SARS(重症急性呼吸器症候群)は2002年に中国、北京から世界に伝播した呼吸器疾患です。
日本のみなさんはSARSが世間を騒がせたことを鮮明に覚えていますか?
私は医療従事者ですが、私の周りを見ても「あまり覚えていない」という人が多数です。
なぜ日本人はSARSの記憶が薄いのでしょうか。
SARS(重症呼吸器症候群)の概要
SARSは『SARSコロナウイルス』が起因病原体で潜伏期間は2~7日、最大10日と言われています。ヒトに風邪様の症状をおこすコロナウイルスの突然変異とも考えられています。そしてSARSの患者の発生は2004年以降報告されていません。
感染経路は感染者に咳や肺炎などの呼吸器症状がみられることから、感染経路は飛沫感染、また疫学的にも濃厚接触した場合に感染していることがわかっており接触感染と考えられています。
インフルエンザやCovit-19と同様、患者のくしゃみや咳に含まれるウイルスを吸入したり、ウイルスが汚染された物に触れ、その手で顔面の粘膜等に触れることにより感染すると言われています。感染者は患者の家族、医療従事者といった濃厚接触者に多く見られました。
SARSは2002年11月に中国で第一例が発症。
2003年2月には中国外で感染が認められ、流行が急速に拡大していきました。同年3月にWHOが注意喚起をしSARSと命名。2003年ごろには患者数が減少し7月ごろにWHOの終息宣言がでるまで約8000人以上が感染し、約10%の人々が命を落としました。
臨床所見では、38度以上の発熱、咳、倦怠感、筋肉痛、数日で呼吸困難や呼吸不全を起こし、レントゲンでは肺炎のような画像がみられます。また腸管や肺で大量増殖することもわかっています。
検査は、SARSウイルスの分離、血清で抗体価の上昇を見ますが両者ともとても時間がかかります。Covit-19のようにPCR法もありますが、SARSウイルスに対しては感度が低く、その手法は確立されていないと言われています。
治療に関しては、有効な治療法は確立されておらず、対処療法が中心となっています。
流行時、感染者は中国で5327人余、香港で1755人、台湾で665人、シンガポール、カナダは200人余りも感染者が出ました。他アメリカやヨーロッパなど先進国にも発症者が出たのにも関わらず日本人の感染者は出ませんでした。それはいったいなぜだったのでしょうか。
どうして日本人はSARSにならなかったのか
世界中で8000人以上も感染者を出したSARSが隣国の日本では感染者がゼロでした。
アジア諸国ではほとんどの国から感染者が出ていたのにも関わらずどうして日本人は感染しなかったのでしょうか。世界からは「幸運な偶然」といわれていました。
「幸運な偶然」と言われた由来はこうです。2003年に香港のホテルに泊まって感染した客が、シンガポール・ベトナム・カナダ・アメリカ・アイルランドに移動したことが世界に広まった契機となったと言われています。その時、日本人も同じホテルに宿泊していましたが感染しませんでした。
また、SARSの集団感染があった団地に日本人も生活していましたが、ここでも感染しなかったのです。
アメリカを例に挙げると、アメリカから中国や香港、台湾への旅行者は200万人余ですが、日本人は300万人以上も旅行をしていたのにも関わらずアメリカの感染者は27人、日本はゼロでした。本当に「幸運な偶然」だったのでしょうか。
SARSの感染経路は飛沫感染と接触感染でした。
日本人が感染しなかった理由に「日本人が清潔である」ことが一つに考えられると言われています。
SARSは飛沫だけでなく腸管を介して増殖し、下痢を引き起こし排便にウイルスが混ざりそこから伝播した可能性があります。中国のトイレ事情は衛生的でない場所も多いですが、日本人が感染しなかった要因に接触感染を防げたことがあげられます。
感染者の手についたウイルスがドアノブや手すりに付着する。または、靴底にウイルスがついたとします。その手で握手をしたり、手で物を食べたり、ホテルの部屋で乾いて空気に舞ったウイルスを吸い込んだりして感染したとしたら。
日本人は諸外国と違い、握手やスキンシップではなく礼をして挨拶をします。ホテルに帰ったら靴を脱いでスリッパになることが多いでしょう。手洗いが習慣となっており風呂を好みます。食事は手づかみではなく箸を使います。根拠と定かになってはいませんが、日本人の清潔習慣が感染しなかった理由の一つでしょう。
清潔な社会で生き残るウイルス
ウイルスは細菌とは違い、生物の細胞に寄生しなければ生きていけません。
上下水もきちんとして水洗便所の導入、清潔な社会になっているからこそ、SARSやCovit-19インフルエンザ、エイズ、ノロウイルスなど強力なウイルスが生き残り、猛威をふるうのかもしれません。
アメリカではCovit-19の死亡者数はベトナム戦争の死亡者数を超えました。
約100年前に流行したスペイン風邪は世界人口の1/3である5億人が感染し2000万~4500万人もの命を奪い、第一次世界大戦死者数を超しています。
スペイン風邪、SARSなど強力なウイルスをみると第一波、二波と複数回にわたって流行が認められています。いったん収まったからといってそれで終わるわけではないのがウイルス感染の恐ろしいところです。
感染症対策では、初期の抑え込みが重要
SARS流行の際に、感染対策を行った台湾等の医療機関は感染対策の難しさを知りました。それは、技術的な部分でも知識面もありますが最も大きな問題は行政の対応でした。
結局、SARSの際に日本人の感染者はいなかったことから、日本は成功体験がなく他国がSARSで痛い目をみて感染対策に予算と人員を割くなか、制度や感染対策検査機関、ワクチンの開発など積極的に行いませんでした。
医療環境を言えば、日本の医療機関の多くが空気感染対策ができる陰圧病室・病棟をもっていません。
長年、日本の感染症といえば肺結核でした。不治の病として恐れられ、高杉晋作や新選組の沖田総司なども命を落としたとされています。国民病といわれた肺結核が感染症病棟の基礎となっており、結核等空気感染を含む患者は陰圧部屋がある専門病院への転院で対応できていました。
一般病院では換気システムが不十分であり、感染患者を受け入れ、院内感染を防ぐことはなかなか難しいのです。
SARSの流行で、感染症に対する危機感や難しさを認識させられたのでが、その現実を目の前にしたのにも関わらず、日本では自治体も国も大きく感染対策に舵を切りませんでした。感染対策は個々の病院でできるものではなく国、地方自治体が情報交換や制度、支援体制を整えてはじめて達成できるのです。
SARSで経済的打撃などを受けた台湾等は、COVID-19の早い段階で抑え込みに成功しています。
日本はCOVIT-19を自国の経験して、国として検査・隔離・治療の整合性のある防疫態勢、組織、法整備を整えることの必要性が改めて認識されたと思います。
COVID19は集団免疫が必要なケースか。個人で出来る対策は大切
SARSの場合は、感染拡大の比較的初期の段階で、各国の協調による抑え込みにより、終息させることが出来ました。
一方、スペイン風邪の場合では、多くの人が感染し、その中で免疫力の強い人が回復し、時間と共に回復者が多数を形成して集団免疫を獲得することで、やっと終息に向かいました。その長い集団免疫獲得過程で、多くの人が亡くなったのは事実です。
世界的な大流行(パンデミック)となってしまった感染力の強いCOVID-19は、ワクチンが開発されて多くの人が予防接種を受けることで集団免疫を獲得するか、もしくは最悪の場合、多くの人が感染し回復することで集団免疫を獲得するまで、根本的な終息は無いと考えられています(When will a second wave of the coronavirus hit, and what will it look like? - USA Today, April 19, 2020)。ワクチンによらない集団免疫を対策の手段したイギリス、スウェーデン、ブラジルなどの国々は感染者の急激な拡大と重症化により医療崩壊が起こり多くの死者を出しています。自然回復による集団免疫を期待するのは、かなり危険な賭けといえるでしょう。
感染拡大を防止し、支援の手を十分に広げていくには、個人での対策も大切です。
医療崩壊が目に見えている中で感染予防をしながら外出自粛をし、感染を避けるとういうことが、個人個人にできる最良の感染対策です。
筆者は急性期病院で働く身ですが、COVIT-19は恐ろしい感染症です。
CT上ではただの気管支炎所見だったのにも関わらず感染していたり、倦怠感があるだけの割と元気だった患者さんが急激に状態が増悪し心肺停止となったりと、医療者が想像つかない様なことが現場では起きています。
先日も症状は軽く歩いて病院に来た方が、心肺停止して救急車で運ばれてくる事例もありました。
また、ある事例では夫婦で感染し持病があった夫が急逝し、妻は一人で退院することになりました。長年連れ添い、近くにいるのにも関わらず最期に立ち会えない悲しさは計り知れません。
自分は大丈夫と思っている人が、ある日突然倒れたり、心臓が止まったりするのです。
誰がどう感染するのかわからない、誰がどう重症化するのかは判断がつかないのです。
遊びに行くのも「今日だけだから」と外出されている方も見受けますが、本当に今日しなければならないことなのか立ち止まってほしいものです。
とても悲しいですが助けられない命もあるのですから。