「セクシャルマイノリティである自分は不幸でいなければいけない」と思い込んでいた時期がある。それは、特に10代の頃だ。家族から「早く結婚して幸せになってね」と言われる度に、自分は一生幸せになれないんだと思っていた。祖母から「早く孫の顔を見せてね」と言われる度に、深く傷ついていた。もう女の子のことが好きになれないと気付いた時、自分は一生片思いで終わるんだと思っていたのだ。 そして「自分なんかは幸せになれない」と思い込み、様々なことを第三者のせいにして逃げていた。同じような人、きっといると思う。何か嫌なことが起きても「自分には当然だ」、誰かに嫌味を言われれも「まぁ仕方がないか」、しまいにはアルバイトの面接で落とされたことに対してもセクシャリティのせいにしていた。そうやって何でもかんでもセクシャリティのせいにして、ただ目の前の出来事から逃げていたのだ。次第に、自分が「不幸であること」に慣れてくる。そして、「幸せにはなれない自分」に居心地の良さすら感じてきてしまうのだ。 ゲイなどのLGBTは、心を形成する大事な時期に、親や身近な人から"こうあるべきだ"という昔ながらの考えを押し付けられてきたと思う。例えば、「幸せ=結婚して家庭を持つこと」「男は女を好きになるのが"普通"だ」「孫の顔を早く見せてやるのが親孝行だ」「ホモやレズは悪だ」「みんなの輪から外れないように正しい道を進め」など。これら全てに該当しない自分は「幸せになれないのではないか」と思い込み、徐々に「幸せになれない自分」を自ら象っていく。大人になった今なら、「そんなことはない」と断言できるのだが、当時はとにかく狭い世界で生きていた。一種の自己暗示(呪い)にかかっていたのだ、間違いなく。恐らく、同じような人は少なくない。今現在、同じようなことで悩んでいる人もいるかもしれない。そういう人に対して声を大にして言いたい。「自分ぐらいは大切にしてあげて」と。 ■呪いをなくすことはできないが、緩めたり薄めたりすることはできるゲイの心理カウンセラーとして活躍している村上裕さんがヒントとなる発言をしていた。彼は、カウンセリングルームP・M・Rの代表者である。「本当は自分の人生に期待している何かがあって、それを抑圧して諦めようとすると、途端にどんどん鎖が増えていくわけです。でも、自分のことをすごく卑下しているように見える人でも、何かしら自分に期待していることが本当はあります。本質的に人間は“よく生きたい”と願う生き物なので、今よりもよくなりたいという欲求は根源的に持っているのです。それができない理由がたくさんあって、“だからできないんだ”という思い込みにとらわれているわけなので、そこに根気よく投げかけていく感じです。」引用:http://www.jprime.jp/articles/-/10947「呪いにかからないことも難しいし、なくすことも難しいのですが、呪いを緩めたり薄めたりすることはできます。呪いに縛られているときって、いわば価値観が少ない状態なのです。“青い色のもの”と言ったら水以外ないんだ!といったような。それならば、青といえば水もあるし、空もあるし、サッカー日本代表のユニフォームもあるし……と、価値観を増やしていきましょうということです。例えば、“結婚は男女で行うもの”とだけ考えている人は、結婚を“生殖行為”の意味と混同している可能性が高い。法律上の結婚とは、パートナー同士の権利を保障する“契約”のことですから、異性同士や、年齢、子どもを産む産まないといったことにとらわれる必要はないのです。今までになかった価値観を自分の中に蓄えていくことで、呪いという思い込みは薄まっていき、自由になっていくでしょう」引用元:http://www.jprime.jp/articles/-/10947「自分のことを卑下し、不幸でいなければいけない」という思い込みの呪いを、なくすことは難しいという。しかし、「今までになかった価値観」をもって、呪いを緩めたり、薄めたりすることは可能なのである。「不幸でいなければいけない」「自分なんかは幸せになれない」と思い込んでいる人は、何かから逃げているだけでなく、視野も狭まっているのだ。筆者の場合は、自分の世界と解釈を広げるために、多くの年上LGBTと会って話したり、膨大な量の本を読んだり、自分にとっての幸せって一体何なのだろうと考える時間を設けたりした。色々な価値観に触れていく中で、紆余曲折はあったが、「不幸な自分」から「もっと幸せになりたい自分」に、気が付いたら変化していた。ただもっと早く気付けていれば・行動していればと後悔している部分もある・・・自暴自棄的な思考で生きていた期間が長すぎて、心の一部が死んでしまったような感覚があるから。だからこそ、あの頃に戻れたら、言い聞かせてあげたいのだ。「自分ぐらいは大切にしてあげて」と。 不幸である自分に酔い続け、現実から逃げていてもあまりいいことはない。自分は自分の人生しか生きれない。自分がまず自分自身のことを好きにならないと、誰が好きになってくれるのだろうか。「マジョリティーの外にいる私だからこそ、見えていること、感じていることがあると、編集さんからおっしゃっていただきました。例えば、世間の“普通”は結婚しないと恋愛のゴールにならない、その後は子どもを産まなくてはいけない、その後はいい教育を受けさせねばならないなど終わりのない“幸せの証明”に無意識に追いかけられています。これってちょっぴり疑問に思いませんか?」引用:http://www.jprime.jp/articles/-/10246?popin=recommend「あの人はゲイだから、子どもがいないから、シングルマザーだから、再婚家庭だから、身体が不自由だから、日本国籍じゃないから、年をとりすぎているから……他人が考える“あの人は《普通》じゃない”には、たくさんの事情が含まれます。しかし本当はその事情そのものよりも“そうなってしまったら、おしまいなのだ。差別されても(しても)仕方がないのだ”という呪いじみた考え方に、日本中が縛られているから不幸なのです。」引用:http://www.jprime.jp/articles/-/10246?popin=recommend世間の普通はあなたの普通ではないかもしれない。世間がいう幸せはあなたの幸せではないかもしれない。でもそれでいいのだ。 そう思えるまでに、13年ぐらいかかった。