以前の記事でアライについて書かせていただいた。
アライについてそこまで深く考えてこなかったのだが、今回、様々な文献を読んでいる中でアライの重要性について改めて気付いた。
※アライとは…「アライ(ストレート・アライ)」とは同盟や支援という意味を表す「Ally」が語源の、LGBT当事者以外の人が、LGBTを含む性的マイノリティを理解し、支援するといった考え方、あるいはそういった立場を明確にしている人を指す言葉。
アライ。「そんなあなた(どんなあなた)でも、いいよ」と受け入れてくれる人が身近にいたらどれだけ嬉しいか。
そしてアライには、社会を変える力があると思った。
例えば、何かの既存制度や社会規範を変える時、人数が少ないマイノリティが集まり叫んだところで遠くまで届かないというように、当事者だけで社会を変えることは難しい。
女性の権利獲得の為に活躍する男性や、障害者が不自由なく過ごせる為に活動する健常者の方など、味方となってくれる当時者以外の存在が大変重要になってくる。
2018年現在、日本におけるLGBTの割合は、13人に1人と言われている。
13人に1人だけが声をあげるのではなく、非当事者である残りの12人を味方につけることで世の中は変わっていくのではないか?
この観点から考えると、アライは日本社会を変える力を持つ必要不可欠な存在であると言える。(理想論・綺麗事かもしれないが)
■アライになる方法をもう一度考えてみた
社会を動かすことができるアライとは、どんなアライなのだろうか?
もう一度考えてみた。
実際、LGBTという言葉が世の中に認知されてきてるとはいえ、まだ知らない人が半数以上いる中で、LGBTのことを知り、アライになってくれた人はそれだけで皆よりも一歩前に進んでいると思うし、ありがたい。
しかし、ただ知っているだけのアライからもう一歩二歩前に進み、社会を動かすことができるアライになるには?
具体的な方法を模索してみた。
まず、「知る」、そして「意識を変える」、最後に「表明する」というこの3ステップではないだろうか。
LGBTという性的マイノリティの存在を知り、差別的な発言などしないように意識を変えて、最後に「自分はアライです」ということを表明する。
この3ステップを達成できるアライの絶対数が増えてくれば、世の中は変わる気がする。
LGBT当事者にとって、この3ステップを達成したアライは絶対的な「味方」である。
ほとんどのアライは第一ステップ、次に第二ステップで止まっている印象だが、第三ステップの「表明する」とは具体的にどういうことか。
「私はアライです」と声を大にして叫べということではない。
アライステッカーを目に見える所に貼るとか、職場の飲み会で性的マイノリティを差別する発言が出たら止めるとか、FaceBookのプロフィールにアライと表記するとか、そんな簡単なことでいいのだと思う。
■アライの概念は拡張解釈できる
アライにの意味についてもう一度おさらいする。
…「アライ(ストレート・アライ)」とは同盟や支援という意味を表す「Ally」が語源の、LGBT当事者以外の人が、LGBTを含む性的マイノリティを理解し、支援するといった考え方、あるいはそういった立場を明確にしている人を指す言葉。
アライの語源は、「同盟」や「支援」を意味する「Ally」という単語である。
私は、アライという概念はもっと広く拡張して解釈できると思うのだ。
どういうことか?
アライのベクトルは、LGBT当事者以外の人からLGBTに向けたものだけとは限らないということ。
例えば、LGBTの中でも小さな差別や偏見は存在する。性的指向を表すLGBに対し、Tは性自認を表し、「LGBと一緒にされたくない。ややこしくなる」と思っているトランスジェンダーはいると思う。逆も然り。
また、バイセクシャルに対して、「バイセクシャルはいつでも結婚できるからいいよね」と冷たい眼差しを送るゲイやレズビアンの方も少なくない。
ゲイである筆者だって、正直なところ、MtFレズやFtMゲイなどの気持ちが全部理解できるかと言ったら決してそうではない。
同じ性的マイノリティである、アセクシャル(他者の対して恋愛感情や性的欲求を抱かない人)やXジェンダー(性自認が男性でも女性でもない人)に対して、不思議な眼差しで見ている部分もる。同じ性的マイノリティ当事者なのに。
それでも、その人達が困っている時や助けを求めている時は味方になれればいいな~と思っそいる。その人になれる訳ではないので、完全に理解できないとしても、少しでも心に寄り添うことができればなと思っているのだ。
つまり、LGBT当事者でもアライになれる。
もっと言えば、LGBTという枠組を超えて考えることもできると思う。
例えば、自分にはない障害を持っていたり、育った環境が違ったり、国籍が違ったりすると、その人のことを完全に理解できるのは難しいかもしれない。
でも、味方でありたいと思えることが、アライの始まりではないだろうか。
地球上には同じ人なんて誰一人としていない。あらゆる違い、多様性を受け入れて、完全に理解はできないとしても味方でありたいと思った時、人は誰もが誰かのアライになれるのだ。
そしてまた、自分の身の回りを見渡してみると、貴方に対してアライでいてくれる人はたくさんいるのではないだろうか。
■普段から目に飛び込んでくる多様性に対して寛容な姿勢を
LGBTに対してアライである人は、他のマイノリティや違いに対してもアライの姿勢を持っていると思う。
つまり、普段から目の前に広がる多様性、自分との違いに対して、心にゆとりを持ち寛容な姿勢でいることで、自ずとLGBTに対してもアライになっていくと思うのだ。
ただ、全ての違いや多様性に対して、常に寛容な姿勢でいるのは大変難しいこと。どうしても我慢や忍耐が伴う。
「これだけはどうしても理解できない」という自分との「違い」を見つけることだってあるかもしれない。
これだけ語っている私ですら、自分との「違い」に対してどうしても理解できないと思う人が何人かいたりする。
それでも、違いに対して味方でありたい、全部は理解できないとしてもアライの立場でいたいと思うその姿勢が、LGBTという枠組みを超えて日本を、そして世界を変えていくと信じたい。
と、たまにはいいことを書いてみる。