以前にカザフスタンの名所について2か所紹介したことがあるのですが、今思えば「そもそもカザフスタンって国あるんだ(笑)」というところから始まる方が多かったのではないかと思う筆者でした。
そもそもニュースでも滅多に登場しない国名ですからね、直近でもヌルスルタン・ナザルバエフ前大統領が電撃辞任した去年の春ではないでしょうか(笑)。
それに位置関係も絶妙です。特筆すべきは南側に隣接するウズベキスタンです。ウズベキスタンはサマルカンドをはじめとする豊富な名所や美食で旅人のハートを鷲掴みにしています。このようではカザフスタンの影が薄くなっても仕方がないのでしょう。
とはいえ、実際に訪れてみたら案外面白い場所だったので、渡航経験のある筆者が紹介します!
超が付くほど近未来的な首都ヌルスルタン
現在の首都ヌルスルタンはカザフスタンが旧ソ連から独立したと同時にアルマトイから遷都してきたもので、初代大統領ヌルスルタン・ナザルバエフ氏が電撃辞任するまではアスタナという名称でした。
首都を遷都するときは迷要素が多いときが多いようですが、ヌルスルタンはある意味合理的でした。話すと長くなりますが自然災害のリスク(アルマトイは地震が特に大きな懸念要因でした)を軽減するために首都機能をやや北中部の平野に移してきたというものです。副産物として各都市からの距離関係も均等化してアクセスがよくなったというものもあります。
このような経緯でできたので都市はまだ発展途上で、これをいいことに斬新な街づくりを推し進めました。さらに万国博覧会の開催も近未来的な街づくりをさらに推し進める結果となりました。写真はその万国博覧会の会場となった界隈を映したものですが、これだけ見るとむしろ別の国を連想してしまいそうです。
超が付くほど旧ソ連時代の香りが残る他の都市
ヌルスルタン以外の都市は打って変わって旧ソ連時代の名残を今に残しているので、ロシアにいると錯覚するような感覚です。写真は旧ソ連時代に首都だったアルマトイ市内を映したものですが一言で表せばとにかく無機質です(笑)。極めつけは写真中央上部の星ですね、カザフスタンにいるというより旧ソ連時代にタイムスリップしたかのような感覚を増幅させます。
アルマトイ以外の都市もこのように旧ソ連時代から街並みは大きく変わらない上に公用語にロシア語が今でも多用されていることもあってビザの面倒なロシアに行かずしてロシアにいるかのような体験ができます。写真映えはしませんが(笑)。
実は名所は豊富!?
観光のイメージが皆無になりがちなカザフスタンですが実は見所たっぷりです。
ウズベキスタンは文化を楽しむのが中心だとすればカザフスタンは自然と文化です。写真はアルマトイの南側の背にあるメデウ地区の様子ですが、西天山山脈が国土の南東部まで入っていることでこのようなダイナミックな景観を大都市圏で眺めることができます。しかもここからシンブラク山に向かって歩くと温泉やスキー場もあります。
これにとどまらず、他にグランドキャニオンと見間違えるチャリンキャニオン、史上最悪の環境破壊の現場のひとつとなったアラル海、テュルキスタンの世界遺産、ホージャアフマドヤサウィ廟(実はこれがサマルカンドの基礎になってます)、そして西に行けばカスピ海などと見所は十分にあります。(市場も市場でなかなか面白いですよ!)
とは言ってもパブロダルみたいに文字通り何もない都市が多いのもまた否めないですが....(笑)。
キムチと馬肉:面白いグルメ事情
中央アアジアの料理はシャシュリク(ケバブのような肉料理)やプロフ(米料理)など共通している料理が多く見られます。とは言ってもカザフスタンならではのユニークなグルメ事情もあります。
1点目は写真にあるキムチで、アルマトイのバザールのお惣菜コーナーで撮影しました。
本来なら朝鮮半島由来の料理ですが、第2次世界大戦中にロシア極東から朝鮮系住民が強制移住でカザフスタンやウズベキスタンを含む中央アジアに移送されると共に、朝鮮半島由来の料理もこの地に渡ってきました。なお、カザフスタンのキムチは辛くはないですが、案外美味です。
2点目は熊本県や大分県も顔負けな馬肉文化です。
これは中央アジアではカザフスタンだけで、有名な馬肉料理ですとベシュバルマク(平麺の料理)があります。バザールに行くと腸詰など、様々な馬肉製品を見ることができます。(ただしウズベキスタン国境に隣接する地域ではあまり食べられていないようです。)ここの馬肉は脂の乗りも肉質もばっちりでとにかく美味です!
馬刺しが好きな方、コロナ収束後にでもカザフスタン訪問をご検討ください(笑)。
実は日本との繋がりは深い?
確かにカザフスタンには豊富な天然ガスなどがあるので関連業界で働いている方には馴染みがあるかもしれません。しかし、実際には日本とカザフスタンとの間にはもっと深い繋がりがあります。
独立以前までさかのぼるとカラガンダのグラーゲリ(労働収容所)に多くの日本人捕虜が送り込まれ、過酷な環境下の強制労働で多くが命を落としたことが有名です。そんな悲劇的な過去を今に伝えるかのように日本人墓地が今も残り(アルマトイにもあります)、地域住民などが丁重に管理してきました。
そして、先述した首都ヌルスルタンですが、実はその斬新な近未来的な街づくりに黒川紀章さんという日本人が深く関わっていました。建築家である黒川さんはアスタナ・ヌルスルタン・ナザルバエフ国際空港からアスタナ・ヌーリージョル鉄道駅まで、市内の様々な要所の設計に携わり、彼なくしてこの街にはならなかったほどの貢献をしました。ヌルスルタン市民の間でもこのことはよく知っている人は多いです。
まとめ
カザフスタンを説明するにはまだ物足りない節はありますが少なくとも旅人目線でどんな国かを知る手がかりにはなったと思います。
今はCOVID19で旅できるご時世ではありませんが、成田から直行便が飛んでいるので収束したらそれで再訪したいものです。運賃も良心的ですし、物価も安いので旅のコスパもいいですよ。
それと、カザフスタンの方はなんだかんだで親日的です。
ということで収束したら試しに遊びに行ってみてください(笑)。