これまでの記事 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~妊娠から出産まで~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~手さぐりでの生活~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~生後4ヶ月での両側唇裂形成術~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~口蓋形成手術までの準備~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~2歳での口蓋形成手術~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~3歳・言語訓練スタート。8歳で正常構音ができるようになるまでの記録~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~口唇口蓋裂と集団生活(保育園)~ 口唇口蓋裂の子を育てていると、時々質問をいただくことがあります。今回はいつものように治療や生活の記録ではなく、これまでによく聞かれた質問を取り上げていきたいと思います。 あくまでもユウと私の場合に限りますので、医学的な断定を意味するものではないこと・人によって考え方や環境は大きく異なることを踏まえて読んでいただければと思います。 口唇裂について Q.どうして唇が裂けているの?A.お腹の中でお顔が作られていくとき、最初はみんな唇が裂けています。そこからだんだんと皮膚が中央に寄っていってくっつき、唇の形になるんですね。その形成がうまくいかず、裂けたまま生まれてきたのです。 Q.どうしてお腹の中でうまく唇が作られなかったの?A.はっきりとした原因はわかっていません。いろいろな要因が複合的に重なることで口唇裂になることがあると考えられています。また、口唇裂を引き起こす可能性のあるお薬は報告されているようです。ちなみに、ユウの場合は基となる疾患があり、口唇裂はその合併症として起こっていると考えられます。たとえば染色体異常などの場合も口唇裂が起こる可能性は増えるようです。きょうだいに口唇裂がある場合も可能性は上がるようです。 Q.唇が裂けてるのは痛くないの?A.痛くあり
重度の口唇口蓋裂で生まれたユウも小学校高学年になりました。 子どもの段階で済ます最低限の手術は終え、あとは将来を見据えて治療を選択していくことになります。これまでの治療を振り返りながら、現在の様子とこれからについてをまとめておきたいと思います。 <ユウのこれまで> 妊娠中に口唇裂が判明します。出生後、口唇口蓋裂のなかでも重度である「両側性完全唇顎口蓋裂」だと分かりました。生まれてすぐに型取りをし、穴をふさいでミルクを飲みやすくするための「ホッツ床」を口蓋に装着します。 口唇裂の手術までは、唇を寄せるようにテープ矯正をしていました。そして、生後4ヶ月で口唇裂の手術をします。 2歳で口蓋裂の手術をしましたが、口蓋ろう孔(手術で閉じきれずにできてしまう穴)が発生します。また、この頃から言語訓練をスタートします。小学校低学年で、正常構音(正しい発音)を習得しました。 小学3年生、4年生で左右それぞれに分けて顎裂形成手術を行いました。 <ユウの現在の様子> 口蓋ろう孔があるので、口蓋に「閉鎖床」(プレート)をはめて生活しています。 言語訓練は続けています。訓練時はよい発音ができるようになったものの、日常生活では声門破裂音が強く残っておりまだまだ不明瞭であることから、正常構音(正しい発音)を日常化していけるように試みています。訓練の内容は個人差が大きいものですが、ユウの場合は正常構音の日常化を目的としているため、訓練にも方言のイントネーションを用いる・日常生活でも使うフレーズを取り入れるなどをしています。また、日常での「伝わった!」という実感を増やせるよう、学校の先生にも協力を仰いで「正しい発音でクラスの中で短文を読む時間」を作っていただいています。 口腔内の筋肉をしっかり使うために学校用の水筒はストロー式のものを使っています。 閉鎖床をつけていることなどから上あごの発育が阻害され、口蓋裂児は受け口になる傾向があります。ユウも閉鎖床についている拡張装置で上あごを拡張していますが、小学5年生後半からは就寝時のみ「フェイスマスク療法」を行っています。下の写真のように、ゴムを使って上あごを前方に引き出しています。 <ユウのこれから> 今後、正常構音が日常化すれば言語訓練は必要なくなるといわれています。 次の手術は、通常であれば口蓋ろう孔を塞ぐための手術。口蓋の再手術です。これは上あごが大人同様に発育し切ってから…
これまでの記事 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~妊娠から出産まで~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~手さぐりでの生活~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~生後4ヶ月での両側唇裂形成術~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~口蓋形成手術までの準備~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~2歳での口蓋形成手術~ 今回は引き続きユウが2歳8ヶ月で行った口蓋形成手術について、術後のことを綴ります。 手術翌日 ユウの体温はまだ38℃近くありました。術後の反応熱とのことです。 少し身体が回復してきたようで、ひとりで座ることができるようになったり、弱弱しくですが手を上げたり指さししたりといった動作をしはじめました。また、昼寝もたくさんしてくれ安心しました。 食事についても、病院のお味噌汁(具なし)をゴクゴクと飲みました。液体なら痛がらずに飲めるようになったようです。絹ごし豆腐はまだまだつぶせないようで、口にいれるとすごく痛がるので中止。普段「やわらかいなあ」と思って食べているものでも術後の傷口には痛むのだなと思いました。 ただ、レトルト離乳食「けんちんうどん」は食べやすいようでした。ほぼどろっとした液体で、ところどころ入っているうどんも小さく、豆腐よりもやわらかいほどなのです。朝と昼と合わせてビン1つが空きました。 病院のご飯もあるのですが、形状によっては食べられるとは限らなかったり(もう少し柔らかく…など都度変更してもらえますが、反映は1~2食後からになるため即座には難しいです)、痛みのために時間通りではなくちょこちょこ食べになってしまったりするので、レトルトの離乳食は持って行って正解でした! 水分がだいぶ取れるようになり点滴を抜いてもらえ、扱いがずいぶんラクになりました。 そしてこの日は主人と交代し、泊まってもらいました。ほとんど眠れていなかったので、私は家でぐっすり眠って睡眠不足解消。 術後2日目 交代すべく病院に行くと、息子がプレイルームで座ってオモチャで遊んでいました。前日はお座りや指差しがやっとだったのに、1日でだいぶ回復しています。 ただ、離乳食をほとんど食べていないと主人から聞いており、また点滴入れられるのは可哀相なので根気よく食べさせました。最初は断固拒否していましたが、けっきょくそれなりに食べました。(それでも全体の10分の1くらい) この日から安静度が院内フリー(病院内…
これまでの記事 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~妊娠から出産まで~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~手さぐりでの生活~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~生後4ヶ月での両側唇裂形成術~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~口蓋形成手術までの準備~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~2歳での口蓋形成手術~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~2歳での口蓋形成手術・術後の様子~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~3歳・言語訓練スタート。8歳で正常構音ができるようになるまでの記録~ 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子 ~口唇口蓋裂と集団生活(保育園)
前回までの記事で、 顎裂の手術(顎裂形成・顎裂部骨移植手術) について書いてきました。ユウは左側にも右側にも顎裂があるので、2回に分けての手術が必要です。 1回目はこれまで書いてきた記録の通りですが、実際は2回目の手術も終えています。1回目は小学3年生。2回目は4年生でした。 手術そのものの流れはほぼ同じですが、たった1年とはいえ子どもが成長したことでいくつか変化がありました。 今回はそんな変化について記したいと思います。 (写真はイメージです) 変化その① クラスメイトからの応援が受け入れられなかった しばらく学校をお休みすること、復帰後も(体育NGなど)学校生活に影響があることから、手術を受けることは前もってクラスメイトに伝えておくのですが、そうすると先生が気を利かせて「がんばれメッセージ」みたいなのを子どもたちに書かせてくれたりなんかします。 3年生の時はそれがうれしかったようなのですが、4年生の時は返ってプレッシャーになってしまったようです。あるいは、軽い気持ちで「手術のことをみんなに話すんだ」と言っていたのに盛大に応援されて「そんなに大きなことなのか」と思ってしまったのかもしれません。メッセージカードを受け取って帰ってきた日、自分からは読みたがらず、「○○くんも、▲▲くんも、ガンバレって言うからイヤだ・・・」と大泣きしてしまいました。手術までに開くことはなく、1年前のように入院先の病院に持って行くこともありませんでした。 (※カードは、手術から半年くらい経ったあと、自分から見返すようになりました。「こんなこと書いてくれてる!」と喜んでいます。) 変化その② 手術前日に泣いていた 手術前日、なかなか寝付けず、ベッドの中でシクシク一人で泣いていました。顔を見ようとすると布団をかぶってしまい、泣いている姿は見せたくないようでした。 変化その③ 麻酔が効くのに時間がかかった 3年生のときはすぐに麻酔が効いてスッと眠ったのですが、4年生では倍ほどの時間がかかったうえ効いていく途中で暴れるような仕草がありビックリしました。体重が増えて麻酔薬がまわるのに時間がかかることが原因だそうで問題はないとのこと。 変化その④ 術後、拘束をすすめられた 手術室から出てきてすぐは急に自由が利かなくなりますし、毎回目が覚めたとたんに暴れます。経鼻栄養の管を抜こうとしたり、テープの貼り替えを拒否したり…。大変なのですがそれ…
重度の口唇口蓋裂で生まれ、小学校3年生になったユウ。いよいよ1回目の顎裂の手術となりました。 重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子~顎裂の手術(顎裂形成・顎裂部骨移植手術)にむけて①、②・気持ちと心の準備~で書いたように、久しぶりの手術にむけて身体的にも精神的にもゆっくり準備をしてきたつもりです。 それでも、骨を取って移植するというのは大掛かりな手術。ユウ自身、苦痛や混乱はたくさんありました。 今回は入院してから手術当日までの出来事です。記録の形を取りますので簡素な文体になりますが、お読みいただければと思います。 秋の名残がある季節でした 手術前日 12時頃、2人部屋に入室。37.3℃の微熱。すぐに昼食が運ばれてくる。1時間ほどかけて完食。キッズルームがあるが、先に遊んでいる子に遠慮して入ろうとせず、暇を持て余す。DVDを観たいと言われたが、先は長いので絵本を渡す。よく見る。少し鼻水、鼻詰まりあり。声掛けをしないと水分補給をしないので注意が必要。 夕方、看護師さんよりオペの説明あり。あす12:00~手術。食事は6:00まで、水分は10:00までOK。9:00に点滴ルート確保予定。 食事をとりたいから起こしてほしいと息子に言われ、5:30に起こすことに。当然ながらそんな早朝に病院食は出ないので、買い物へ行く。 入院中は院内学級を利用することを検討していたが、いったん学校の籍を抜いて転校という扱いになるそうなのでやめておくことに。 精神的には非常に安定している。一人で寝るからお母さん帰ってと言う。看護師さんから、絶食もあるので今日明日は付き添いのほうがいいと言われる。そのあとは1人で泊まると主張。 夜になると、21時から1時間ほどモゾモゾと寝られない様子。 「鼻痛いよね」(鼻から管を入れて栄養を摂ること)「一人ぼっちになる~」など。 少なくとも明日までは一緒に寝ること、鼻の管は痛むかもしれないけど抜いちゃダメだよということを伝える。手術の痛みも気になるようで「痛いよ~」と言うので、起きたときに痛みはあるかもしれないけど、手術は寝ている間に終わることを伝える。マスクでスーハーしている間に眠ってしまうよと言うと本人もスーハーと呼吸のシュミレーションをする。眠ってしまうと言ったからか、「え、死ぬん?」と聞いてくる。否定すると笑っていた。 手術当日 5:20ごろから起こし始め、5:30に時間通り看護師さんが…
今回は顎裂の手術に関する記録です。 顎裂とは? 顎裂とは、上の歯茎に割れ目があることです。口唇裂のみ、口蓋裂のみ、あるいは口唇口蓋裂のみで生まれる子もいますが、我が子ユウ(仮名)の場合は「“両側”完全性唇“顎”口蓋裂」であり、歯茎も前歯を挟んで左右ともに裂がある状態でした。 歯茎に割れ目があることで歯並びへの影響はもちろん、ことばを発音する際にそこから空気が抜けることにより不明瞭さにもつながります。 この割れ目を埋めるのが顎裂形成術ですが、割れ目を埋めるために腰の骨(腸骨)の骨髄を取って移植することになります。 顎裂形成・顎裂部骨移植手術については、おおよそ小学校3~4年生で行うことになると出生後すぐから聞かされていました。犬歯が生えるタイミングなどからこの時期が適切だとされているようです。もちろん個人差がありますので、具体的な時期は医師の判断のもと決定されます。 今回はこの顎裂形成術について、オペ前の準備を2回に分けて書きたいと思います。 中間顎の矯正をスタート 顎裂形成・顎裂部骨移植手術を受けるにあたり、1年半ほど前から準備がスタート。中間顎といって、前歯2本が生えている部分をできるだけ真ん中に引き寄せるための矯正が行われました。 ユウはまず右側の顎裂形成からすることになりました。生まれつき右側のほうが裂幅が大きく中間顎がかなり左側に寄っているので、手術がしやすいよう矯正していきます。 前歯のカバーとゴム 実際に装着した写真 このように前歯にカバーをし、常時装着しているプレート(口蓋閉鎖床)につけているフックと橋渡しをするように直径6mmのゴムをひっかけます。 ゴムの力で中間顎をできるだけ真ん中に寄せ、右側の空間を狭めるのが目的です。フックが上唇の裏を傷つけて出血し口内炎が起こるなどのトラブルはありましたので、その都度歯科医等に調整してもらいながらすすめます。 痛みはないようで特に嫌がることもなく、これは約1年間続けました。 その後、 前歯を直接引っ張る 前歯につけていたカバーはなくし、前歯そのものにフックを埋め込んだ土台を接着して同じようにゴムで寄せる矯正に移行。 引っ張る力をより強くするため、ゴムは直径6mmから4mmに変更となりました。 また、手術1ヶ月前の時点で寄り具合が足りなかったようで、ゴムを2本かけることと学校でも常時装着するよう指示されました。(上の写真はそのときに撮ったものでゴムを…
「重度の口唇口蓋裂で生まれた我が子」シリーズ、約2年ぶりの投稿となりました。現在、「難しいな」と感じていることがあるので、それについて記してみようと思います。 重度の口唇口蓋裂で生まれたユウ(仮名)は、約1年ほど前から、言語訓練のための通院に「行きたくない」と言うようになり、自宅での言語の練習も嫌がるようになりました。 (写真はイメージです) 考えられる理由はいくつかあります。 思春期・反抗期と呼ばれる時期に突入した 訓練内容にやりがいがなくなった 発音が不明瞭でも本人が困らない きれいに発音できたときの成功体験が少ない 思春期・反抗期と呼ばれる時期に突入した ユウは自己主張はする子でしたが、どちらかといえば従順で、基本的に「やりなさいと言われたことはやる」子でした。小学校中学年くらいから、面倒なことを後回しにすることは出てきましたが、結果的にはやる。ユウ本人は時間の見通しがつきづらいため、親がタイムリミットを決めて必ずやらせていたというのもあります。 しかし、親の言うことがウザイと感じる年齢になり、怒っても反抗や無視をするという手段を知りました。「最終的にやらないでもなんとかなる」というのを徐々に覚え、「サボる」ことを知ったんですね。 同時に、それまでは遊びといっても何時間も熱中するようなものはなかったのですが、漫画やゲームなど没頭できるツールができ、生活の中に「ラクで楽しいこと」が占める割合が増えてきました。 そうなると、自宅での言語練習なんて面倒になるのは当然です。 訓練内容にやりがいがなくなった 訓練の内容が変わり映えせず、成果が目に見えてわからないのもやる気を削いでいる要因かもしれません。 これまでの記事でもお話したように、ユウは現在、気をつけて喋ると正常な発音ができます。ですが、「気をつけて喋る」ということが日常生活ではできないという状態です。この状態がこの3年間ほど続いています。 正常な発音を習得するまでは、訓練を通して「言えたことのない音が言えるようになった」というやりがいを得られていました。ユウ自身が「よっしゃ!」と手ごたえを感じている場面も多々ありましたし、親の私にも常に驚きと感動がありました。 訓練時にすべての音が発音できるようになったことで、訓練での成長がなくなり、親子ともにマンネリを感じてきていました。訓練内容も新しいことを試すというよりは、正しい発音ができる機能…