自民党の杉田議員が、LGBTに対し「生産性がない」と切り捨てた件で未だに波紋を呼んでいる。LGBTアクティビスト達は彼女のことを徹底的に批判し、LGBT法連合会(性的指向および性自認等により困難を抱えている当事者等に対する法整備のための全国連合会)」に関しては、杉田議員に対して抗議声明まで発表。事の発端は2018年8月号の『新潮45』に掲載された杉田議員の寄稿文だ。杉田議員は『LGBT支援の度が過ぎる』と主張し、『LGBTは実際そんなに差別されているものなのでしょうか』と持論を展開。さらに、『常識や普通であることを見失っていく社会は秩序がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねない』と主張しました。まず、改めて思ったことなのだが、『LGBT支援の度が過ぎる』とはどういうことか??LGBT支援を過度にされている、なんて感じたことは一度たりともない。彼女はそもそもそこから間違っている。LGBT支援など幻想である。現実は、まぁしょうがないのだが、差別や偏見で溢れ返っており、楽しくカミングアウトできる状況ではない。そして『常識や普通であることを見失っていく社会は秩序がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねない』という発言についてだが、LGBTであることは「普通」じゃないと言いたいのだろうか?そもそも「常識」や「普通」とは?そんなの、世間や貴方が勝手に決めた物差しではないだろうか、と物申したい。私からすると、地位・立場のある者が、このような発言をする方こそ「常識」が欠如していると感じる。■『LGBTは実際そんな差別されているものなのでしょうか』ただ、杉田議員のこの発言だけ切り取れば、彼女はLGBTに対する差別心が"本当はあまりないのではないか?"と感じた。『LGBTだからといって、実際そんなに差別されているものでしょうか?もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます』そう、LGBTに対し、心の底から嫌悪しているからこそ出てきた一連の発言かと思いきや・・・友人がゲイ、レズビアンだとしても気にせず付き合えるというのだ。LGBTに対し、『LGBTは実際そんな差別されているものなのでしょうか』と疑問を投げかけたのは、杉田議員にとっての純粋な疑問だったのかもしれない。「人間なんてみんな同じじゃん。そんな差別されてる?」みたいな。でも、だとしたら、『常識や普通であることを見失っていく社会は秩序がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねない』という発言は何なのだろう。どちらが本心なのだろうか・・・友人がゲイ、レズビアンだとしても気にせず付き合えるという人の多くは、LGBTに対し「別に普通でしょ」と思っている人が多い。そう考えると、杉田議員の発言はよく分からない。矛盾を感じる。■理解できない人は理解できない=しょうがない思うに、杉田議員に怒り狂っている当事者もいるようだが、杉田議員個人に怒ってもしょうがないと思う。もう、末期というか、そもそも理解できない人は理解できないのだ。こちらから「理解しろ!」と言うのもおかしな話である。ただ、影響力のある人間が、このような発言をするには良くなかったとは思う。今回の件に関しては、杉田議員がどうこうというより、彼女の発言を最初に受け入れ、いまだ彼女を処分しようとしない自民党に問題がある気がしてしまう。すでに勝間和代氏も言っていたが、杉田議員の発言は個人の域を超えており、"自民党の発言"のような気がしてならない。杉田議員に対し「殺害予告」をした人もいたが、今後どうなってしまうのだろうか。自分には何もできないが、みんなが納得する形に収まってくれればと思う。