※3月19日情報更新 昨年末中国武漢市内に端を発した新型コロナウィルス(COVID-19)、瞬く間に国外へと伝播し、現在では日本含め、世界の多くの地域がその猛威に振るわれています。この新型コロナウィルスの及ぼしている影響は多岐に渡っていますがその中でも最もインパクトが大きいもののひとつに移動の制限が挙げられのではないでしょうか。 新型コロナウィルスの流行によって当初は中国の一部のみが入国規制対象になっていましたが世界的に罹患者が増えている中で日本とて入国規制対象としている国も増えています。この機に入国規制でそもそもいけなくなっている国、条件付きで入国できる国、情報源となるページなどを整理することにしましょう。 なお、今回紹介する情報については外務省のページ(ここをクリック!)を参考に作成しています。(なお、これは執筆時点の3月19日の情報を基にしているので実際にはさらに増えている可能性があります) 日本からの入国が原則禁止となっている国・地域 以下に示す国は日本からの入国、日本滞在歴を持つ者の入国が原則禁止になっています。(ビザの効力停止措置、外国人一律入国禁止措置なども含む) EU全域 アゼルバイジャン アルゼンチン アンティグア・バーブーダ イラク インド エルサルバドル オマーン ガーナ 韓国 キルギス クウェート クック諸島 グアテマラ 英領ジブラルタル シリア スリランカ スロバキア(現住所がスロバキアの場合は例外) 中華人民共和国 デンマーク(国境封鎖) トリニダードトバゴ(ただし日本出国14日以内に限る) トルクメニスタン ニウエ ネパール バーレーン(ただし有効な滞在許可を持っている場合は例外) バヌアツ フィリピン(2020年3月12日に入国制限を発動、3月14日よりマニラ封鎖) マーシャル マレーシア(ただし対象は北海道のみ国境封鎖及び入国全面禁止へ) モルドバ モンゴル レバノン リビア 執筆時点(2020年3月14日現在)では以上の国が原則として日本からの入国禁止措置をとっています。上記には載っていませんがイスラエルについてはイスラエル保健省の定める自宅待機の証明ができないと入国できません。 今後さらに入国禁止措置を発動する国が増える可能性があるので最新情報は外務省のページ(ここをク…
※注意※2020年3月21日現在、マレーシアは外国人の入国禁止措置を、シンガポールは入国後14日間症状の有無にかかわらず隔離措置を実施しています。 新型コロナウィルス(COVID-19)の感染状況が「パンデミック」になってから本来なら旅行シーズンの春休みが狂わされているという方が多いのではないでしょうか。これから先当分出国できない状況が続くと思いますが、時間が経過してこの記事が目についた時には収束しているとなお嬉しいものです。 ということで、筆者の旅の備忘録も兼ねてマレーシアのジョホールバルからシンガポールまでの路線バス旅を共有したいと思います。 ジョホールバルからシンガポールまでのアクセスは3通り 1.バス一口にバスと言ってもマレーシア各地から運行されている長距離バスと路線バスがありますが、今回はジョホールバルからなので路線バスがメインになります。ジョホールバルからはラーキンバスターミナルとJBセントラルから乗車でき、ウッドランズ国境検問所(CIQ)から先のシンガポールの主要MRT駅や中心部まで結んでおり、路線も東京メトロも顔負けなほど多いです。 2.鉄道マレー鉄道がJBセントラル駅からウッドランズCIQ駅まで10分で直結しています。ひと昔前であればCIQのその先にあったシンガポール駅まで乗り入れていましたが廃駅に伴ってCIQが終点になっています。 3.タクシー一口にタクシーと言ってもマレーシアでよく目にする赤いタクシーではなく、黄色い車体の越境タクシーになります。車内には入国書類も備わっていて乗れば最強な交通手段ですが見つけるのは大変です(笑)。シンガポールですとクイーンズストリートバス停の一角で暇そうに戯れているのでみつけやすいです。 筆者が路線バス推しの理由 筆者は路線バス推しですが最初に警告しますと朝夕の渋滞はヤバいです(笑)。何もなければ10分以内で通れるところを2時間もかける羽目になりますからね。ですので朝夕のラッシュ時だけは予約してでも鉄道を使うことをお勧めしますが、それ以外は路線バス推しです。 1.とりあえず安いジョホールバルから乗車すると片道一律3リンギットですので日本円にして60円前後、安いです。とりあえず路線バスが一番安いということを覚えておいてください(笑)。 2.予約とは無縁マレー鉄道を利用する場合、どうしても全席指定席である関係で予約が必要になります。その…
※重要※2020年3月21日現在マレーシアは外国人の入国禁止措置をとっています。 新型コロナウィルスのせいでまともに外に出ることすらかなわないという人が急増中です。 外出自粛など、こうなると確かにどうしようもないですからね。そうであっても世界には興味を引くものが数えきれないほどあるのもまた事実です。沈静化したらそんな場所を早速訪れたいものです。 それはそうと、先月マレーシアを訪れた際に大変興味深いモスクが南部ジョホール州都のジョホールバルにあったのでさらに少々調べてみました。そのモスクの名はアブバカールモスクです。 外見はモスクというよりヨーロッパ式の宮殿? 何も言われないでこの写真を見せたらむしろヨーロッパ式の宮殿と答えたくなるところですが、これぞ今回紹介するアブバカールモスク(正式名称はMasjid Negeri Sultan Abu Bakar)です。このような外観がヨーロッパ式のモスクは世界的に極めて希少な存在で、このような外観からマレーシアで最も美しいモスクのひとつとして賞賛されています。 それにしてもモスクというと大きなドーム状の屋根があるアラブもしくはオスマン、ペルシャ様式の建築のイメージが先行しますがどうしてここだけ異端児と言っても過言ではないモスクができたのでしょう?そこにはマレーシアの歴史が深くかかわっています。 1892年のマレーシアと英国ビクトリア様式 さて、1892年という数字ですがこれは建設されたときの年になります。1892年というとそこから18年遡ると1874年に英領マラヤが成立しています。つまり、マレーシアはこの時すでに英国統治下にあったことを示しています。 英国統治は第2次世界大戦時の1942年に一時旧日本軍により放逐されますが(その後さらにジョホールバルからゴムボートでさらにシンガポールから英軍を放逐したのも有名です)戦後返還されると1957年まで統治が続きました。 この英国統治こそ重要なキーワードのひとつになります。 冒頭部でヨーロッパ式の宮殿のように見えると述べましたが実はこの建築様式そのものが宗主国だった英国からもたらされたものです。 敢えて専門用語を用いるとビクトリア様式を採用しており、これは1837年から1901年にかけて在位したビクトリア女王の時代に確立されたものです。厳密には中世のゴシック様式に当時画期的だった近代素材をブレンドさせてできた…
愛知県の県庁所在地である名古屋市以外にも肥後名護屋などのように「ナゴヤ」と読む地名は日本国内に他にもあります。しかし、これが海外にもあるとなるとどうでしょう?耳を疑う話ではありますが実はありました。 上の写真はCOVID-19の感染が本格化する前にインドネシア領バタム島で撮影した道路標識ですがなにか見覚えのあるものがないでしょうか?「Nagoya」です!目を疑いましたが実際にこれを撮影したときには既に「ナゴヤ」市内にいました。 今は旅ができないご時世ですがオンライン飲み会などのうんちく話でこの「ナゴヤ」の話をネタに使ってみてはいかがでしょう、ということは置いておいてせっかくですのでインドネシア領ナゴヤについて知ってもらうこととしましょう。 シンガポールやマレー半島とは目と鼻の先 ナゴヤを擁するインドネシア領リアウ諸島バタム島はシンガポール海峡を挟んでシンガポール及びマレー半島南岸(ジョホールバルなど)との対岸に位置しています。それは船舶でわずか1~2時間なので目と鼻の先です。(故にインドネシア国内では類を見ない民族事情がありますがそれは後ほど詳しく説明します) しかし目と鼻の先とは言っても往復3000円以上は余裕でかかるのでバタム島からジャカルタまで飛行機に乗った方がまだ安いことも珍しくないです。 上の地図はバタム島内でナゴヤをズームアップしたものになります。ナゴヤはバタム島の西側に位置しており、今のところ島内最大都市です。しかし、島内東側のバタムセンターの都市発展が著しく、シンガポールやジョホールバルからの船舶の運行本数でいえばバタムセンターの方が多くなっています。 ちょっとユニークな民族事情 インドネシアもマレーシアやシンガポールなどと同様に東南アジア有数の多民族国家なだけあって島が違えば民族事情も違うというお国柄があります。中でもバタム島については位置関係故にちょっとユニークです。 バタム島を含むリアウ諸島は主にマレー系(シンガポール訛りのマレー語を話す)、中華系、インド系の住民が多い構成で、これはマレーシアやシンガポールと殆ど変わりません。強いて言えばそこにさらにジャワ島方面などから来たインドネシア系が多く加わっているところでしょうが、これは独立以後のトランスミグラシ政策(都市部に集中した人口を他島に分散させる)に由来するものが大きいでしょう。 それにしても本来なら旧…
「事実は小説よりも奇なり」ということわざがありますがシンガポールの対岸にあるインドネシア領ナゴヤに至っては地名が小説とは比にならないほど奇です(笑)。しかも挙句の果てに地名の由来がまだ謎ですがそんなナゴヤの概要については青字のところをクリックしてご参照ください。 それはさておき、前回の記事で予告したように、今回は旅ができないご時世でも旅の気分を味わうべく「ナゴヤ」をバーチャル街歩きします。筆者はシンガポールから日帰りで突貫で行けるということで予習ゼロで行きましたがシンガポールになれるとここはとんでもなくカオスに感じられること間違いなしです(笑)。 ジャカルタのような終わりの見えない渋滞がないだけまだいいのですが交通マナーは期待しないでおきましょう。 観光するというよりカオスを味わう場所(笑) シンガポール人の友人からも耳にたんこぶができるほど言われたのですがナゴヤを擁するバタム島には観光名所と言えるようなところは殆どないです(笑)。 その代わり、飾らないカオスな日常を堪能するにはうってつけの場所です。筆者もバタム島に上陸する1か月前にジャカルタを訪れており、当時の感覚が恋しくなってしまったので気が付けば上陸していたという次第です。渋滞はないにしても交通マナーはジャカルタと変わらずメチャクチャです(笑)。 ナゴヤ市内を見下ろす丘にある近代的なモスク ナゴヤにはいわゆる歴史的建造物というのは殆どないかわりに近代的なモスクが丘の上に立っています。その名はジャバルアラファーモスク(Masjid Jabal Arafah)で、管制塔のようなミナレットと白い網目状のドームが特徴的です。また、このモスクは全体的にガラス張りになっているので礼拝中も近くを通ると中が丸見えです。 ちなみに筆者が訪れた当時は金曜日だったので金曜礼拝が行われており、たまたま近くを通った筆者はその様子が放っておいても目に入るさまでした。しかも信者の数も膨大だったのでモスクの外にも信者があふれ出しているという光景も目にしました。金曜日以外だと時間帯によっては見学させてくれるそうですがそれはコロナが収束してからのお楽しみですね....。 余談ですが島の東側にあるバタムセンターにはピラミッド状のモスクがあります。どれも奇抜なデザインのモスクですね...。 仏教寺院も 前回の記事で民族事情はシンガポールやマレー半島と殆ど同じであると…
悪名高いコロナが収束した暁にまた訪れたいと考えている国のひとつに中央アジアのカザフスタンがあります。 昨年早春に訪れた際、文化的にはウズベキスタンと言っても過言ではない南カザフスタンのとある世界遺産の廟建築を見学したのですが一部修復中だったのでまだ見れてない箇所が残ってるからです。特に見ておきたいのが美しい巨大な青いドームなのですがそれもまた当時は修復中でした....。 今回取り扱う世界遺産というのは中央アジアのメッカとは言われるものの未完のまま終わったホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟という廟建築で、南カザフスタン州都シムケントから鉄道で3時間ほど西へ進んだテュルキスタンにあります。 ホージャ・アフマド・ヤサヴィとは何者? ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟を知る上でまずは知っておきたい人物が廟の名前の由来となっているホージャ・アフマド・ヤサヴィー(Khoja Ahmad Yasawi)という人物です。 平たく言えば「イスラム学者」の一言でまとめられそうなのですが実際のキャリアは詩人でした。そうとは言ってもヤサヴィーは現在のウズベキスタンを拠点に中央アジアで広く宣教活動をし、カザフ人などの中央アジアにおけるテュルク系遊牧民のイスラム化に大きな影響力を持った人物でもありました。 廟のあるテュルキスタン(当時の名称はヤシ)もヤサヴィーが移住してから本格的に都市開発が始まった場所で、ヤサヴィーが没した場所でもありました。同様にここに葬られたことから「テュルクの聖なる土地」(ヤサヴィー本人もテュルク系であるため)という意味を込めたテュルキスタンという都市名になりました。 ティムール朝が本格的な廟を建立しようとするものの... ヤサヴィーの死後約200年が経過してティムール朝が勃興すると、初代君主であるティムールが当時あったヤサヴィーの廟の増築を命令します。ヤサヴィーの生前のキャリアとヤサヴィー自身が遊牧民から広く支持を集めている人物であったことも要因にあり、加えて当時敵対勢力圏に組み込まれていた地域の遊牧民からも支持を集めるという狙いもあったと考えられています。 こうして小さな廟からモスクや図書館も備えた機能的な大きな廟へと生まれ変わるものの、ティムールが死亡するや否や建設事業は結局打ち切りになりました。 写真は廟の南門を映したものですが、最初の写真のような青いタイルはなく、基礎部分がむき出しの…
COVID-19が収束したらまた訪れたい小島があります。その小島というのは北欧デンマークにある島で、人口は50人にも満たないSkarø島です。 筆者が何故そんな島に惚れたのか、今回は過去の旅の記憶をたどりながら振り返っていきます。当時は2018年の年明けと、冬の真っただ中でした。 Skarø島はどこ? Skarø島(スカロー島)は首都コペンハーゲンから電車で1時間ほど西へ移動したところにある、デンマークで3番目に大きい島であるフューン(Fyn)島からほど近いところにある離島です。島の面積はたったの1.97平方㎞と、2時間もあれば島を一周できそうなほどの小ささです。このSkarø島は人口50人未満の島でもあり、住民はたったの20人ほどです。 この島の最寄りの都市はSvendborg(スヴェンボー)で、そこからSkarø島へフェリーが運行されています。アクセスについては最後の方で改めて解説します。 Skarø島に来てー長閑な日常と自然 よくぞ初めてデンマークにやってきていきなりコペンハーゲンを飛ばして超穴場な島にたどり着いたものだと今でもよく思います。 訪れた当時は冬の真っただ中だったので本来なら観光客がそもそもあまり来ないシーズンです。そんな時期にも関わらず訪れることができたきっかけはその島でインターンをしていた大学の先輩がいたおかげでした。 おかげさまでしばらくの間はその島で過ごすことにしました(オフシーズンなこともあってインターン生やワーカー用の宿舎で泊まらせていただきました)。なお、この島では毎年一定数の日本人がインターンなどで滞在しているそうですよ。 本題に戻りまして、筆者が訪れたのがオフシーズン真っただ中とは言え、いざSkarø島に到着してみれば心を奪われっぱなしでした。 牧歌的な風景 いくら島が小さいとは言え、人口が少ないだけのことはあって広々としているように感じられます。島内を歩き回ればそこには牧歌的な風景が広がっています。平原の真ん中に家がポツリという構図も映えますね。 この島にいると通信が圏外になるのでグーグルマップを開かずに思い思いの方向へ向かってぶらぶら歩いていました。やがて海が見えたところでさらに一枚です。茶色と緑の混ざった風景は冬ならではです。それにしてもこの島は地形が全体的になだらかなんですね。 海辺まで出てみるとそこには小舟がありました。漁船かどうかは分かりません…
まだ2回しか訪れたことのない台湾ですが、筆者の大好きな旅先であることだけは断言できます。 また、生憎今は旅できないご時世ですが、もともと台湾は日本人からの支持が厚いデスティネーションでもありますからね。首都台北やその周辺でも見所や食べどころがいっぱいつまっています。 さて、以前に筆者が台北を拠点に旅していたとき、それはそれは不思議な光景に出会いました。それはとある日曜日の台北駅での出来事で、むしろインドネシアにいるのではと思うような光景でした。 台北駅は実は想像以上にディープな場所のようです。 日曜日の台北駅はインドネシア? とある日曜日の台北駅(2019年8月撮影) とある日曜日の台北駅の様子です。一見ただの人混みに見えますが平時はそれほど混み合うことはありません。 よく見るとカラフルなヒジャブ姿の女性が多く見えるので多くはムスリムであることが分かります。そう、彼らは在台インドネシア人です。筆者は台北を2回訪れましたが最初に訪れたときにまず目にしたのがずばりこれでした。2回目に訪れたときの日曜日も同様に同じ光景をみました。 写真は2019年1月、インドネシアでは大統領選挙が行われていた時期でした。駅の外に出てみればそこでは現職のジョコウィドド候補(2020年5月現在大統領在任中)を応援する集会が大々的に行われていました。 台北にいるというのにインドネシア語ばかり聞こえるなんとも不思議な光景でした。 この日曜日の台北駅に現れるリトルインドネシアについて、台湾とインドネシアの関係をみると事情が分かりやすいです。 台湾に住まう外国人の中で最も人口が多いのがインドネシア人で、約25万人が住んでいます。台北だけでなく、台湾各地に多く住んでおり、介護や漁業、サービス業などの分野で重要な労働力になっているようです。筆者も台湾東岸の町の漁港でインドネシア人労働者を目にしたことが記憶に新しいです。 それにしてももともと台北駅は在台インドネシア人の情報交換やコミュニケーションの場として使われていたそうで、次第に現在のようなインドネシア人コミュニティーの大規模集会のようなものへと変化していったそうです。 とは言え、コロナパンデミックの中ではこのような光景はしばらくの間みられないでしょうね。 台北駅の近くに元祖リトルインドネシア 先ほども述べたように、台湾には25万人ものインドネシア人が住んでいます。台北駅のリトルイ…
唐突ですが皆さんイランについてどのようなイメージを持っていますか? ニュース越しに見るイランは「核合意」「経済制裁」「アメリカなどとの激しい対立」などといったキーワードがよく並びますよね。ところが同じ質問を旅通にしてみると全く異なる返事が返ってきます。それもポジティブな内容で。 一体イランとは何者なのでしょうか(笑)。実は筆者も以前に訪れたことがあるので政治抜きでイランがどんな国だったかシェアしたいと思います。 ひとつネタバレしますと日本人にはいいことが多分たくさんあります(笑)。 イランは実は観光大国? イスファハーンの青がまぶしいイマームモスクをはじめ、イランには国土の広さだけ名所があります。 筆者はテヘランからイスファハーンまでのいわばゴールデンルートの範囲でしたがその途中にイスラム教シーア派(厳密にはその主流である12イマーム派)の聖地であるコム(Qom)や昔ながらの町並みの美しいバラの名産地カーシャーンなど、名所は目白押しです。 また、イランの国土は多様性に満ちており、南はペルシャ湾沿いの砂漠から首都テヘランの背に雪をかぶったアルボルズ山脈があり、それをさらに超えて北上すると緑豊かなカスピ海沿岸地域に入ります。モスクや史跡はもちろん、自然もまた表情豊かなだけに見所に溢れています。 余談ですがシーラーズのペルセポリスに行けなかったのが未練です(笑)。 どうにかしてほしいテヘランのワールドクラスの渋滞(笑) ワールドクラスとは言っても渋滞が世界一のジャカルタに比べればまだマシな方なのでしょう。 しかし、テヘランの人口は東京の半分以下にも関わらず(ジャカルタほどでないにしても)東京を優に超える慢性的な渋滞地獄というのは勘弁してほしいものです。 テヘランの渋滞のこわいところはいつどこで起きるのかが、読みにくいことです。ある日は歩行者にも抜かされるほど渋滞していたところが、翌日の同じ時間帯に通ると何事もなかったかのようにスムーズに走れたなんてことがあるからです。こういうこともあっていつ出発するのかを考えるだけで頭痛のタネです(笑)。 ごはんがとにかく美味しい! 旅しているときにどんなに美しいものをみてもごはんがまずければ地獄です。しかしご安心ください、イランのごはんは美味しいです。(あと紅茶も美味しいです) イランのド定番ごはんの中にクビデキャバーブというものがあります。 キャバーブは皆さんもお馴…
海外旅行に行ったことがあるという人は多くいるかもしれない。しかし、陸路で国境を渡ったことがある人はどれだけいるだろうか? 今回は、シンガポールからタイまでの国際列車を使った旅を紹介したい。 (実際に乗車した列車、シンガポール駅構内で(著者撮影)) マレー鉄道・タイ国鉄での旅への準備 単に鉄道旅をするにしても、往復の航空券、乗車する鉄道の切符を用意する必要がある。なお、航空券については、日本→シンガポール、タイ・バンコク→日本の片道航空券をLCC(格安航空会社)で予約するのが最も安上がりだと思われる。 一方、切符の購入については、現在ではマレー鉄道・タイ国鉄ともに、オンラインでの予約が可能となっている(私は、現地窓口で購入した)。なお、シンガポール発バンコク行の列車の運行というのはなく、当時の旅行ではマレーシア・クアラルンプールセントラル駅とタイ・ハジャイ駅で乗り換えが必要であった。 いざ出発、鉄道で国境を越える楽しみ マレー半島を縦断する鉄道では、2回の国境越えがある。シンガポールといえば、“マリーナベイサンズ”をはじめとした近代的な建物が多い街である。 (シンガポール・マリーナベイサンズ(著者撮影)) 一方、シンガポールの対岸の街、マレーシア・ジョホールバル(人口50万人、マレーシア第二の都市といわれる)に入ると、シンガポールほど高層ビルは目立たない。また、イスラム教のモスクが目立つようになる。 (路地裏はまだ発展途上の色を残す、マレーシア・クアラルンプール(著者撮影)) さらに、鉄道がタイに入ると、仏教寺院が目立つようになるわけである。このように、肌をもって、国の違いや宗教の違いを感じることができる。 (タイ仏教寺院、タイ北部(著者撮影)) 日本は陸地を接する国境が存在しないため、国境というイメージをあまり持たないかもしれないが、国が変われば、宗教も違い、街並みも変わってくる。このようなことを楽しみながら移動できるのも、国際列車の良さだろう。 列車が国境を越えるとき、乗客は全員一度下車! 空港と同様に、鉄道にも出入国審査がある。このため、列車が国境を越えるとき、一度全員が下車し、パスポートのチェックを受け、再度乗車する必要がある。 国境を越えるのに1~2時間要するのは、よくあることだ。 タイ国鉄3等車の車内販売?! 実は、タイを訪れたとき、ソンクラーンに伴う連休(タイにおける旧正…