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観光

人生は、冒険だ!~3.インドネシア・バリ島編

 
さて、旅に出る際にまず最初に下調べしなければならないのは、旅先の政府筋の観光省の公式ホームページです。  情報化社会の中で、空き時間に短時間で検索する事が出来る、素敵なビーチの写真や、インスタ映えする写真ばかり眺めて  うっとり憧れているだけでは、自分と、同行する家族などの身の安全は守れません(^^;    「旅行会社にお任せするからいいわ~」という方もいらっしゃるでしょうが、自分で考えなければいけません。  旅行先でトラブルにあった場合、自分で説明しなければなりませんし、誰も助けてはくれません。  その訓練が、日本人は出来ていない方がとても多い気がします。自分の身は自分で守る。実はとても当たり前の事。  普段、社会のシステムに守られ過ぎている のかもしれないですね。    私が母とベルギーに旅行に行った時の事です。何故か母のスーツケースだけ出てきませんでした。  オランダでトランジットした事を思い出して、手荷物係のところに行って、英語で必死に説明しました。  そのお陰で、割と早くにオランダにスーツケースが置き去りになっている事が分かり、結局翌朝には届いたのですが、  もしあのままボーッとしていたら、探すのに夜中までかかった事でしょう。自分しか分からない事情、可能性はどんどん発信すべきです。  しかもすぐさま。こういう思いは、常に言葉の通じる国でのんびり生きていたら、一生気付けない事かもしれません。    単一民族で、「周りから浮かないように」、「上に従うように」、「目上のものには敬意を払わなければならない」  という、島国である日本らしい独自の教育を受け続けた結果、半数以上の人が自分で発信する事よりも、他人に合わせていれば上手くいく、  むしろ自分らしさは隠しておく方が生き易いと思って、周りに調和して生きる事を最初に覚えるのは当然の事かもしれません。    でも自分より目上の方の人生観に敬意を払うのと、上からの指示は絶対であると盲目に思い込むことは異なります。    学校なら先生、仕事なら上司に服従しないと殴られたり、不利益な目を被る時代は終わりました。    現在、テクノロジーの変化という次世代の技術(ツール)を手にした若者達が、日本における特殊なパワハラの現状にNO!を突き付け始めました。  日本のテレビでは日々、スポーツ界で最高の成果を収める為に「監督という絶対的な存在」が示し続けた「絶対服従教育の是非」が  選手たち(オリンピックの金メダリストまで)の告…
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2018/06/21

豊かな旅、そして「誤差」を楽しむということ

 
  豊かさとは、大きな家にエアコン完備、ふかふかのベッドに高価な調度品がある環境のことでもなく、欲しいものを持っていて何も困らない状態のことでもなく、この先何かしらの可能性や選択肢が無限にある状態のことだと解釈できるでしょう。    では、「豊かな旅」とは何でしょうか。きっちり計画がされている無駄のない旅行のことでしょうか。その土地のほとんどの観光地を制覇することができるツアーのことでしょうか。    人は生きる上で何かの選択をするたびに、"自分の選んだ道"と"選ばなかった道"に発生する「誤差」と向き合うことになります。  様々なシチュエーションに曖昧な定義で使われる「豊かさ」という言葉ですが、本当の豊かさを知ること、そして豊かさを手にいれるためのヒントは、この「誤差」という言葉にあると思います。  今回は、その「誤差」から切り口を開いていくためにも、その誤差が最も発生しやすい「旅」という行為を主体にして記事にしました。    「豊かな旅」と「そうでない旅」。    そこに存在する「誤差」が今回のテーマです。      〜旅と観光の誤差〜  普段行かない土地へ足を運ぶ時に使われる"旅"や"観光"という言葉ですが、それらを同じような意味あいで使われるということに、少し違和感を覚える方もいるかと思います。    実際にそれぞれの意味を調べてみると、    旅:住んでいる所を離れて、よその土地を訪ねること。  (参考元:https://dictionary.goo.ne.jp/jn/138208/meaning/m0u/)    観光:他の国や地方の風景・史跡・風物などを見物すること。  (参考元:https://dictionary.goo.ne.jp/jn/48016/meaning/m0u/)    とあります。      ほとんど一緒な意味に思えますが、簡単に言えば、"旅"とは訪れるという行為自体が目的、"観光"とは風景や風物などを見物することが目的です。  つまり"旅"には具体的な目的がなく、偶然性に満ち溢れていてそこから何かを知ったり、突発的な体験を楽しむ行為です。  反対に"観光"とは、見るべきものが決まっていて、確実性が重視されます。そして事前に雑誌や噂話しなどで感じた魅力や素晴らしさを、実際に訪れて確認するという行為です。    そしてそれらの意味合いが微妙に異なるように、"旅"をするのか"観光"をするのかで、そこでできる体験の豊かさももちろん違ってきます。豊かな旅をするためには…
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2018/07/09

茨城県の魅力

 
私は茨城県出身ですが、県外・国外に住んでみて、たくさんの人が茨城についてしらないこと、私自身も茨城についてわかっていなかったことがたくさんあることに気づきました。「茨城県て東北のどのあたり?」と聞かれることも珍しくありませんが、この機会に、茨城県の魅力・注目点をいくつか挙げたいと思います。水戸藩水戸黄門(徳川光圀)で知られる水戸藩は日本の歴史に大いなる貢献をしました。特に、全国から賢者が集まり、水戸藩で生まれた「水戸学」は、日本の学術の発展につながりました。また水戸学は全国に広まり、吉田松陰や、せごどん(西郷隆盛)に影響を与え、明治維新の原動力となったのです。藩校であった弘道館は、水戸市内にあり、内部や資料を閲覧することができます。そして、日本三名園の一つ偕楽園は、水戸藩第九代藩主、徳川斉昭によって造られ、今も県内外から訪れる人々が絶えないそうです。私も何度か行ったことがありますが、梅の花が満開の季節がお勧めです。盛んな農業・豊富な食物茨城県は農業がさかんで、農業産出額は全国第二位です。美味しい野菜や果物、お米やお肉に出会えます。私の実家の近所では、産出全国一位の白菜が栽培されていました。つくば・土浦では、レンコン畑や芝畑もみられます。夏にはスイカとメロンを食べたいだけたべれますし、秋にはまろやかな栗やジューシーなナシがおやつになります。保存がきくので期間限定ではありませんが、冬には腹持ちの良いほしいもがなんともたまりません。ブランド肉は、常陸牛や奥久慈しゃもその代表格です。地元の食材を使った有名レストランがいくつかありますが、盛りが良く、おいしい!東京も近いが、海外も近い茨城県は、東京に近いだけではなく、海外へのアクセスが良く、特に茨城県南西部からですと、千葉県北部にある成田国際空港が近いので海外旅行にとっても便利です。県中央に位置する水戸からでも、車一時間半で成田に着きます。茨城空港も現時点では、海外では上海、台北、ソウルに直行便が出ています。またつくば市内では、外国からの留学生や研究生が多数居住していますので、国際交流行事が盛んです。例えば、イベント運営やサービス・サポート役の一員として、様々な国出身の方々と関わり、学び合うことができます。日本百名山、筑波山頂上からは、関東平野を望むことができます。晴れた日にはスカイツリーや富士山も見えます。百名山のひとつとし…
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2018/08/10

ヨーロッパ旅行で教会見学を10倍楽しむ方法

 
ヨーロッパ旅行の観光スポットといえば教会!  ヨーロッパ旅行の計画を立てる際に、おそらく多くの人が旅程に組み込む教会。日本にもキリスト教の教会はありますが、まだまだ少ないので、私たちにとってはダイレクトに異国を感じさせてくれる存在ですよね。大学で西洋美術史を専攻し、趣味で100以上の教会を巡ってきた筆者が、教会見学を楽しむ方法をまとめました!    (ポルトガル・リスボン大聖堂)    教会見学の注意点  まず初めに忘れてはいけないのは、教会は観光スポットである以前に、「宗教的建造物」であるということです。多くの宗教的建造物は他の人にとっては「おしゃれな建物」にしか見えていなくても、信徒にとっては重要な意味をもっています。  例えば、自分の親族の七回忌をお寺で行っているところに外国人観光客がやってきてパシャパシャ写真を撮ったり大声で話していたりしたら、不快な気持ちになりますよね。特別な儀式がなくとも、中にはお祈りを日課としている人もいます。見学をする際は、地元の人が最優先、リスペクトを持って訪れましょう。  注意点  ① 教会内では防止やサングラスは外す② 撮影可能か入り口扉の注意書きを確認する③ 教会内部の足元にある台はお祈りで膝をつくためのものなので足を載せない。④ ミサ中(日曜日は注意)は見学を控える          「大聖堂」とは?  教会に関する基礎知識でぜひ知っておいてほしいのが、”cathedral(カテドラル)”という言葉です。”cathedral”は日本語では「大聖堂」と訳され、〇〇聖堂や△△教会と訳される教会はChurchと呼ばれます。「大聖堂」と聞くと多くの日本人は「大きい聖堂」をイメージしてしまいますが、”cathedral”の本来の意味は「司教座聖堂」です。司教座聖堂とは、司教(教区を監督する聖職務)の法座を備えている聖堂のことです。一般的に「大聖堂」はサイズも大きいので大きい聖堂であることに間違いはないのですが、豆知識として書いてみました。  (ポルトガル・ポルト大聖堂)    教会建築様式   ロマネスク様式:全体が丸みを帯びていて壁が分厚い ゴシック様式:尖った形状、壁が薄くステンドグラスが大きい ルネサンス様式:整然、水平指向、バランスが良い バロック様式:うねり、ねじりを多用し、ダイナミック ロココ様式:優しい色彩、華やかながら繊細な装飾 新古典主義:古代ギリシア様式を模範としたシンプルな構造   教会…
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2019/07/10

旅行前に知っておきたい!日本とも関係の深いポルトガルの関係って?

 
みなさんはポルトガルというと何を思い浮かべますか?日本ではまだまだ認知度の低い国なので、ポルトガルってどこにある国?何があるの?疑問に聞かれてしまうことも多いのではないでしょうか。しかし実はポルトガルは、日本ととっても所縁の深いヨーロッパの国の一つなのです!今回の記事では、そんな日本とポルトガルの歴史的な関係についてご紹介していきたいと思います。    日本とポルトガルの歴史①:始まりは16世紀          16世紀、ヨーロッパは大航海時代と呼ばれる時代でした。それ以前のヨーロッパは、周辺地域への地理認識はあったものの、中国や日本などの東アジア地域は、過去に旅をした人々の記録に基づきイメージを膨らませることしかできませんでした。そのため、中世では多くの人々が、アジア地域には不思議な身体的特徴を持つ「人間」や動物が住んでいると考えているほどでした。また、この時代にはまだアメリカ大陸の存在はヨーロッパ諸国には認識されていませんでした。  それらの、ヨーロッパ人にとって「未開」の地を「発見」しようという試みが興隆したのが、この大航海時代です。とくにポルトガルとスペインは当時、航海技術に長け、積極的にアジアやアメリカへ舩を出しました。アジア・アメリカに到着した後、征服活動を開始し、キリスト教化・植民地化などを行いました。    日本とポルトガルの歴史②:日本との出会い  このように海の向こう側に向けて出発したポルトガル船の一隻が、記録上によると1541年に豊後国神宮寺浦(現在の大分県)に漂着しました。これが、ヨーロッパ諸国から日本への初めての直接的な上陸であったと言われています。  その後、再びポルトガル船が1543年の種子島を訪れ、その際に鉄砲を日本に伝えました。さらに、1549年にはキリスト教宣教師フランシスコ・ザビエルが日本を訪れ、布教活動に従事したという記録が残っています。    日本とポルトガルの歴史③:鎖国とその後  その後、日本は鎖国時代(1639-1854年)に突入します。この時代、日本をオランダや中国などの一部の国を除き、外交を経つ政策をとっていました。200年以上にわたって続いたこの体制を経て、ペリー率いるアメリカ船が下田に来航し、国交を開始するように持ち掛け、それを皮切りに、日本は他の国々とも国交を回復するようになりました。  それに伴い、ポルトガルとも1860年に日葡和親条約及び日葡修好通商条約が結ばれ…
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2019/07/25

地元観光地図よる生月のキリシタン巡礼地

by Makio

生月塩俵の断崖 県指定の天然記念物        手元に生月大橋を渡った所にあった「道の駅生月大橋」観光案内所でもらった地図がある。平戸市役所生月支所産業建設課が担当で作った地図です。    生月大橋    言ってみれば、地元の人による地元の紹介地図です。  この地図が大変便利。  生月の観光スポット、お食事どころ、旅館・民宿、貴重なトイレの場所、コンビニの場所等が載っていて生月観光にとても役に立ちます。  この地元が配る観光地図に、幾つものキリシタン信仰の伝承が伝わる地が載っています。  現地でしかこの地図は手にはらないと思います。この地元発行の地図にある生月のキリシタン巡礼地を紹介していきます。        一枚目 西海国立公園長崎県平戸市生月町いきつきよかとこマップ(画像とクリックすると大きな画像で見られます)    二枚目 生月までの交通アクセス 館浦スポットと壱部スポット地図(画像とクリックすると大きな画像で見られます)      だんじくさま(一枚目地図、いきつきよかとこマップの左側)  入り口に案内があります。  殉教地 ダンジク様(画像とクリックすると大きな画像で見られます)  案内には以下のようにあります。   ダンジク様とはキリシタン信者の家族、弥市兵衛(やいちべえ)と妻と息子のことです。伝説によると三人は、弾圧の逃れて西海岸のダンジク(暖竹)の茂みに隠れます。しかし、息子が海岸に出て遊んでいたところ、船で来た役人に発見され、処刑されたと伝えられ、隠れていた場所が彼らを祀る聖地となっています。    役人が船を着けたとされる瀬に船を着けると海が荒れると言われ、八卦員の経緯から現在でも船での参拝がきんじられています。命日の1月16日には、山田のかくれキリシタン信者により現地で行事がおこなわれるほか、山田や館浦のダンジク講でも行事がおこなわれます。なお伝説や彼らを描いたお掛け絵には聖家族のエジプト逃避伝説の影響が認められます。   英語での説明もあるので載せておきます。     Danjiku refers to a Christian family consisting of Yaichi Ei, his wife and son. According to the legend, the three were hiding from the oppression in brush of perennial cane (danjiku in…
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2019/08/18

イスラム様式の建築が美しいクアラルンプール駅

by kinpirafish

以前にマレーシアの航空会社の搭乗体験について記事にしたことがありましたが、今回はそのマレーシアに実際に行ってみることにしました!(なお、マレーシア航空について気になるという方はこちら(成田→クアラルンプール)とこちら(クアラルンプール→ジャカルタ)を併せてごらんください)  本題に戻りますがまず最初に訪れたのは首都のクアラルンプールで、そこにはかつて中央駅として機能していたとても美しい駅がありました。最初見たときはてっきりモスクではないかと思ってしまったその駅とはいったい何者なのでしょう?  ムーア様式を取り入れた白亜のクアラルンプール駅    クアラルンプール駅が中央駅でなくなってしまった理由については後ほど解説することとして、まずはこの駅の見所について紹介していきます。まずは何と言ってもモスクと錯覚してしまうような美しい外観でしょう。  クアラルンプール駅自体は1910年にイギリス統治下に開業した駅ではありますが設計を担当したA.B.ヒューバックは駅に本来ならモスクにあるミナレットやドーム状構造を積極的に取り入れていき、最終的に多くのモスクで採用されてきたムーア様式を取り入れてこのような姿になりました。  これはインドのタージマハルの影響も受けていると言われており、実際にクアラルンプール駅以外でも北部のイポー駅もまたタージマハルのような外観から人気を集めています。    当時は現在のクアラルンプール駅周辺に中心街(今ではオールドタウンと呼ばれている)が形成されており、今ムルデカ(独立)広場となっている旧総督府もほど近いところにあります。今は中心部がうつったので利用者もまばらになっていますが駅舎の美しさから観光名所のひとつになっています。    中央駅になれなかった事情    実際のところ2001年までは中央駅として機能していましたが同年4月にクアラルンプール・セントラル駅(以後KLセントラルとする)が開業するとその役目を終えることになりました。日本で例えるなら鹿児島駅と鹿児島中央駅(旧西鹿児島駅)の関係が近いかも知れませんね。  クアラルンプール駅は3面4線の構造で、中央駅にしては線路が少ない印象です。市内交通については川の反対側のPasar seni(パサールスニ)まで連絡橋はつながっていますがあまり便利とは言いにくいでしょう。その状態で路線網を拡大しようとするとこれはさすがに難しいです。  …
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2020/02/25

[イラン]政治抜きでイランとはそもそもどんな国なの?

by kinpirafish

唐突ですが皆さんイランについてどのようなイメージを持っていますか?  ニュース越しに見るイランは「核合意」「経済制裁」「アメリカなどとの激しい対立」などといったキーワードがよく並びますよね。ところが同じ質問を旅通にしてみると全く異なる返事が返ってきます。それもポジティブな内容で。  一体イランとは何者なのでしょうか(笑)。実は筆者も以前に訪れたことがあるので政治抜きでイランがどんな国だったかシェアしたいと思います。  ひとつネタバレしますと日本人にはいいことが多分たくさんあります(笑)。      イランは実は観光大国?    イスファハーンの青がまぶしいイマームモスクをはじめ、イランには国土の広さだけ名所があります。  筆者はテヘランからイスファハーンまでのいわばゴールデンルートの範囲でしたがその途中にイスラム教シーア派(厳密にはその主流である12イマーム派)の聖地であるコム(Qom)や昔ながらの町並みの美しいバラの名産地カーシャーンなど、名所は目白押しです。  また、イランの国土は多様性に満ちており、南はペルシャ湾沿いの砂漠から首都テヘランの背に雪をかぶったアルボルズ山脈があり、それをさらに超えて北上すると緑豊かなカスピ海沿岸地域に入ります。モスクや史跡はもちろん、自然もまた表情豊かなだけに見所に溢れています。  余談ですがシーラーズのペルセポリスに行けなかったのが未練です(笑)。      どうにかしてほしいテヘランのワールドクラスの渋滞(笑)      ワールドクラスとは言っても渋滞が世界一のジャカルタに比べればまだマシな方なのでしょう。  しかし、テヘランの人口は東京の半分以下にも関わらず(ジャカルタほどでないにしても)東京を優に超える慢性的な渋滞地獄というのは勘弁してほしいものです。  テヘランの渋滞のこわいところはいつどこで起きるのかが、読みにくいことです。ある日は歩行者にも抜かされるほど渋滞していたところが、翌日の同じ時間帯に通ると何事もなかったかのようにスムーズに走れたなんてことがあるからです。こういうこともあっていつ出発するのかを考えるだけで頭痛のタネです(笑)。      ごはんがとにかく美味しい!    旅しているときにどんなに美しいものをみてもごはんがまずければ地獄です。しかしご安心ください、イランのごはんは美味しいです。(あと紅茶も美味しいです)  イランのド定番ごはんの中にクビデキャバーブというものがあります。  キャバーブは皆さんもお馴…
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2020/05/15

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