「海外文化を学び、、」って、今考えるとちょっと大袈裟ですが(笑)。
日本は島国だから、自ら頑張って外に出ないと、海外でのスタンダードな考え方や文化は学べないものなのかもしれません。
いくら時代が情報化社会で変わって来たとは言え、「頑張って外に出て、自分で体験する」事はとても重要だと思います。
日本の特殊性を好きになって来日する外国人は、日本のカルチャーを面白がってくれている訳ですね。
だから、結構特殊な人々(例えばアニメやゲームに特化して、日本のサブカルチャーを好きになる人達)が集っているという話を聞いたことがあります。逆に言えば、オタクが集まりやすい国?東京の秋葉原にはゲームオタク、池袋や原宿にはコスプレオタク、三重には忍者オタク、京都にはサムライ・オタクや和菓子オタク、奈良には大仏オタク、みたいに(^^; オタクでない人々にも来てほしいですけどね(笑)
日本はテクノロジー大国。近代化を遂げた国の人々は、みんな近視になっていくという事実をご存知ですか。本日、眼科の先生に聞いた話なので、信憑性が高いです。飛躍的な経済成長を遂げた中国やシンガポールでは近視が爆発的に増えており、逆に経済発展が進んでいないミャンマーやモンゴルでは近視が増えていないそうです。このまま行くと、2050年には世界の人口の約半数が近視になり、世界の人口の約10%が強度近視になると予測されているそうです。近視は今の二倍になり、強度近視は現在の5倍。
これは遺伝よりも環境因子の影響が大きい事を表しているそうです。現代病ですね(◞‸◟)
少し話がそれましたが、どちらにせよ生まれて同じ場所からずっと出ないと、その土地の良さも悪さも何も分からないままです。
その地域での特殊な常識がスタンダードだと思い込んでしまう可能性があり、それでは世界の中の自分の立ち位置が何も分からないという事になるでしょう。自分の常識が全てであると思い込んでいる時、それは結構危険です。進んで色んな人たちと交わって、みんなそれぞれ違うんだという事を身をもって学びたいものですね。違いを認め合った上で、相手への敬意と思いやりを持ちたいものです。
バリ島へは、仲の良い女友達と行きました。私にとって初めての、「自分達で最初から最後まで作るオリジナルの旅」でした。
日本の空港を離陸する時、いつもとても不思議な気持ちになります。狭い狭い世界の自分にさようならをして、全く新しい自分になれる。
悲しい事や、家族の事、悩み事なども少し思い出しますが、離陸してしまえば心はもう新しい世界にいます。
この瞬間はリセットという言葉に相応しい瞬間です。
インドネシアには訪れる価値のある場所が沢山あるので、同じバリ島への旅行でも、目的別に考えると全く別の楽しみ方があると思います。
女友達と初めてデンパサール空港に降り立った時、生温かい、南国独特の風が私と彼女を自由にしてくれました。
私達はクタビーチに滞在するつもりだったので、デンパサール空港に着きました。夕方にクタのホテルに着き休憩を取った後、最初の夜はウルワツ寺院を訪れました。デンパサール空港からも、クタからも車で一時間くらいの場所です。ウルワツはバドゥン半島の南西にあります。海の精霊が祀られているそうですから、パワースポットしても有名です。
ウルワツの見どころは、言わずとしれた「ケチャックダンス」です。上半身裸の男性たちが集まり、輪になって座り、神に祈りを捧げるダンスです。とても大人数で行う上、聞いた事がないようなリズムと間髪入れない掛け声の連続で、「一体何が起きているの!?」と驚く事しきりです。ダンスとは言え、宗教的祈りの儀式という感じでした。その大勢の余りの真剣さに、見ているこちらも余計な無駄口や感想など、とても口にしてはいけないと感じるような、それはそれは真剣で圧倒的な祈りの儀式でした。
海に夕陽が沈む様を眺めながら、海の神に祈りを捧げて来た歴史があるんでしょうね。バリ島はほとんどの人がヒンドゥー教なのですが、その信心深さには最初は驚きました。毎朝玄関先に小さなザルのようなものに入れてお花を飾ったり、それは丁寧に、日々神と向き合って生きている感じがしました。
このような体験により、勿論、自分と照らし合わせて考える事が出来ました。私は当時このように考えました。
自分は仏教徒だが、こんなにも日々祈りと共に生きているだろうか??-いいえ、生きていないからこそ圧倒されるのだ、と。
バリ島の人々は、日々神と対話しながら自然への畏怖を忘れず共存し、ゆっくりと丁寧に生きているー。
海外に出て自身で体験を積み重ねて初めて、今まで気付けなかった事にも気付ける。
無駄な旅などありません。時間はかかっても、その時気付かなくても。
いつかは必ず貴重な体験となって、自分の糧となる事でしょう。