中学生の頃から英語が好きでした。中学一年生の時、入塾して最初の塾の英語の授業で、アルファベットが書けなかったのは私だけでした|д゚) でも新しい分野だったからこそ、英語はとても新鮮でした。私にとっての英語は、「家→公立中学→塾→家」の極小の狭い世界に生きている自分を、未知の世界に連れていってくれる「アラジンの魔法の絨毯」のような存在でした。 勉強する程、未知の価値観に出会えました。日本に産まれ、日本で生きている中で無言の圧力として感じていた、求められる女性像=「大人しくて芯があり、我慢強い女性」のようなものから一気に解き放たれる快感を英語を通じて体感していました。 英語圏に生きる女性は、いつも私のヒロインでした。マドンナが私の最初のヒロインだったかもしれません(^^; 女性が自分の個性を押し殺さなくて良く、かつ個性を武器にして生きる姿は中学生だった私にはとんでもなくカッコよく映りました。 いつしか英語の勉強が趣味になっていました。そして高校生で受験勉強に明け暮れている間に、こともあろうかやり過ぎた英語に、私は疲弊してしまいました。これ以上英語を続けられるか分からない・・。そのくらい、大好きな英…
1.の続きです。 しかも、その問題の解決に尽力したのが、日本人だというのです。 それは、「すしざんまい」の名物社長だとーーー。彼は、私がただ心を時折痛めるだけで実際には何の行動にも移さず何十年も無かった事にしていた間に、同じ問題を目にして何かしらの行動を起こし、結果的に海賊の撲滅に多大な影響を与え、ソマリアに隣接するジブチ共和国から勲章を与えられた事は、23年間何もしないで傍観してきた私に衝撃を与えました。 そもそも何故ソマリア沖に海賊が横行していたのかー。ソマリアは昔、イタリアの植民地でした。 1990年に内戦が始まり、無政府状態となって平和な生活が保てなくなっている状況下で、今度は2004年にスマトラ島沖地震による津波で壊滅的な被害を受けてしまったそうです。飢餓に苦しむ同国の海賊問題は2005年にはこの海域を通過する世界各国の船舶にも拡大し、ソマリア周辺海域は航行にも危険な地域となっていったのです。 私は1996年くらいに貨物への海上保険の講座を受けてソマリア沖の海賊の話を聞きましたから、よくよく考えると、ソマリアで内戦が始まって以来、海賊が徐々に増えていき、天災も加わって2005年まで増加…
普通の人々が描いた絵本 体験者自身が描いた「原爆の絵」をご存知ですか。 中学2、3年の頃、別のクラスの友人と一緒に帰るために、校門のすぐ近くにあるプレハブ小屋の市民図書館でよく待ち合わせをしていました。校舎内にある学校の図書館とは別に、近所の人たちも自由に出入りできる図書館でした。 ある日、一番目につく本棚に立てかけてあった広島の被曝体験者が描いた絵本を何気なく手に取りました。普通の人が描いた、というような副題があったように思います。 次々と目に飛び込んできたのは、衝撃的な絵でした。プロではない、絵が特別上手いわけではない人が描いているので、正直、一見しただけでは、それがどのような状況を描いているのかは分かりません。でも、どの絵からも聞こえるはずのない、また聞いたこともないはずの、阿鼻叫喚が発せられ、恐怖と苦しみが伝わってくるのです。少し冷静になり、絵の説明を読み、再び絵に目を戻すと、さらに深く突き刺さりました。 終戦から何年も経ってから記憶をたどって描かれたものばかりですが、全てが忘れられない記憶で、カラフルで鮮明で残酷なもの。いや、あまりにもこの世のものとは思えない残酷さから、どれだけ時間…