日本には、250年もの間7代、8代、9代にわたって、時の政府はもとより近隣の人にすら気づかれないまま、自分達の大切な思いを隠して代々伝えている人達がいた。 今で言う潜伏キリシタン、その昔は隠れキリシタンと言われていた人達だ。その名前は歴史の授業で聞いたこともあるだろう。私が最初に中学の歴史の時間で聞いた時には、そんな人達がいたんだくらいで特別他に感想をもたなかった。でも、この潜伏キリシタン物語は日本の歴史の中で終わったヒトコマというのではなく、今に続いて躍動しているという。 無意識下に潜んでいる思いを揺さぶるような文章がある。 「彼の伴天連の徒党、皆件(くだん)の政令に反し、神道を嫌疑し、正法を誹謗し、義を残(そこな)ひ善を損じ、刑人有るを見ては、載(すなわ)ち欣(よろこ)び載(すなわ)ち奔(はし)り、自ら拝し自ら礼し、是を以て宗の本懐と爲す。邪法に非ずして何ぞや。実に神敵佛敵なり。急ぎ禁ぜずんば、後世必ず国家の患(うれい)あらん。殊に号令を司って之を制せずんば、却て天譴(てんけん)を蒙らん。・・・・…
英国と日本での政治と信教統制の歴史、そして米国憲法で保障された信教の自由。これらは一見あまりつながりがないようですが、実は深い類似性と、関連性があります。 政治的な自由と精神的な自由の衝突を中心に、イギリスと日本それぞれの政治の発展を対比的に考察すると、関係が見えてきます。 そして米国において、イギリスから独立する過程で、本当の意味での個人の自由が成り立ちました。そこには、一人ひとりが信仰を持って行動することの必要さを説いた歴史があります。 アメリカ独立宣言の様子 イギリス政治エリート階級の宗教権威からの独立 イギリスでの議会政治の発展とは、とどのつまり、エリート上流階級者達が自分達の権威を保ちながら、教会と王権の両方の権威から脱して、経済的、政治的な自由を手に入れていった歴史です。そして、これは心の自由を犠牲にして起こったことでした。これを順を追って見てみます。まず、中世ヨーロッパ諸国において、教皇は教会の最高権威者として、そして正当な王権を与えるものとして、国家に対して政治力を行使していました。また、今の言葉で言えば、教皇は国に対して非常にグローバルな権威でした。 …