LGBTの1つに、アセクシャル(無性愛者)というものがある。
これは、他者に対し、恋愛感情と性的欲求を恒久的に抱かない人のことを指す。
世界の1%ほどがアセクシャルらしいので、日本では130万人前後がアセクシャルに該当する。
私自身、アセクシャルを名乗る人と一度だけ会ったことがあるのだが、いたって普通の人だった。
「恋愛に興味ないの?楽しいのに」と聞くと、「ゴルフに全く興味のない人に対し、なんでゴルフをしないの?と聞くぐらいに無意味な質問」と切り捨てられた思い出がある。
恋愛とゴルフが一緒なのか・・・?ヨクワカラナイ・・・
アセクシャルに対し、無意識の差別があるという。今回、詳しくご紹介する。
■アセクシャルについて思うこと
私自身、LGBT当事者だが、アセクシャルに対し、いい意味でも悪い意味でもあまり興味がないので、特に思うことはない。
アセクシャルの友人をたくさん作って、アセクシャルに対する理解を広げよう!とも思っていない。
なぜなら、アセクシャルに対し、イマイチ理解ができないからである。(生態が謎)
私は、個人的な意見として、人生というのは人との関係や恋愛を通して彩っていく部分があると思っている。
控え目にいって恋愛は最高である。
つらいことも多いけど、最高だと思える瞬間が何度もあったし、本当に幸せだと思える瞬間に何度も救われた。
今もパートナーがいるが、ひとりの時と比べると、今の方が5倍くらい充実している。
別に誰かに依存しているというわけではない。純粋に、楽しいのである。
心から好きで愛している人と一緒にご飯を食べたり、何かを見たり、身体を重ねたり。幸せ度が倍になり、心も満たされる。
アセクシャルは、恋愛感情と性的欲求を恒久的に抱かないということで、恋愛とはもちろん無縁。凄すぎる。
恋愛小説や恋愛映画を見ても何とも思わないのだろうか??何とも不思議。
そう、別に差別をしているというわけでないのだが、正直、全く理解ができない。生態が不明。
アセクシャルの理解を広めようとしても難しいのではないか?
何かと「まだそういう運命の人に出会ってないだけでしょ」と切り捨てられる気がする。
そもそも、自分の理解や常識を超えたものに対し、人は寄り添うことはできるが、完全に理解なんてできない。
というのが私の個人的な見解である。
■無意識の差別について
アセクシャルは、日々無意識な差別を感じているという。
コロンビア大学院のフォスターさんによると、「無性愛なんてそもそも存在しない」と思われていることや、「ただの堅物(かたもおの)」と思われていることが相当なストレスになっているらしい。
これが鬱の傾向に繋がっているというのだ。
おそらくほとんどの人は、暗黙の了解のように、「誰かに恋をしたり、性的欲求を抱くのが普通」だと思っているだろう。
この普通から外れているために、アセクシャルに対する無意識の差別は起きるというのだ。
まぁたしかに、「人はこうあるべきだ!」という勝手なルールを他人に押し付けるべきではない。
それは世間が作った勝手すぎるルールだから。
でも、理解の範囲を超えてしまうと、やっぱりどうしても理解できない…というのが事実。
「そういう人もいるんだね。恋愛してみればいいのに」とサラッと思うだけである。(ほとんどの人はそこに深い興味を抱かない)
アセクシャルに限らず言えることだが、LGBTを理解させようとするのはやはり難しいなと感じる今日この頃。
自民党問題で、よく分かったと思う。