クタビーチは波があるので、世界中からサーフィン愛好家がやってきていました。サーフィンの大会に出場する為にやって来たサーファー達や、そのスポンサー達の団体も居ました。外に出なければ分からない事だけれど、世界では本当に色々な世界で、様々な人々が生きているんだと気付きました。私が勉強、勉強、大学進学、という価値観にとらわれている間、この人達は自分の目標を見つめながら来る日も来る日も冷たい海に浮かび、波を見続けて、日々自分の小ささを感じながら常に生命と向き合って来たんだな。だって自然と向き合うって、そういう事だから。海に入るって、自分の命と向き合う事。幼いころからそう思っていました。喘息を治すために長期療養していた館山の海は、天候によって同じ海でも異なる姿を見せました。台風の前になると、外房の海は荒れてきます。まだ大丈夫だろうとたかをくくってのんびり海に潜ってウニを取ろうと棒で掘っていたら、次の瞬間物凄い大きな波が来て、岩に足をこすって、赤いすり傷だらけになりました。そしてさっきまでターゲットにしていた沢山のウニを、波にさらわれそうになった身体のバランスを取る為に思い切り踏んづけて、小学校2年生の時に全治2か月の大ケガをしました(+_+)足の裏にウニのトゲが何ヶ所も深く刺さって歩けなくなり、病院でピンセットで一つ一つ抜いてもらいました。その夏は泳げなくなりました。大きな波だってへっちゃら。だって、もぐればいいんだから!波の向こうに突き抜けるのよ!そう思って海を侮っていたその時、大きすぎる波に思った以上に身体を持っていかれ、運悪く海水を思い切り飲んでしまい、命からがら泳いであがる・・そんな事も沢山ありました。そして、ひとたび自然の中に入ってしまえば人間なんて、かくもちっぽけなものなのだという自然への憧れと畏怖は、しっかり子供の頃に身体にしみ込んだものです。だから生きている今は素晴らしい。今が永遠に続くことはない。だから、今を大切にしないといけないんですね。人間同士の中で色々考えるよりも、自然の中に身をおいて、一つの生命体に戻って、この世に生きている動物や昆虫などと同じ感覚で今日を感じられたら、みんな同じなのだと気付きます。人間はずっと人間社会だけで生きていないで、自然の中に身をおきながらバランスを取って生きていかないと、物凄く傲慢になったり、バランスが取れなくなります。自然を感じられる環境を大事にしたいものですね。今日、家の庭でアゲハ蝶を見ました。驚く程ボロボロに散切れた羽でした。暫く見入っていると、メドーセージの紫色の花の蜜を沢山吸って、葉っぱで休んでからヒラヒラと飛んで行ってしまいました。セージ系は人間が吸っても甘い汁が出るので、子供達が小さい頃はよく吸っていました。チェリーセージも、美味しい蜜で、子供に人気がありました。ボロボロの羽の様子も、羽の色褪せた様子も。経験と経年を思わせる様子でした。人間も虫も本当に同じです。この世に生きとし生けるものはみな同じ。産まれてそして、死んでいく。だからこそ、生きている今が輝くし、とても愛おしい。ある日のクタビーチでの夕飯に、現地のレストランを訪れました。偶然旅の途中で何度か会った人々のグループと居合わせて、みんなで一緒に夕飯を食べる事になりました。当たり前ですが、お店のお勧めや、現地らしい食べ物をオーダーしました。その時居合わせた人達が、お店のお勧めという事で、とある料理を注文し、私達に一緒に食べようと勧めてくれたのですが、、。・・ズバリ、何でしょうか?正解は、・・・カエルの脚の唐上げです(>_<)(+_+)(-_-)見た目が、、見た目が!!!衝撃の、そのままの形で・・・揚げられていました!>くみたいな。う~!!そして、その時は食べない事を許されない雰囲気だったので(全員食べました!)、仕方なく、結局ちょっと食べる事にしました。・・意外と美味しかった。鶏肉の味・・??サッパリしていました。ああ、でも・・!!その見た目、なんとかしてくれないか|д゚)!そんな贅沢言えないですね。郷に入れば郷に従えです。日本だって、踊り食いとか、外国人からしたら野蛮極まりなくて、世にも恐ろしい食べ物な筈、、。SUSHIだって、少し前まで生で食べるなんて、野蛮だ!とか言われてましたよね(/_;)こうして少しずつ、色々な世界の中の自分が、いかに恵まれていたか分かるようになりました。生きていると色々あるけど、今日生きていて、また一緒に笑う友達や家族がいるなら、充分に幸せと言えるでしょう。本当にそうですよね。生きている事自体が、奇跡の中の奇跡、みたいなものなんだから。