ヴァイオリンを勉強している人の中には、「レオポルト・モーツァルトのヴァイオリン奏法」という教本を聞いた・オススメされたことのある人も、多いのではないでしょうか。人によっては、「一度は読んでおいた方がいいよ」と言われたこともあるかもしれません。
レオポルトの「ヴァイオリン奏法」とは、一体なんなのか?
なぜ、「読んでおいた方がいい」のか?
私が実際にこの教本を読んでみて、思うところを書いていきます。
※私が所持している「ヴァイオリン奏法」は、塚原哲夫氏による旧訳版・『バイオリン奏法』であることを最初にお断りしておきます。塚原哲夫氏による和訳は1974年12月10日初版。その後、2017年5月12日、上の画像にある久保田慶一氏による新訳が発行されています。
レオポルト・モーツァルトってどんな人?
まず、ヨハン・ゲオルグ・レオポルト・モーツァルト(1719-1787)がどんな人か、とても簡単にですがおさらいしておきましょう。
アマデウス・モーツァルト(1756-77)の父。幼い息子の天部の才能を見抜き、欧州各地に音楽旅行、もとい売り出した、現代でいうプロデューサー的な一面が取りざたされることも多いレオポルト。ですが彼自身、ザルツブルグの宮廷楽団のヴァイオリン奏者、そして楽長も務めるなど、立派な宮廷音楽家であり、理論家であり、教師でした。
レオポルト・モーツァルト「ヴァイオリン奏法」について
続いて、「ヴァイオリン奏法」についてみていきます。
レオポルト・モーツァルト「ヴァイオリン奏法」概要
では、気になるヴァイオリン奏法の中身ですが、章見出しを覗いてみるだけで興味を惹かれると思います。
- はしがき
- ヴァイオリン奏法への序
- ※第1章
- 第2章 バイオリンの持ち方と弓の扱い方
- 第3章 生徒は弾き始める前に何を守らねばならないか。言葉を変えて言うと、一番初めに生徒に何を示さなければならないか
- 第4章 上げ弓と下げ弓の理法について
- 第5章 弓を巧みにコントロールし、いかに美しい音色をバイオリンから引き出すか。正しい様式の中で生み出すか
- 第6章 3連符と呼ばれるものについて
- 第7章 種々のボウイングについて
- 第8章 ポジション
- 第9章 前打音とそれに属する装飾音について
- 第10章 トリルについて
- 第11章 トレモロ、モルデント、その他即興の装飾音について
- 第12章 楽譜を正しく読むこと。特に優れた演奏について
※無題だが弦楽器、バイオリンの起源・歴史や工程について。さらに、五線譜以前から現代(18世紀)の記譜法、楽語について記している。
ヴァイオリン教師に向けて書いている
まず、目を引くのが第3章「生徒は~」の部分ではないでしょうか。実はレオポルト、ヴァイオリンを習い始める生徒よりも、習い始める生徒に教える教師に向けて、切実な思いを書いています。というのは、章見出しからうかがえるのはもちろん、レオポルト自身がはしがきでこう記しています。
「この《バイオリン奏法》は、生徒と教師の単なる利益のためだけでなく、生徒に誤った教えをして、生徒の失敗をまねいている教師を改めさせたいと熱烈に願っているのです。」
つまり、このヴァイオリン教本は、ある程度熟練した音楽家(音楽教師)にこそ手に取って欲しい、と言いたいわけです。当時、レオポルトの周囲にいい加減な音楽家が多かったのか、あるいはレオポルト自身があまりに高みを見ていたのかは定かではありません。
なんにせよ、この教本、隅から隅まで読んでみるとレオポルトの悩みが見えてきます。本文はもちろん、注釈もぜひ注目してみてほしいところ。独りよがりな音楽家、辛抱強くない教育者に対して、懸命にいさめようとするレオポルトの姿が目に浮かんできます。突っ走りがちな息子を必死で説き伏せようとする書簡と、ちょっと被りますね。
右手の奏法
見出しを見ただけでも、この教本が右手の奏法にかなり重きを置いているのがわかってもらえるでしょうか。左手のテクニックについては第8章に集中しており、以降は装飾音についての記述になります。
これは私見ですが、特に日本の音楽界に置いて「音を間違えない」「正確に弾く」こと=左手のテクニックが、まずは重視されるように思います。
レオポルトもまた、文中で「正確に弾きなさい」と訴えるのですが、その意味合いがやや違います。彼は音を間違えるなというより、「音楽」を間違えるなと諭すのですね。
作曲家が意図するもの、譜面から読み取れるもの、そして、その上で表現されるべきもの……それらを実現するためには、(音を間違えないことはもちろんですが)右手のテクニックが何よりも優先されるべき、というレオポルトの考えが伺えます。(なお、欧米の新しい教則本などを見てもこの傾向は強いです)
例えば第4章では、本当に基本的な、ダウンボウ・アップボウの弓付について解説します。これらは40近い譜例を併せながら延々と続き、最後は教師と生徒が一緒に弾くための曲を示して終わります。
当時の音楽界を知ることができる
例えば、あなたがレオポルトの息子、アマデウスの作品を演奏するとしましょう。中には、天性の感覚で弾きこなせる人もいるかもしれませんが、大概の人はその譜面を見て困ってしまいます。クレッシェンドやデクレッシェンドなんて、ほとんどなんにも書いていないのです。書いてあるのは最低限のアーティキュレーション、デュナーミクだけ。
「一体、モーツァルトのあの軽やかで、自然な音楽を作るにはどうすればいいのだろう?」
そんな時、パパ・モーツァルトのこの教本はたいへん役に立つのではないかと思います。レオポルトは相当細かく、理論立てて、「こういう譜面はこういう弓使いでやりなさい」「こういう譜例はこんな差をつけて演奏すべきです」……いちいち、かなりの譜例を取り上げて解説していて、アマデウスのそれと似たような音形がたくさん見つかります。
個人的には、訳者まえがきにもあるように12章が興味深い。11章(奇数)で終わってしまうのは不吉だから、という理由でレオポルトが付け加えた章らしいのですが、ここには、ヴァイオリン奏法だけでなく、楽譜の読み方・音楽の表情のつけ方が記載されています。とりわけ、伴奏(オーケストラ)へのアツい想いが伝わってきます。例えば……
上手に伴奏ができるようになるまでは独奏してはなりません。まず、種々のボウイング全てを知らなければなりません; 強弱を的確な場所、適格な長さで表す方法を理解しなければなりません;……
今でこそ、独奏者(ソリスト)であってもオーケストラや室内楽の経験があり、理解しているのが当たり前ですが、当時の「独奏者」はそうではなかったのかもしれません。とりわけ第12章において、それはもう、独奏者のことをけちょんけちょんに言っています。気になる方はぜひ、実際に本を読んでみてください。
最後に。貴重な資料としてのレオポルト・モーツァルト「ヴァイオリン奏法」
もちろん、レオポルトが記したことが当時18世紀頃の、西欧音楽界に当てはまるわけではないでしょう。演奏会場も違えば楽器も違います。例えば第1章の楽器の構え方などは、うーん、個人的にはちょっと、今はできないよなあと思います。ボウイングのために右腕の肘を上げるな、とまで書いてあったりして、これをいきなり現代楽器の奏者が真似したら辛いものがあるでしょう。
あくまで、この頃の作品の演奏法、音楽、そして文化について知る、ヒントが散りばめられていると思って、むやみやたらに信じ込まない方がよいとは思います。
ただ、最初にあげた「クラヴサン」「フルート」のそれもそうですが、ここまで具体的に緻密に、当時の音楽について語り、なおかつ、筆者自身が音楽家として確かな実力を持っていた資料は、本当に貴重だと思います。(著者本人のはしがきによれば、当時、この本が出るまでヴァイオリンの入門書はなかったそう!)
この「ヴァイオリン奏法」は、ドイツ語で初版された8年後には売り切れ、その後も間を置きながら重版されました。今のように簡単に印刷できる技術ではなかったことを考えれば、これはとてつもないことです。また、その間もオランダ語、フランス語と、次々多言語に訳されていきました。この入門書がどれほど反響を呼び、多くの人に使われていたのかを想像すると、この本が今も伝えられていることの理由が、自ずと見えてくると思います。
ちなみに、純粋にヴァイオリン奏法の入門書が欲しい初心者さんには、この教本は正直オススメできません。理由は先述した通りです。WEB上でも様々なヴァイオリン教本が紹介されているので、まずはそちらを参考にすることをオススメします。