みなさんは自分らしく生きていますか?
自分に正直に素直な心で過ごしていますか?
僕は「普通」の人と言われない人かも知れませんが「普通」の人よりも自分らしく素直に生きています。笑いたいときに笑って泣きたい時に泣いて自分に正直に生きています。この素直な心で生きているのは強いコンプレックスがあったからです。
”ぼくは産まれた時女の子でした。”
僕は自分らしく生きることに深く悩んだ時期があります。小学校に入った頃、ぼくは学校の男女の区別が嫌になり不登校になりました。クラスメートからの手紙を見て「想いのない手紙はいらない」と一言お母さんにつぶやきました。母は僕の本当の気持ちを知らず「えらい冷めた子ね、、」と驚いたみたいです。
当時の学校生活は自分らしくいられない檻のような場所でした。学校も家でも自分らしくいられない監獄でした。朝起きるとポニーテールを強要され、スカートを履き赤いランドセルを背負い登校。学校に着くと駄々をこねて買ってもらった青い上靴をドヤ顔で履き、ささやかな反抗をしていました。友人は男子ばかりでしたが、クラスで分けられる「普通」の女子グループにはついていけず、小中高と年を重ねるほど距離を感じていました。
自分は「普通」ではないの?みんなみたいに「普通」に生きることはできないの?自分が嫌いで自信がなく人と違うのが怖いという思いが小中高と続きました。
ある事件がきっかけで自分に正直に生きる一歩を踏み出すことができました。大学の進路を決める際、クラブ活動の見学に行くと女子チームの中に男子が!?
男女混合!?じゃないよね??
”女の子?男の子?もしかして同じような子?!?”
クラブの練習見学などそっちのけで男の子を観察してみると声は女の子、ボーイッシュを超えた男子よりもかっこいい女の子でした。
私はあまりにもショックで同じような人がいるならここにする!と決め、その大学へ進学するのを決めました。
いざ大学に入るとぼくと似たような先輩、同級生がいることを知り”メンズ”という女の子だけど女の子が好き、見た目も仕草も男の子。というジェンダーが認知されていると知りました。つっかえていたものが外れ、他の人もやっているからいいんだ!と今まで我慢していたやりたい服装、髪型、好きな女の子にも素直な気持ちでアタックできるようになりました。
大学生活は以前よりも自分に正直に生きることができていました。
しかし大学生活を終え社会に出ると性別で確実に分けられる。戸籍も声も女性なので就活は女性コーディネートでピッチピッチのパンツスーツにふくらはぎがパンパンになるパンプスを買うよう母からの強要。ここで2度目の爆発。
母に長年の苦しみをぶち撒け、性転換をして男性として生きて行く!バイトで働き資金を貯めると宣言しました。
それからは男性として生きていく覚悟を決め貯金に励みました。男性として働いていても女子校出身がバレると、ナメくさった態度で接してくる人もいました。しかしほとんどの人が「私」という人間を見てくれ暖かい人に支えられ、性別適合手術を終えることができました。
性転換計画を終え、自分の望む性別になり日常生活に戻りましたが、次は「俺は男らしく生きるんだ!!」と以前よりも強く思うようになりました。
しかし体が女だと日常に不必要なストレスがかかる。無意識のうちにビクビクしている自分がいました。
このままビクビクして生きて行くのか?
もしくはリスクを負ってでも陰茎形成をするのか?
そこまでする必要はあるのか?
自分らしく生きるには自信を持ちたい
散々悩んだ挙句、自信を持つことで”自分らしく”なるならば前腕の肉を陰茎に形成する手術を受けよう。
と2度目の手術を受ける覚悟をしました。またアルバイト生活の始まりです。陰茎形成の2回にわたる手術をタイで受けました。陰茎形成については今回は詳しくは書けませんが滞在29泊30日の滞在を終え無事に日本へ帰国しました。
とうとう自分の望む体になりました。これで”自分らしく”生きていける。そう確信していたのです。
しかし「〜らしく」が「男性らしく」しないといけないに変化しただけでした。
抱えるもやもやは、なかなか払拭できず今まで以上に多くの人に出会える環境に飛び込みました。毛嫌いしていたイベントにも参加するようになり、より多くの人との出会いが私の考えを大きく変えました。比較はできないけれど皆何かしら社会的に苦しんでいる。しかし自分を認め、他人も認め、”自分らしく”生きている。輝いている人は自分の心に素直に生きていました。
心の声と向き合うことをするようになりました
「自分らしく」に性別なんて関係あるのか?
なぜ「男らしく」してしまうのか?人と違うことは悪いことなのか?なぜそんなに自分らしくないと感じてしまうのだろうか?
答えは簡単でした。
私は”普通”になりたかっただけでした。
性別適合手術は私と向き合うきっかけをくれました。
しかし自分の思う”普通”にはなれませんでした。
”普通”の基準なんてどこにもなかった
一人一人違いそれぞれの個性がその人の輝きになるのです。
「自分らしく」に性別なんて関係なく、自分自身を偽らず、ありのままの自分を受け入れるということであると気が付かせてくれました。