バリ島は、私にとって色々な意味で衝撃でした。初めての、「学校に守られていない」、自由でオリジナルな旅でした。私達はクタビーチに滞在していました。到着の翌日は寺院の観光などをして、夕方からクタビーチに行きました。女友達と海に入ろうと砂浜で準備をしていたら、来るわ来るわ・・。何だと思いますか?カニとかじゃないですよ!観光客相手に商売をしている、ビーチの名物オバチャン達(笑)。そういう存在がいるのは勿論知っていたのですが、笑っちゃうほど次から次へとやってきたのが当時の私には興味深かったです。ああ、日本じゃないんだなぁって思いました。商魂たくましいオバチャン達、聞けば色々やってくれるとか。色々ってなんでしょうね(笑)。例えば、ミチュアミおばちゃんがやって来て、私達にこう言いました。「ミチュアミあるよ~するよ~」髪の毛を少量ずつとってミツアミにしてくれると言うんです。そしてビーチで寝ている間にカラフルなゴムで留めてあげる。全部の髪をやるのもいいし、あちこちやるのも面白い。次にネイルおばちゃんがやってきました(笑)!「ネイルやるよ~キレイなるよ、とてもキレイなるねぇ~!」と、早速お勧めのネイルカタログを写真にして入れたポケットアルバム的なもので見せてくれました。ミツアミも、ネイルも、値段はみんな、千円でした!他にも美味しい果物売りのオバチャンや、飲み物売りのオバチャン達がやって来て、取り囲まれるようになりました。海外経験の浅いうちはこんな事でも驚いてしまったりするけれど(^^;友達も一緒だったので、フューシャピンクに白い小花のついたネイルと、髪の中側の一部だけ、せっかくなのでやって貰う事にしました。日本では丁寧に行われるネイルですが、ビーチでやる砂混じりのネイルはちょっと訳が違いました(笑)!爪には普通、甘皮と言ってツメと指をつなぐ薄い皮がありますよね。ネイルが綺麗に見える為にそれを丁寧に取り除くのが日本流ですが、とっても雑にガリガリとやるので、結構痛かった!痛いっていう話から、友達がお母さんに言われた一言を思い出すって言いだして、それは「綺麗になるにはみんな痛い」という一言でした(笑)。聞けば彼女は小学生の時、ポニーテールにする時にいつも髪をお母さんに引っ張られて痛いって言っていたそうで。確かに、綺麗になろうとすると色々な事がありますので、「深い一言だねぇ。女性の一生は色々痛さに振り回されるものなのかもしれない」って、海を見ながら話しました(^^;「風と共に去りぬ」に出てくるスカーレット・オハラも、男性の前に優雅にドレスで降り立つ前に、柱にしがみついて我慢している間に、コルセットの紐を締められるだけ締めてもらうっていうシーンが出ています。男性の前で、驚いた時などに優雅に倒れる裏には、ただコルセットの締め過ぎで苦しすぎて失神・・みたいな事が、昔からあるようですよね(^_^;) 日本でもそうですよ、私は20代の頃は着物を着て綺麗になった後に三時間後に必ず具合が悪くなって倒れました。はい、帯の締め過ぎです(笑)。今なら分かります。着付けで上手な人は、締め過ぎない、苦しくない、指一本分緩いくらいの絶妙な感覚で帯を締めてくれるのですが、上手でない人はやたらとギリギリと締めてきます。着崩れされないように。30代くらいからは、「締め過ぎないで下さいね」と最初に言うようになりました(*^^)vさて痛みに我慢して、ようやく可愛い爪にして貰って、それは楽しかった想い出です。今となっては南国調のフューシャピンクに白い小花柄の爪なんて似合いませんから、出来る時にやっておいて良かったのかもしれません。悪い事でなければ、飛び込んでみるのは良い経験になります。私は女性なので、危ない事には近づかないという大前提はありますが・・。翌日の夕方はビーチ沿いのお店に行ってみました。素敵な大判の薄い布が沢山売っていて、ビーチで寒い時などに羽織ったり水着の上に結んだりしてオシャレを楽しんで、という事でしたので友達と一枚買いました。どれもとても安かったので、安心してもう一枚買いました。その通りでは、現地の小学生くらいの男の子がチラホラ、観光客相手に物売りをしていました。段々相場が分かってきて、ビーチでの買い物も千円では高い、もっと色々交渉しなくちゃいけなかったなど、後から知る事も沢山ありました。交渉力とは異文化や異国間であったり、自分が不利な立場になればなるほど磨かれていくものです。交渉しなければ騙されて終わり、とか困りますから。世界では黙っていると損ばかりする。アメリカのように人種間の闘いが激しい国では、それがもっとも顕著に現れてきます。いつでも自己防衛の手段として、自己アピールが必要なんですね。日本人は単一民族のようなものだから、突出する事が許されない。出る杭は打たれ、田舎に行けば行くほど個性は歓迎されません。「村八分」=仲間から外す、無視するという言葉がかつて存在していたように、昔の日本では横のつながりをとても大切にし、お互いに抜け駆けをして自分だけ良い思いが出来ないよう、監視するシステムさえ存在していました。江戸幕府が町人や農民を管理する為に作った「五人組」も、隣近所五戸で見張り合って抜け駆けを防ぐという目的でした。時を経て時代は変わりましたが、もともとその土地固有の価値観というのはどこか根深く残っている気がします。ドナルド・トランプさんのようなタイプは日本ではいちいち、「どんなに実力者でも、謙虚さのかけらもないような人間は駄目だ」というように批判の対象になりがちです。そして失敗すれば、そらみた事かとコケにする。でも本当は、ぶつかる事も失敗も怖れないで発言しなければ、真の理解には至らないのかもしれませんね。意見の相違は想定内なのだから、権利は自ら勝ち取るものなのかもしれません。失敗を恐れていては、チャレンジも出来ないという事になるので、失敗を積み重ねて、それでも継続して何かを得ていく途方もない長い時間、それが成功のもとになるという基本を忘れてはいけないのではないでしょうか。話は戻りますが、現地の子供がシルバーを売りに来た時、私は「いいか」と思いました(^^;私も学生でしたが、先進国から来た大人の女性にシルバーのバングルを売りに来た彼は、どう見ても小学生でした。千円で細いバングルを三つくらい買って、それを850円に値切る事は、この場合余りに意味がないと思いました。それより値切らない事で、彼の家族の食費の足しになるのなら。他人の役にたつのなら、それはただの150円ではない。150円にそれ以上の大きな意味を持たせられるのだと思いました。私の購入後に、引き返していく彼のその痩せて日焼けした後ろ姿を、私はいつまでも見ていました。バングルを買う以外の事は何も出来なかったけれど、未来の君に幸あれと、心から願いました。こうして私は世界の中の自分、というものを初めて知るようになったのです。外に出なければ気付けない事。それに気付けた時、私は心から幸せだと思ったのでした。ミチュアミおばちゃんも、ネイルおばちゃんも、今日の家族の為に必死で働いているんだ。そう思ったら、値切る事には失敗したかもしれないけれど、きっと誰かの役に立てたのだろう、そう思う事にしました。