記事では、今回の事件の経過とともに、日本・韓国それぞれの主張をまとめてみます。 その経緯から、韓国は日本と信頼関係を築こうとは考えていないということが浮かび上がります。 よって、信頼関係に基づく日韓秘密軍事情報保護協定が、正直機能しているとは思えません。 今後、日韓当局の間で協議が続くのでしょうが、日本がいくら事実を突きつ…
日韓関係が冷え込んでいる副産物として日本初韓国路線の航空運賃が未曾有のほどに安くなっていることもまた事実です。 筆者はこれにつけこんで先月末から今月初頭にかけて韓国を訪れたのですが終わってみればこれまで今回含めて4回訪れた中で最も予算に余裕をもてた気がします。 そんな中で今回途中から釜山に拠点を置いていた筆者なのですが釜山のイメージを問う前にまずは韓国旅行のイメージというと何が浮かぶでしょうか?コスメ、グルメ、Kpop、お洒落なカフェなどが中心になってくるのではないでしょうか? それでは釜山といわれると何をイメージするでしょう? 水産物が豊富な場所ですからとりわけグルメが中心になるのではないでしょうか?他に海雲台ビーチや東区の階段なども有名ですね。 それにしても題名に入っていた釜山一物価が安い市場とは一体どこにあるのでしょう? 筆者が近くに宿泊していたこともあって実際に訪れたので筆者なりに紹介していきます! 釜山市北区 釜山市中心部が海に面していることとは対照的に中心部から山で隔たれた北区(Buk-gu)は洛東江(ナムトンガン)という河に面しています。対岸には空港を擁する金海(Gimhae)市があり、空港までは車で10分前後しかかからない驚異的な近さです。 また、区内には釜山メトロが2路線走っており、その内1路線が中心部の西面(ソミョン)へ直結しています。また、Korail(韓国鉄道公社)の亀浦(グポ)駅があり、大邱・大田(デジョン)・ソウル方面へ接続しています。高速鉄道KTXも停車します。 今回紹介する釜山一物価が安いと言って過言ではない市場はこの亀浦駅にほど近いところにあります。 亀浦市場 亀浦市場(グポシジャン)こそ今回紹介する釜山一物価が安い市場で、釜山一ディープな体験ができる場所のひとつとしてここ亀浦市場も含まれるでしょう。 ないものはない?実は釜山最大級相当? 中心部ではないせいなのか知名度こそ決して高くない亀浦市場ですが実は観光客に名高い釜田市場と同規模の市場で、チャガルチ界隈とはもはや比べようもない規模の大きさです。中心部の市場と違うのは基本的にアーケードになっていない区画が多い庶民派市場であるところです。 また、亀浦市場は「ないものはない市場」とも言われ、実際に中心部の市場で全く見ることがなさそうな品々を目にすることができます。実際にその品々の一部も覗いてみましょう! 映り…
航空路線の新設は最近高頻度でそれも大々的に耳に入るようになってきました。今年最も話題になったものだと破天荒なベトナムのLCCベトジェットの日本就航があり、ひっそりと新規就航したカザフスタンのSCAT航空があり、そして今回取り扱う日本航空では来年からウラジオストクに新規就航させるなどがありますね。 このような新規就航については大々的に耳にしますがここでもうひとつ気になるものがあります。航空路線は情勢に左右されやすいので変化に常に富む中で比較的長続きしている路線はどこなのでしょう?日本航空では今関係が冷え込んでいるあの国が老舗路線のひとつとして浮上しました。 今年で40周年を迎えた成田ー釜山線2019年7月、それは折しも日韓関係の冷え込みが決定的なものになった時期に日本航空の成田ー釜山線は40周年目を迎えました。 日本からの釜山路線のパイオニアはもともとは成田発ではなく1967年に設定された福岡発でした。今にまで40年続くことになる成田発が就航したのはそれから12年後の1979年のことでした。一時期は大阪や名古屋からも就航していた釜山路線ですが今では成田発のみになっています。 なお、参考までに釜山線より早く就航した路線に東京発のソウル、シンガポールなどがあります。 LCCとの競争が激しい釜山路線今や日本から釜山に乗り入れている航空会社の殆どをLCCが占めており、その中にエアプサン、チェジュ航空、イースタージェットなどが含まれます。他方、フルコストキャリアはというと日本航空と大韓航空のみです。 厳しい競争になっていますが実際には韓国発で購入すると日本航空の片道運賃がLCCも顔負けな安さになっており、加えて無料預け荷物や食事などのサービスもあるだけにこれは手ごわいです。筆者も実際に乗ってみたのですが色々な発見がありました。 短距離国際線は少々忙しい?筆者が実際に利用した便は釜山を午前7時45分に出発するJL960便でした。定刻通りなら2時間5分後の9時50分に成田空港到着です。 チェックインについてはウェブチェックインで予め済ませていたのですが発券し忘れたので2時間前を目途に到着したものの列ひとつ見当たらない有様でした。当時はここに日韓関係の冷え込みを改めて感じた、と思えば後でこれがひっくり返ります。 沖止めされている機材(ボーイング737ー800の小型機)まで案内されると結果としてほ…