これまでの記事 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~妊娠から出産まで~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~手さぐりでの生活~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~生後4ヶ月での両側唇裂形成術~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~口蓋形成手術までの準備~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~2歳での口蓋形成手術~ 3歳7ヶ月。口唇口蓋裂のユウの言語訓練がスタートしました。 それまでの発声について この時点でのユウの言葉は、ほぼ母音のみで構成されていました。 さらに母音同士の区別もはっきりしたものではなく抜け落ちも多く、また喉を詰めて「ッアッ、ッアッ、」と発音する癖(声門破裂音)が習慣づいていたため、実際には赤字部分のみを発声しているような感じで、 「パンたべたい(pan wo tabetai)」→「ッアンあッあ」 「これ バッタ?(kore batta)」→「ッえッ ッあ?」 「おかあさん(okaasan)」→「ッあーッあん」 という風に聞こえていました。 この時期の発音の例がこちらです。 「おとうさん(oto-san)」 こういった発声であっても、親であれば聞き取れることも多かったです。ただ他人にはほとんど伝わりません。 言語訓練スタートはパ行から ユウがまず始めたのは、「パピプペポ」の習得でした。通常、パ行の発音の習得は3歳までに完成するといわれていますが、ユウはまだでした。 パ行を発音するには口の中にじゅうぶんな空気をため、唇をしっかりとはじく必要があります。 このときのユウは口をぷくーっと膨らませること自体、でき
「重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子」シリーズ、約2年ぶりの投稿となりました。現在、「難しいな」と感じていることがあるので、それについて記してみようと思います。 重度の口唇口蓋裂で生まれたユウ(仮名)は、約1年ほど前から、言語訓練のための通院に「行きたくない」と言うようになり、自宅での言語の練習も嫌がるようになりました。 (写真はイメージです) 考えられる理由はいくつかあります。 思春期・反抗期と呼ばれる時期に突入した 訓練内容にやりがいがなくなった 発音が不明瞭でも本人が困らない きれいに発音できたときの成功体験が少ない 思春期・反抗期と呼ばれる時期に突入した ユウは自己主張はする子でしたが、どちらかといえば従順で、基本的に「やりなさいと言われたことはやる」子でした。小学校中学年くらいから、面倒なことを後回しにすることは出てきましたが、結果的にはやる。ユウ本人は時間の見通しがつきづらいため、親がタイムリミットを決めて必ずやらせていたというのもあります。 しかし、親の言うことがウザイと感じる年齢になり、怒っても反抗や無視をするという手段を知りました。「最終的にやらないでもなんとかなる」というのを徐々に覚え、「サボる」ことを知ったんですね。 同時に、それまでは遊びといっても何時間も熱中するようなものはなかったのですが、漫画やゲームなど没頭できるツールができ、生活の中に「ラクで楽しいこと」が占める割合が増えてきました。 そうなると、自宅での言語練習なんて面倒になるのは当然です。 訓練内容にやりがいがなくなった 訓練の内容が変わり映えせず、成果が目に見えてわからないのもやる気を削いでいる要因かもしれません。 これまでの記事でもお話したように、ユウは現在、気をつけて喋ると正常な発音ができます。ですが、「気をつけて喋る」ということが日常生活ではできないという状態です。この状態がこの3年間ほど続いています。 正常な発音を習得するまでは、訓練を通して「言えたことのない音が言えるようになった」というやりがいを得られていました。ユウ自身が「よっしゃ!」と手ごたえを感じている場面も多々ありましたし、親の私にも常に驚きと感動がありました。 訓練時にすべての音が発音できるようになったことで、訓練での成長がなくなり、親子ともにマンネリを感じてきていました。訓練内容も新しいことを試すというよりは、正しい発音ができる機能…