興味深いアンケート結果を発見した。 LGBT高校生と自傷行為について。 LGBT当時者は非当事者に比べ、深刻な悩みがあったり、自傷行為の経験があったりする確率が高い気がする。 事実、高校1~2年生の頃、私も自傷行為をしていた。今思うと何でしていたのか分からないが… 腕を見ると、まだカッターで切った跡が残っている。きっと誰かに一瞬でもいいから認めて欲しかったんだと思う。 さて、今回のアンケートは、三重県男女共同参画センターと宝塚大学在籍の日高庸晴教授が共同で実施した調査結果である。 三重県内の高校2年生およそ「1万人」が対象。 これだけ母数が多いと信憑性も高そうだ… ■LGBT当事者はやはり10%~ 電通の調査結果でいうと、13人に1人の割合で存在すると言われているLGBT。 7.6%ともいうが、肌感的には10%以上いる気がしていた。 やはりこのアンケート結果を見ると、10%。 予想通りである。 【出典:https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/mie-lgbt-student-survey?utm_term=.lsMmMxw15#.dqPKL61Aa】 そして面白いのが、LGBT2.8%に対し、Xジェンダーが5%、クエスチョニングが2.1%という結果。 心の性が男性でも女性でもないXジェンダーが意外と多い。 クエスチョニングに関しては、好きになる人の性が分からない、という人。 中学~高校生は特に流動的なイメージである。 ■当事者のうち、3人に1人が自傷行為経験者 そして… こちらのグラフをご覧いただきたい。 【出典:https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/mie-lgbt-student-survey?utm_term=.lsMmMxw15#.dqPKL61Aa】 LGBTで「わざと自分の体を傷つけたことがある」という人が31.7%もいる。3人に1人のLGBT高校生が自傷行為を経験しているのだ。 非当時者は12.0%なので、比較するとかなり高い数値だということが分かる。 他にも、「むしゃくしゃしてものを叩いたり、壊したりしたことがある」が63.5%。 「全てが嫌になるほど悩んだことがある」が59.9%。 いずれも、非当時者よりもLGBT当時者の方が高い数値である。 私も全て経験済みだ。 ■なぜLGBTは自傷行為をしがちなのか? 自傷行為をしても何もい…
またまたLGBT×炎上案件である。 自民党の杉田議員の発言に注目が集まっており、ネットを中心に大炎上している。 杉田議員は、某月刊誌の寄稿で、「LGBTって、実際そんなに差別されているものでしょうか?」「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子どもをつくらない、つまり『生産性』がないのです」などと綴った。 わりと過激である… 杉田議員のTwitterは当然のごとく大炎上。さらに、「自民党の人から励まされた」などと投稿したことで日に油を注ぐ形に… 自民党も杉田議員の考えを支援するのだろうか。多くのLGBT当事者がこれには失望している。 なお、自民党の二階俊博幹事長は、「人それぞれ」とした上で「人生観もいろいろある」とあくまで静観する姿勢を貫いている。 しかし、国民民主党の玉木雄一郎共同代表などは、杉田議員に発言に対し、「子供を持ちたくても持てない人を傷付ける発言だ」と指摘。ナチスの優生思想にも通じるとして「許せない」と一刀両断した。 ■最近カミングアウトしたことで話題になった勝間和代の意見 同性と交際していることをカミングアウトしたことで注文を浴びた勝間和代。 「きっと勝間和代、何か言うだろうな…」と思っていたが、案の定言及していた。 まず、この寄稿自体を「論外」とした上で、もっと核心に迫る問題提をしている。 「より大きな問題点を私が感じたことは、『このような誤った論調を助長しかねない論考に対し、政権与党であり、LGBTの理解促進法を作ろうとしている自民党がなぜ、容認するのか』という点に尽きると思います」 「自民党はLGBTの理解促進についてまったく当事者の気持ちを理解していないことになります」 「党内で意見が異なっていいものもあるでしょうが、今回の杉田氏の意見はすでにそのレベルを超えていると少なくとも私は感じますし、このような発言を個人の見解として容認する自民党に大変な失望感を覚えています」 【引用:http://news.livedoor.com/article/detail/15062317/】 勝間和代は、自身がカミングアウトしたことで、こういう発言も堂々とできるようになった。バサバサ問題提起をする勝間和代は頼もしい。発言にも影響力があるので… そう、今回の件に関して、杉田議員なんて正直どうでもいのだが、自民党に対する失望感がある。 「あ、容認してし…
7月31日、日本では、前田敦子と勝地涼が結婚したり、桐谷美玲と三浦翔平が結婚したりと、超美男美女の結婚速報が飛んだ。 凄い。どんなハイスペックな子供が生まれるんだろうか? きっとキムタクの娘並みに、ハイスペックな子供が産まれるのだろう。 さて、結婚といったら、子育てやマイホームなどが話題に上がってくる。 LGBTの場合、基本的に子育てはないので、マイホームの方が気になる話題だと思う。 つい最近、知り合いの35歳のゲイが、マイホームを購入した。「ゲイはずっと賃貸か実家のイメージ」という勝手な偏見があったので、まさかのマイホーム購入に驚いた。 相方がいるわけでもないので、まさかの一人暮らしだという。 2階建てのマイホームを田舎街に建て、一人暮らしという面白い選択だ。東京から引っ越すらしい。(理由を聞いてみたところ、家賃払いがバカバカしくなった、とのこと) なんとなくだが、日本においてLGBTの住宅購入はまだハードルが高い印象。 周りを見ても、マイホームを購入するLGBTなんて全く見ない。 しかしアメリカなどでは、LGBTカップルが住宅を購入することは結構あるらしい。(日本と比べて) 純粋に羨ましい。例え相方がいるにしても、一生賃貸暮らしは確かに不安である。。 LGBTカップルが家を購入することのメリットとデメリットを考えると、どうなんだろう。ややメリットの方が多いのだろうか。。 最近だと、例えば三井住友信託銀行が、住宅ローンをLGBTに対応できるように、商品改訂をした。 「ペアローン」「収入合算」などにおける『配偶者の定義』に、同性パートナーが含まれることになったのである。 まだどうなるか分からないが、LGBTカップルが何も臆することなく、自由に住宅を購入することができる、そんな未来はもしかしたら近いのかもしれない。。 ■やはり老後対策になる 個人的にLGBTと老後問題は切っても切れない関係にあると思っている。 やはりLGBTカップルが住宅をローンで購入することで、家賃払いを卒業できる、というメリットは大きい。 賃貸だと、一生自分たちの物にはならないし、65歳を超えても家賃払いをしていかなければならない。 住宅を購入できれば、ローンの返済さえ終われば生活にゆとりが生まれるはず。 そして購入した住宅は所有物=資産になる。 日本では同性婚が認められていないため、遺言状や公正証書は必須になるが、もし相方より自分の方が早…
LGBTの1つに、アセクシャル(無性愛者)というものがある。 これは、他者に対し、恋愛感情と性的欲求を恒久的に抱かない人のことを指す。 世界の1%ほどがアセクシャルらしいので、日本では130万人前後がアセクシャルに該当する。 私自身、アセクシャルを名乗る人と一度だけ会ったことがあるのだが、いたって普通の人だった。 「恋愛に興味ないの?楽しいのに」と聞くと、「ゴルフに全く興味のない人に対し、なんでゴルフをしないの?と聞くぐらいに無意味な質問」と切り捨てられた思い出がある。 恋愛とゴルフが一緒なのか・・・?ヨクワカラナイ・・・ アセクシャルに対し、無意識の差別があるという。今回、詳しくご紹介する。 ■アセクシャルについて思うこと 私自身、LGBT当事者だが、アセクシャルに対し、いい意味でも悪い意味でもあまり興味がないので、特に思うことはない。アセクシャルの友人をたくさん作って、アセクシャルに対する理解を広げよう!とも思っていない。 なぜなら、アセクシャルに対し、イマイチ理解ができないからである。(生態が謎) 私は、個人的な意見として、人生というのは人との関係や恋愛を通して彩っていく部分があると思っている。控え目にいって恋愛は最高である。つらいことも多いけど、最高だと思える瞬間が何度もあったし、本当に幸せだと思える瞬間に何度も救われた。 今もパートナーがいるが、ひとりの時と比べると、今の方が5倍くらい充実している。別に誰かに依存しているというわけではない。純粋に、楽しいのである。 心から好きで愛している人と一緒にご飯を食べたり、何かを見たり、身体を重ねたり。幸せ度が倍になり、心も満たされる。 アセクシャルは、恋愛感情と性的欲求を恒久的に抱かないということで、恋愛とはもちろん無縁。凄すぎる。恋愛小説や恋愛映画を見ても何とも思わないのだろうか??何とも不思議。 そう、別に差別をしているというわけでないのだが、正直、全く理解ができない。生態が不明。アセクシャルの理解を広めようとしても難しいのではないか? 何かと「まだそういう運命の人に出会ってないだけでしょ」と切り捨てられる気がする。 そもそも、自分の理解や常識を超えたものに対し、人は寄り添うことはできるが、完全に理解なんてできない。 というのが私の個人的な見解である。 ■無意識の差別について アセクシャルは、日々無意識な差別を感じているという。 コロンビア大学院の…
自民党の杉田議員が「子供を作らないLGBTは生産性がない」などと切り捨てた件について、LGBT当事者を中心とした集団が、7月27日に大規模なデモを行った。 場所は千代田区の自民党本部前。 杉田氏の辞職を求めるための必死の抗議活動である。 なんとメンバーは5000人。「生産性で差別するな!」「杉田を辞職させろ!」といったプラカードを掲げ、訴えかけた。 Twitterで調べたところ、様々な声が寄せられていて、色々と胸が痛くなる。 杉田議員を擁護する声も上がっていれば、「LGBTとか興味ないから勝手にやってろ」という声も上がっている。 デモについて「ここまでやられると逆に引く。誰が誰を好きになろうが勝手だし、そこまで主張しなくても…」というドン引きの声も。 Twitter上で、 『あのなあ、あのなあ、お前よー、はっきり言うけどさ、LGBTへの偏見とか、俺ら一般人、ないから。言われなくてもないから。人権侵害レベルのことをナチュラルにやるとか、ないから。勝手に意識が足りない差別者みたいな扱いすんな。そういうお前らが不愉快。偏見を作ってるのはお前ら。いい加減にしろ。 』 というコメントも発見。 「偏見を作っているのはお前ら」というのは確かにそうかもしれない。 こんな大きな抗議デモをしたことで、杉田議員の心には何も届かないだろう。デモ1つで差別偏見がなくなるわけでもない。 むしろドン引きしている人の方が多いと思う。LGBTという未知の存在に対し恐怖の念を抱いている人だってきっといるはず。 もし私が異性愛者だったら、絶対怖いと感じている。だって、少しでもLGBTに対し理解できない素振りを見せると…叩かれるかもしれないから。 「お前、なんで理解できないの?」「差別だ!偏見だ!」そんな風に言われてしまう気がする。 最近の動向を見ていると、『LGBTを受け入れるのが当たり前だよね』みたいな風潮になりつつある。 (それで相互理解が深まればいいのだが・・・) さて、ドン引きされるほどのデモについてだが、今後もまだまだ行われるらしい。 私からすると、「もういいでしょ・・・これ以上恥を晒さないでよ・・・」という感じなのだが、なぜここまで抗議デモにこだわるのか? 【出典:https://this.kiji.is/397921530213172321?c=237824576730646012】 今回、LGBTの人権獲得や保護を求めてデモを…
自民党の杉田議員が、LGBTに対し「生産性がない」と切り捨てた件で未だに波紋を呼んでいる。 LGBTアクティビスト達は彼女のことを徹底的に批判し、LGBT法連合会(性的指向および性自認等により困難を抱えている当事者等に対する法整備のための全国連合会)」に関しては、杉田議員に対して抗議声明まで発表。 事の発端は2018年8月号の『新潮45』に掲載された杉田議員の寄稿文だ。 杉田議員は『LGBT支援の度が過ぎる』と主張し、『LGBTは実際そんなに差別されているものなのでしょうか』と持論を展開。 さらに、『常識や普通であることを見失っていく社会は秩序がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねない』と主張しました。 まず、改めて思ったことなのだが、『LGBT支援の度が過ぎる』とはどういうことか?? LGBT支援を過度にされている、なんて感じたことは一度たりともない。彼女はそもそもそこから間違っている。 LGBT支援など幻想である。 現実は、まぁしょうがないのだが、差別や偏見で溢れ返っており、楽しくカミングアウトできる状況ではない。 そして『常識や普通であることを見失っていく社会は秩序がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねない』という発言についてだが、LGBTであることは「普通」じゃないと言いたいのだろうか? そもそも「常識」や「普通」とは? そんなの、世間や貴方が勝手に決めた物差しではないだろうか、と物申したい。 私からすると、地位・立場のある者が、このような発言をする方こそ「常識」が欠如していると感じる。 ■『LGBTは実際そんな差別されているものなのでしょうか』 ただ、杉田議員のこの発言だけ切り取れば、彼女はLGBTに対する差別心が"本当はあまりないのではないか?"と感じた。 『LGBTだからといって、実際そんなに差別されているものでしょうか?もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます』 そう、LGBTに対し、心の底から嫌悪しているからこそ出てきた一連の発言かと思いきや・・・ 友人がゲイ、レズビアンだとしても気にせず付き合えるというのだ。 LGBTに対し、『LGBTは実際そんな差別されているものなのでしょうか』と疑問を投げかけたのは、杉田議員にとっての純粋な疑問だったのかもしれない。 「人間なんてみんな同じじゃん。そんな差別されてる?」みたいな…
親へのカミングアウトについて、賛成派もいれば反対派もいることだろう。カミングアウトをし、受け入れてもらえた時はいいが、失敗して、ボロクソ言われた時はもう最悪だ。 親にカミングアウトをせずにこの世を去ったLGBTは一体どれだけいるのだろうか。 実際、正解はない。カミングアウトをしたからといって幸せになれるわけでもないし、関係性が良くなるとも限らない。イチかバチかみたいなところがあり、何とも言えないのである。 でもそうなら、親にカミングアウトする意味は?思うに、誰しも存在を受け入れて欲しいのだと思う。ありのままの姿を、せめて自分を産んでくれた親にはさらけ出し、「あなたはあなたのままでいいんだよ」と言って欲しいのだと思う。 私もその一人で、事実、1年ほど前に母親だけにカミングアウトをした。特に問題なく受け入れてもらえたかと思ったが、意外とそうでもないかもしれない。 ①バイセクシャルであって欲しいと願う 自分が同性愛者だとカミングアウトした後、親は当然驚いていた。でも、時間の経過とともに受け入れてくれたみたい。しかし、やはり心のどこかで『バイセクシャルであって欲しい』と願っているようだ。 会話のはしはしに、「女性との出会いはないの?」「きっと素敵な女性に出会ったことがないだけで、そのうち出会えたら価値観が変わるはず」「やっぱり結婚した方がいいんじゃない?」という言葉を挟んでくる。 頭では理解しているのものの、やはり全面的に受け入れることはできない様子だ。 ②自分のせいで同性愛者になったのだと思い込んでいる 以前、「私の育て方のせいでゲイになってしまったのかな」と言われたことがある。 そんなことは断じてないのだが、やはり、責任を感じているようだった。 そもそも、"ゲイになってしまった"と言っている時点でやはり後ろめたさを感じているのだと思う。 ③性的嗜好だと思っている 男性・女性を好きになるかは性的指向である。しかし、「性的嗜好」だと思っているようで、女性との恋愛を経験してみれば異性愛者に変われるのだと本気で信じている模様。 中学生の時に女性との恋愛経験はあるのだが・・・ ④まだどこかで信じれない部分があるらしい やはり、子供には"普通"の人生を歩んで欲しいらしい。私がゲイとして生きていることに対し、まだどこかで信じられないみたい。 いつか、「全部ドッキリでした~」って言ってくれるんでしょ?と言われたことがある…
みなさんは自分らしく生きていますか? 自分に正直に素直な心で過ごしていますか? 僕は「普通」の人と言われない人かも知れませんが「普通」の人よりも自分らしく素直に生きています。笑いたいときに笑って泣きたい時に泣いて自分に正直に生きています。この素直な心で生きているのは強いコンプレックスがあったからです。 ”ぼくは産まれた時女の子でした。” 僕は自分らしく生きることに深く悩んだ時期があります。小学校に入った頃、ぼくは学校の男女の区別が嫌になり不登校になりました。クラスメートからの手紙を見て「想いのない手紙はいらない」と一言お母さんにつぶやきました。母は僕の本当の気持ちを知らず「えらい冷めた子ね、、」と驚いたみたいです。 当時の学校生活は自分らしくいられない檻のような場所でした。学校も家でも自分らしくいられない監獄でした。朝起きるとポニーテールを強要され、スカートを履き赤いランドセルを背負い登校。学校に着くと駄々をこねて買ってもらった青い上靴をドヤ顔で履き、ささやかな反抗をしていました。友人は男子ばかりでしたが、クラスで分けられる「普通」の女子グループにはついていけず、小中高と年を重ねるほど距離を感じていました。 自分は「普通」ではないの?みんなみたいに「普通」に生きることはできないの?自分が嫌いで自信がなく人と違うのが怖いという思いが小中高と続きました。 ある事件がきっかけで自分に正直に生きる一歩を踏み出すことができました。大学の進路を決める際、クラブ活動の見学に行くと女子チームの中に男子が!? 男女混合!?じゃないよね?? ”女の子?男の子?もしかして同じような子?!?” クラブの練習見学などそっちのけで男の子を観察してみると声は女の子、ボーイッシュを超えた男子よりもかっこいい女の子でした。私はあまりにもショックで同じような人がいるならここにする!と決め、その大学へ進学するのを決めました。 いざ大学に入るとぼくと似たような先輩、同級生がいることを知り”メンズ”という女の子だけど女の子が好き、見た目も仕草も男の子。というジェンダーが認知されていると知りました。つっかえていたものが外れ、他の人もやっているからいいんだ!と今まで我慢していたやりたい服装、髪型、好きな女の子にも素直な気持ちでアタックできるようになりました。 大学生活は以前よりも自分に正直に生きることができていました。 しかし大学生活を…
「私、実はっ…左利きなんだ!」 ある日、友人にこう言われたとしたら、皆さんは何を思うだろうか。へぇ、とか、そうなんだ~、とか、そんな感じだろう。珍しいと思うかもしれない。しかし、だからといってその人に対する見方が変わるわけでも何でもない。 では、次の場合はどうだろう。 「私、実はっ…レズビアンなんだ!」 人によっては、お茶を吹くかもしれない。そうなんだ~、とか、そんな感じの人もいるだろう。 しかしこの二つ、どちらも同じ確率で皆さんが受けるかもしれないカミングアウトなのだ。実は、LGBTと呼ばれる人々は、左利きの人と同じくらいの割合で存在すると言われている。 それでも両者には大きな隔たりがある。恋愛観をあまり表に出さない国民性もあるだろうが、しかし、世の中への浸透っぷりの違いが最も大きいだろう。 今回はそんな世の中で、娘からレズビアンであるというカミングアウトを受けてしまった母親の衝撃について、体験談を語ってみようと思う。 伝える方は言うまでもなく荷が重いが、実は言われる方も結構大変なのかもしれない。そんな、エピソード。 母と二人、なんてことなく過ごしていた白昼。ふと、今なら言えるかなと思った。 「お察しかと思うんですが…私、長野に彼女がいます。笑」 私が笑顔で軽くポロリと彼女の存在を告げた、その瞬間の母の顔は忘れられない。 言葉にするならば「何言ってるの、この子」だ。 咄嗟の拒絶反応に、思った以上に私自身もショックを受けてしまった。それまでわりと多様性だのなんだのということに理解ある母であった分、あの戸惑いの表情は衝撃的だった。 お察しではなかった…。微妙に複雑な心境になってくる。 何とも言えない無言が続く。普段どちらかというと仲の良い親子だというのに、非常に気まずい沈黙の時間。目が合わない。なんだこの感じ。 いろいろな考えが頭の中をぐるぐるした。そうして結局、「偏見がないといいな」とだけ言い残して、私はその場から逃げてしまった。 家族は、誰よりも近しい存在だからこそ、受け入れてくれた時の安心感は凄まじいし、拒絶されたときの絶望感もまた凄まじい。ただ、好きな人が居ると告げただけなのにな。 相手が男性だったら?「彼氏ができたよ」だったら? いわゆる普通の、反応が返ってきたのだろう。そのことがまた悲しくて悔しかった。 その日の夕飯時、母は何事もなかったかのように接してきた。それがまた切なかったが、私自身も疲れ…
白鳥の湖は、3大バレエのひとつに数えられ、バレエと言えば白鳥の湖というくらい有名で、まさにバレエの代名詞と言っても過言ではありませんね。特に、情景という音楽は誰でも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。 ドラマティックで華麗なこの演目、悪魔ロッドバルトの呪いで白鳥に変えられてしまったオデット姫が、王子の強い永遠の愛で呪いが解けるハッピーエンドの物語…そう思っていませんか? 誰もがそう思っている白鳥の湖、実はその原典をたどると悲劇の結末を迎える作品だったのです! こちらでは、さまざまな演出方法のバレエ「白鳥の湖」を動画とともにご紹介いたします。 バレエ「白鳥の湖」 白鳥の湖は、1877年にピョートル・チャイコフスキーが作曲したバレエ音楽で、物語はドイツの童話「奪われたヴェール」が元になった全4幕の作品です。 同年に初演したものの、質の悪い演奏や振り付けなどが原因となり、信じられないことに失敗してお蔵入りになるという惨たんたる結果に…。成功したのは、チャイコフスキーがこの世を去ってからのことで、マリウス・プティパの手により蘇った白鳥の湖は大好評を博したのです。 日本での初演は1946年の帝国劇場、しかも初めて全幕上演を果たした演目でした。スタッフは、上海帰りのダンサー・小牧正英が演出から振り付けのほか、悪魔ロッドバルト役で出演までこなし、著名な画家である藤田嗣治(レオナール・フジタ)が舞台美術を手がけ、舞台は大成功のロングラン公演に! 焼け野原のなか、辛うじて残った劇場で上演された幻想的かつ美しい愛の物語は、観客に夢と生きる力を与え、日本におけるバレエを芸術としての地位に押し上げたのです。 「白鳥の湖」実はオリジナルは悲劇だった! 物語は、王子・ジークフリートが母から結婚をすすめられるもののその気がなく、ふと訪れた湖で白鳥たちが月の光を浴びて人間の女性に変わる光景を目にして、一際、見目麗しく輝くような姫君・オデットにひと目で魅せられるところから始まります。 オデットは、悪魔ロッドバルトに呪いをかけられ、呪いを解くことができるのは、恋をしたことのない男性の真実の愛だけと言います。それを知って、王子はオデットに真実の愛を誓うために舞踏会に誘いました。 王子の花嫁候補として世界中の名だたる姫君が集まるなかに、悪魔の娘・オディールが現れます。オデットにそっくりの魅惑的な姫君に王子はすっかり…